てんちゃんのビックリ箱

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愛知県美術館  企画展「アブソリュート・チェアーズ 」 感想

2024-08-18 08:14:04 | 美術館・博物館 等
      

       「アブソリュート・チェアーズ展のポスター」


 椅子に関しては、モントリオール美術館で素敵なコレクションを見た。そして今回名古屋で、現代美術の範囲ではあるがその美術展があるとのことで行くことにした。巡回展で、埼玉県立近代美術館と愛知県美術館で開催、そのうち前者は近代以降の椅子のコレクションで有名だそうで、期待した。
 https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/e/d4ea38acab490f44313abecd0c90acae


 ただしやや期待外れだった。それに対し通常展示は充実していた。今回は椅子の美術展について書き、次回に通常展示について書く。


企画展「アブソリュート・チェアーズ 現代美術のなかの椅子なるもの」
会期:2024年7月18日(木)〜9月23日(月)
訪問日:8月16日
会場:愛知県美術館
内容:第1章 美術館の座れない椅子
   第2章 身体をなぞる椅子
   第3章 権力を可視化する椅子
   第4章 物語る椅子
   第5章 関係をつくる椅子


0.アブソリュートを使ったわけ
 この部分については、ガイドブックの要約を書く。この展覧会はデザインの文脈を離れた新しい視点から、戦後から現代までの美術作品における椅子の表現に着目するもの。そこでアブソリュートという強い言葉を使ったのは、日常的にも重要な役割をしている椅子を敢えて「アンバランス」な形容を与えることで、日常的な文脈から逸脱させ、あるいは社会の現実を批評的に対峙させようとするアートのモチーフとしての「椅子のありよう」を浮かび上がらせようとしたからだそうだ。
 現代美術用語は面倒臭い。
 そして、19世紀以降の大量生産の中で、まず「匿名の椅子」が生まれた。次に「プライベートな椅子」が生まれ、続いて「分身としての椅子」が世に出た。そして20世紀になり、椅子が室内空間の中核的な構成要素となり制作者の芸術的ビジョンが凝縮されていくとともに、日用品としての椅子に新たな意味を見出し、「アブソリュートな椅子」が誕生したのだそうだ。やれやれ。


1章 美術館の座れない椅子
 現代美術における椅子への注目のはじまりは、なんとマルセルデュシャンなんだそうだ。
彼が、あの有名な泉を発表した頃に 「自転車の車輪」という作品を作り、自らリムをくるくる回して楽しんでいた。彼の崇拝者がリムを保持固定しているものが椅子であることに注目し、その役割がなにかを思索したのだそうだ。デュシャンは便利な人。その後の人が頼りすぎている。この作品がでて来たのが1910年代。
 

     
          デュシャン作品
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28499
美術手帳から引用

 そんなのが紆余曲折し、椅子という記号は持っているが座る事には使えないという椅子のアートが登場した。
 例えば椅子の形にでこぼこをつけて、座る機能を失くしたような椅子。以前の記事で示したことがある。
 また別のパターンには、使用された椅子をその記号が残る程度に改変してアッセンブリーした作品。

     
      「トレイン・イン・ヴェイン」 ジム・ランピー
 日本での個展で、母国の使用済み品の塗装品を輸入し、音楽を聴きながら形を整え組み立てたのこと




2章 身体をなぞる椅子
 表題の表現は逆で、椅子が自立していてそれを基準として身体がなぞっているように見ようというのが、ガイドブックの記載者の主張のようである。
 次のソファで眠っている少女の像はどちらを主役にしてもいいと思ったが、被健常者が、支援者とともに車椅子に乗って、動きにくい道を進んでいくという動画作品を見て、椅子主役というのをなるほどとおもった。


     「眠る少女」 ハンス・オブ・デ・ビーク
ソファも眠る少女も灰色。なにかボンベイから発掘されたものに近い? 

  
   檜皮一彦氏が車椅子で移動している映像を見る人たち
移動中に帯状のものを織る機構が組み込まれていて、動きによって織りの密度が変わる。それが天井からぶら下がっている作品。


3.権力を可視化する椅子
 この表題を見て、王様の椅子をイメージした。確かに資本主義の勝ち組の椅子もあったが、逆に権力と戦うものが座らされる椅子、権力に対抗するために防壁となる椅子、権力に踊らされた民衆が意識せずに集団として座る椅子などが提示されていた。この視点は持ってなかったので、なるほどと思った。その他に暴力を明示する椅子もあった。
    

      「電気椅子」  アンディ・ウォーホル
米国死刑用の椅子  ガイドブック表紙より引用。


      「東大全共闘 1968-1969のうち バリケード」 渡辺眸

    

       「肘掛け椅子」 クリストヴァオ・カニャヴァート
モザンビーク内戦で使用の銃から作ったひじ掛け椅子


4.物語る椅子
 使用してきた人々の歴史を刻んできた椅子やそれを写真や絵に取り込んだ作品、またあるイメージを伝えようとした椅子のアートが展示されていた。
   

     「waiting for awakening-chair」 宮永愛子 
大原美術館 有隣荘での個展にあたり、そこに住んでいた人々の思い出を記録しようと椅子をナフタリンでかたどり、それを樹脂で固めた。固める過程でナフタリンが昇華し気泡となった。

  
         「my room] YU SORA
 刺繍作品  日常の輪郭線だが偶然生み出されているはかないもの。白と黒でそれぞれの人が塗ってください・・・・ そういった日常の中に椅子がある。

5.関係をつくる椅子
 椅子はいろんな人が座るが、その時間履歴的な関係。同じ時間に並んだり向き合ったりして座る。その同時性の関連。そういった関係の媒体としての役割を椅子は持っている。
 そういった主張の提示に椅子を介した集団的なダンス動画、またたくさんの椅子を立体的に組み合わせた作品もあった。
 ローザスのダンス作品は 最初のポスターにあります。素人集団の指導からダンスまでの過程が映されていて面白い。


   「白いチェスセット/信頼して駒を進めよう」 オノ・ヨーコ
どちらも白い駒。前に進んでいって一緒になると見分けがつかずダンスがはじまる?
 これが置かれている空間がよかった。

   

       「樹状細胞」 ミシェル・ドゥ・ブロワン
椅子を、中央が空洞で外にトゲトゲの脚がでる(排他的?)身体の中の樹状細胞のように組んだもの。その細胞は体内の異物を取り囲み排除する特性を持っているが作品も同様に仲間以外を排除。

6.終わりに
 私は椅子がどんどんデザイン的に磨かれていって、それが芸術の範疇になり、人とはかけ離れた情景の一部としての椅子になってほしいなと思っていたので、やや期待とはずれていた。
この展覧会の椅子は人間臭い作品ばかりだなと思った。現代美術自体が一生懸命人間とのかかわりを非常に強く求めているのだなと実感した。

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