道々の枝折

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寛容というもの

2023年06月14日 | 随想

「自分に厳しく他人に優しく」という言葉を、老生はこの齢になっても信用できない。
人はそのように生まれついてはいないと思うからだ。どう考えても人間は自分に甘い。自負と自尊の本性は終生衰えない。それが人間というものだろう。

人間も根は動物だから、生存のための自己保存の本能は厳然と遺っている。自分か他人かになった時は、自分を優先するのが生き物の自然の反応であるし、そうあって然るべきだ。
このフレーズは、例によって実証を欠き観念に固まった中国人の発想から生まれたものらしく、当の同国人が実践できもしない、洵に人間性への理解を缺いた偽善的なきれいごとである。

自分に厳しい人は、判断基準がしっかり出来ているから厳しいのであって、その基準は変動しない。変動したら価値観を保てない。その結果他人にも厳しくなるのは当然だ。
他方自分に甘い人は、自らの判断基準が確立していないので、どちらかと言うと誰にでも寛容である。というより人のことには真剣にならないのかもしれない。適当に対処するから寛容に見えているということもある。

洋の東西を問わず、人間は自分に甘くできているものである。それが普通である。
中国ではそれを、4000年放任してきた。日本では、中国人の君子や士大夫への普通でない教えを積極的に導入し、江戸期には汎く武士階級に学ばせ、その道義を公私にわたり適用した。更に明治以降の学制の中で、庶民にまで教え込んだ。
中国の一般庶民の身につかないような教えを、日本人が熱心に学んで、世界に冠たる道義心の高い国民性の国をつくった。その結果、日本の国内に社会的不寛容が生じた
世界にも稀な、自他に厳しい倫理感は、明治の文明開化の時代、西欧的モラルに対抗する精神的支柱として、強化されたと見る。

西欧では、寛容は最高の徳と目されていると聞いている。ということは、本来の西欧人に一般的な道徳的・倫理的傾向は、天然のままでは頗る自分に甘いことの証明ではないか?との疑念を抱かせる。その欠陥を補強する為に、西欧社会は唯一神教のキリスト教に、唯一絶対の信仰を求めたと考えるのは間違いだろうか?
人は自分に甘い生き方を自身の力で脱することができないから、神が必要になるのである。神の律法がないと、自身で決めることは全て自分に甘くなるものである。

西欧人は、日本人の切腹という自裁の手段に愕く。キリスト教は自裁を禁じている。
しかし日本人の切腹は、自己の道義に厳格だからではなかった。自裁を強いる無言の社会的圧力かまたは、絶対的権力者の恣意的な命令があった。生殺与奪権は常に所属社会か権力者に委ねられていて、自発的な切腹というものは、決して多くなかったのである。
自裁しても家門は守られる場合に限り、武士は自ら進んで切腹した。純粋に倫理的な責任の取り方ではなく、存外打算が働いていたのである。

播州浅野家の四十七士の吉良家討ち入りも、主君の仇をとれば、武家社会から忠君の義士として賞賛され、諸大名から新規召し抱えの申し出があると期待していた面があったと推測する説もある。
幕府のお抱え学者の進言で、期待は打ち砕かれ、全員死罪に決まってしまったが、決起の段階では、武士として最善の道義を履行することに将来を期していたらしい。
主君の暴挙で家禄を失い、他家に仕官の伝手をもたない浅野の家臣の一部が、自身の家門を維持するにはそれ(仇討ち)しかないと考えるのは理解できる。当時の武家社会のモラルには何ら反していなかったのだから。

幕閣内で議論の末、幕府は全員切腹の命を下した。武士の道義より統治を重んじた政治的裁決だったと見て良いだろう。
武家社会は沈黙した。絶対権力に逆らわないのが武家社会の掟である。武士道には、寛容の精神は微塵も無い。

「自分に厳しく他人に優しく」という尤もらしい言葉で人を諭したのは、中国北宋の時代の政治家「范純仁」という人物とか。道学者でなく政治家だったことを知り得心した。
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