昔 台風の目に入ったことがあります。これはその昔話(さる崩壊したSNS記事の再掲載)
これはかなり昔、小学校5年生の時のお話。非常に大きな台風が、その頃住んでいた田舎の町を通った。
その日は暴風警報が出て、小学校は朝からお休み。
父は職場の警備要員として、朝から出かけていったため、家の台風対策は、ほとんど準備されていなかった。
家に残されたのは、母、長男の私、小学校3年生の妹、1年生の弟、そして保育園の一番下の弟。
台風が来るのはお昼前後ということなので、母、長男の私でいろいろ準備した。
周辺を見まわり、家の外に出ているものをできるだけしまう。吹き飛ばされないように縛ったり、重石を載せたりする。
屋根に登って、瓦の並びが変になっていないか、煙突!(あったんですよ)がちゃんとがっちりしているか確認しようとしたけど、突風が吹き出したので、ひさしに立て掛けた梯子から、見回すだけとした。
雨戸を閉め、隣のおじさんに教えてもらって、いろんなところを斜めに板を張り釘付けにした。
妹が、刻々テレビの台風情報を伝えてくる。もうすぐ暴風圏に入るよとという声を聞くややいなや、雨の降りかたが急に強くなった。
早く入るようにと言う母の声を聞きながら、家の周りをチェックしてから、家に入る。父がいないから、しっかりしなくっちゃと、一生懸命に思っていた。
いきなり海が空へ引っ越したかと思うような、土砂降りの雨。
覗くと家の前の、道の向こうが見えない。そして風が轟々と吹き出した。
テレビでは台風の中心が3時間後に通ることになっている。どうなることやらとその時おもった。
それから雨はやや収まり、道の向こうの畑、その向こうの竹やぶが見え出した。竹の先が地面にこすれるほど曲がっている。
それにもかかわらず、風はどんどん強くなってくる。
家のいろんなところががたがた音を立てだし、下の子供が恐い恐いと言い出したが、妹と遊んでもらうことで落着いた。
ともかく入り組んだ古い家だったので、何度もいろんな部屋をまわり、様子を調べた。
外では道に溜まった水を巻き上げるように風が走り、折れた小枝もそこで水切りのように動いていた。
風が非常に強くなった時、引き違いの窓の隙間から水が家の中へ流れ込みだした。ここだけが雨戸のなかったところだった。
慌ててその部屋から荷物を動かし、一生懸命雑巾やぼろきれで、溜まった水をふき取りだしたけど、流れ込む量が多くて、畳の上に広がるばかり。
そうこうしているうちに、座敷の雨戸がドスンと大きな音をたてて揺れた。何かがぶつかったようだ。その後もガシガシ音をたてている。
次は、風呂場の近くでガシャンと音がした。家もいろんなところがきしみだした。
外の風の音はいっそう激しくなる。テレビでは台風中心が通るのは1時間後。がんばるぞと思ったが、さすがに不安になった。
と いきなり、雨がやみ風も止まった。あれっと思って外に出た。
丸い青空が見える。
その周りを雲がぐるぐるとそして巻き上がるように動いている。これが台風の眼と呼ばれているものなのかとおもった。
私達の町は盆地で、周りを山に囲まれているが、その空の10分の1ぐらいの面積を占めたそれが、南の方から北のほうへゆっくりと移動していく。
雲の鼓動を打つような逞しい動きに、これは空の心臓なのかも知れないと感じた。
母と妹に雨水のふき取りを任せ、家の周りを歩いた。
座敷の雨戸の外には、折れた松の大枝がもたれかかっている。
風呂場のところには、隣の納屋の屋根から剥がれたトタン板が落ちていた。
トタン板はそこで重石を載せて動かないようにし、松の枝は動かせないのでそこで縛った。その他の危なそうなものを拾い裏庭に置くと、また急に強い風雨が始まったので、家の中に入った。
しかし先程よりは弱く、また風向きが変わったため雨の浸入はなくなった。
テレビは、もうすぐ台風の中心がここに来ると騒いでいる。さっきのが台風の眼じゃないのと思いながらも、やはり外を時々覗きつつ、家の中の異状を繰り返し調べた。
その間も、どんどん風雨は弱まっていく。
そして、テレビでは台風の中心が頭の上にあるはずという時に、ほぼ雨も風も収まって薄日がさしてきた。
これが実は台風の眼なんだろうかと、迷いつつ外に出てみると、近所の大人たちが外に出てきて、いろいろ作業をし始めている。
やっぱり過ぎたんだ。テレビが結局1時間遅れていたんだと、本当にほっとした。
大人達は、家の前の道やその向こうの溝の、ぐちゃぐちゃと溜まっているものを片付けだした。特に溝から水が溢れているところに集まっている。
家の代表としてそこに駆けていくと、町内会長さんが、「ここは危ないから、まず家の周りを片付けなさい。その後家の前の道を掃いてゴミをまとめてくれればいいよ。」といってくれた。
そこで、家の周りの飛散物を片付けだした。例のトタン板は隣が引き取っていったが、隣の納屋はひどい状態になっていた。
また玄関のガラスが割れていたり、軒が壊れている家もあり、うちの家は被害がたいしたことなくてよかったなと思った。
釘打ちした板をはずし、一番下の子供を除く3人で、折れた松の枝を動かすなどやっていると、父が慌ててオートバイで帰ってきた。母が大変だからと電話をかけたのだ。
しかし、家の周りと中を見て、たいしたことないのに呼ぶなと怒った。
特に窓の隙間から水が入ってきた所は、引き違いの所に石が挟まってずれたので、それをはずしてちゃんと閉めなかったのが悪いと叱られた。
一所懸命頑張ったねと言ってくれるかなと思ったのに。
町内会長のところへ挨拶に行った後、あたふたと10分ほど離れた職場へ戻っていった。
父の職場では、一箇所窓が割れた所から風が入り込み、その後の吹く戻しでたくさんの窓ガラスが外に向かって割れたため、大きな部屋がむちゃくちゃになっているとのことだった。
がっかりしながら近所の人たちと一緒に道の掃除をやっていると、自転車で偵察に行っていた中学生が戻ってきた。
下の川の近くの田圃は、湖みたいになっているとのこと。また、高台の八幡神社は、木がたくさん根こそぎひっくり返っており、何本かは周辺の家に倒れこんで壊してしまっているそうだ。
「八幡さんのところは、本当にものすごいよ。」 そう興奮して言った子は、町内会長さんのところへ寄った後、次の町内へと走っていった。
会長さんは、2~3人の派遣者を決めた後、一緒に掃除していた母のところにやってきて、いった。
「ご苦労さん、ここはもうほぼ片付いたからもういいですよ。休んでください。」
大分疲れていたのと、父の言葉で気持ちが落ち込んでいたので、そこで切り上げた。
「お父さんも、本当は家へ帰って様子を見たかったのよ、たいしたことがなくて安心して帰っていったのよ。」 母の言葉にほっとした。
その日は父が帰ってくる前に、夕食をして寝た。
父は真夜中に帰って来たとのこと。職場の復旧に大活躍だったと聞いたが、その日町内にいなかったのは父一人だったので、就職するまでずっと納得いかなかった。
次の日曜日、町の被害状況を自転車で見まわり、うちの家の被害が小さくってよかったとおもった。そして、家を守ったということで、母、そして下の妹や弟との連帯感を強く感じたことと、自然の恐さを十二分に意識した。
その後あのような、凄い台風にこれまでであった事がない。
思い出すのは、空をゆっくりと進んでゆく台風の眼。
丸い青い空を灰色の雲が縁取っていたはずなのだけれども、頭の中では違う。
紫から朱、青、そして灰色と怪しく色を変えながらドロドロと蠢く雲、そこに黒い眼がギロっと真中で睨み、真っ赤に染まった心臓がドックドックと脈打ちながら廻っているのだ。
そして、小さな家の中にいて父を待っている家族・・・・・。