「自分に厳しく他人に優しく」という言葉を、老生はこの齢になっても信用できない。人はそのように生まれついてはいないと思うからだ。どう考えても人間は自分に甘い。自負と自尊の本性は終生衰えない。それが人間というものだろう。人間も根は動物だから、生存のための自己保存の本能は厳然と遺っている。自分か他人かになった時は、自分を優先するのが生き物の自然の反応であるし、そうあって然るべきだ。このフレーズは、例によ . . . 本文を読む
雨で歩けない日が続いていたが、昨日は朝から好天だった。フラワーパーク内の旧地形の遺る斜面をトラバースする小径を選んで歩いてみた。綺麗な花壇や遊歩道を巡るのも好いが、自然に生えた植物を間近に見ながら、土の道を歩けるのは嬉しい。木立の間から覗き見る蓮池には、未だハスの蕾は見られない。オカトラノオ百日草も夏の花。ノカンゾウか?帰り際に出会った、オミナエシの鮮烈な黄色。
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日本の社会には、暗黙の裡に謙遜を強いる文化が潜在しているように思う。身分序列に喧しい社会を千年に亘って守り抜いてきた遺風だろうか?世界に誇り得る言語文化と胸を張る人もいるが、私は若い時から、丁寧語・尊敬語は兎も角、謙譲語は本心から出たものでない、まわりくどく胡散臭い煩わしいものと感じて来た。自らを卑下して相対的に相手への尊敬を表す物言いは、どう考えても自発的なものとは思われず、不自然さを感じてしま . . . 本文を読む
「てこね寿司」の季節になった。カツオは毎年春から夏まで黒潮に乗って太平洋岸を九州から東北沖まで北上し、東転して秋に南下する。北上を上りカツオ、南下を下りカツオと呼ぶ。遠州灘の上りカツオは、舞阪、御前崎に水揚げされた。南下のコースは北上よりも東なのだろう。遠州灘では、昔は下りカツオの魚獲はなかったと思う。魚屋での扱いも無かったと記憶している。漁船の性能の向上と、魚群探知装置の発達で、下りカツオが漁獲 . . . 本文を読む
その日は、午前に夫婦揃って歯科の治療を受けたので、昼食は柔らかいものが好いと、「伎倍の茶屋」のうどんを食べることにした。店頭の農産物の平台に「三方原産馬鈴薯」が置かれていた。来園の婦人たちの中の1人が、三方原の赤土で育った馬鈴薯は格別美味しいと、誰彼かまわず旺に宣伝していた。煽られた家内は5袋も買ってしまった。うどんを食べ、冷たい甘酒を飲んだ後、公園内を散策した。たった一輪、 ナツツバキが咲き残っ . . . 本文を読む