てんちゃんのビックリ箱

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名都美術館 前田青邨・平山郁夫・小山硬 展示会 訪問および感想

2022-08-01 00:20:38 | 美術館・博物館 等
展示会名:(特別企画展)開館35周年記念 
   前田青邨・平山郁夫・小山硬  師から受け継ぐ
場所:名都美術館
開催期間:前期 6月14日~7月10日
     後期 7月12日~8月07日
訪問日:前期 6月18日
    後期 7月29日

 小山が東京芸術大学の日本画科にはいった時、教授が前田青邨、助手が平山郁夫という体制だった。もともと平山は前田の弟子だったが、小山も前田最後の弟子として師事した。平山の仲人が前田、小山の仲人が平山と、個人的な関係も深い。3人とも大活躍し、日本美術院という日本画の総元締めの会で3人とも同人となっている。
 下記は出生年および没年を示すが、前田は明治の頃から高名な画家で、小山とは約50歳の差がある。平山と小山はそれほど差はなく、前田にとっては2人は可愛い孫のような弟子だっただろう。
  前田 青邨 1885~1977年
  平山 郁夫 1930~2009年
  小山 硬  1934年~

 日本美術院は綱領として「芸術の自由研究を主とす。故に教師なし先輩あり。教習なし研究あり」をあげている。だから弟子といっても独自の芸術性を目指すことになる。弟子の二人は確かに師と異なる独自性を持っており、師から受け継いだものはチラシに書かれているように、品格と美意識。
 確かにそういっていい。3人それぞれの格式の高さと全然違う絵を描いていても共通の美があると思った。
 前期/後期ともに行ったが、落ち着いた3人の作品をじっくりと見せるために全体の照明を落として、非常にいい雰囲気の展示会だった。夫々の作家の展示されている作品についての感想を以下に述べる。
 なお、作品の画像はチラシと美術館のHPのものを使っている。
 
1.前田青邨 (前後期 19点)
 前田青邨は、暫く前に重要文化財になった「洞窟の頼朝」のような武者絵のイメージがあった。今回展示されていたのは、武者絵もあったが風景画や小鳥の絵が多かった。そしてたぶん高齢になってからの絵だろうとおもうが、「達者」を感じさせた。
 まず武者絵の例、「関ケ原の家康」。
 さらっと描いているが、家康の眼光の鋭さはさもありなんと思う。控えている武士の鎧などはきっちり描かれているし、全体の線に気持ちが溶け込む。そしてこんな感じで漫画を描いたら当たるかもしれないと思った。





 風景画として「富士」。これを見て、山の稜線の角度というよりも、かき氷をイメージした。涼やかな山腹の青色に、帰りに喫茶店にいかなくちゃ・・・  この青の濃淡がなかなか素敵。描いていて楽しいだろう。




 
 そして花の絵「紅白梅」。
 満開で心が浮きたつ華やかな梅を描いている。曲がりくねる枝、絵具をぱっと散らしたような花、もうちょっと振れると抽象画になりそうと思った。




 前田青邨は日本画の大家とされているが、ここにある作品の遊ぶような自由な筆使いから、従来の日本画を飛び越えよう、もしくは押し広げようとする意志が感じられた。


2.平山郁夫 (前後期 9点)
 平山郁夫は、シルクロードの作家として有名である。今回もそれらの作品が多かったが、やや若いころの日本の自然を描いた作品もあった。

 まず日本の自然の絵「永平寺の森」 (1972年)
 永平寺を囲む綺麗な緑の森を描いている。このころにはもう何度もシルクロード近辺に出かけている。それと対比しての日本の緑の豊かさをいっそう強調したかったのではないか。




 チベットの城の作品 「西蔵布達拉宮」 (1977年)
 高山病に悩まされながら描いたとのこと。非常にがっちりと描いている。これは屏風で、展示は折り曲げられて展示されていたが、左右の端から2つ目の線が前に来る。左の階段、右の前景の塔がぐっとまえに押し出されていて、とても迫力があった。 この年に前田青邨が亡くなっており、何か心に期するものがあったのかもしれない。
 



 シルクロードの作品 「月明の砂漠」(1992年)
 砂漠とラクダのキャラバン、月の組み合わせの絵を、この人は大量に描いている。(商業主義に絡めとられ描きすぎか?)その中で私は、キャラバンが影でただ陰影だけ、柔らかな影が砂漠に落ち、強い黄色の月に全体のブルーがきれいで単純化されているということで、この美術館所有のものが一番好きである。



 筆が遊んでいる前田に対して、平山の場合はかっちりしていて全然遊ばない。それによって作品全体の静謐さを維持することで、品格を作っているのだと思う。



3.小山硬 (前後期 34点)
 この人は実はあまり知らなかったが、日本美術院の同人と評価の高いこと、絵から感じられる生真面目さ、そして愛知県芸術大学の教授でこの地域を描いた絵画が多いことを知り、俄然興味を持った。
 この人は前田存命中に天草近辺の潜伏キリシタンに関わる絵のシリーズを始めた。その後はいろいろなテーマの作品を真面目に追及している。

 まずは天草シリーズ。「天草(祈り)」(1972年)
 非常に単純化された構図や線に宗教的荘厳さを感じさせる。この単純な絵で、それを感じさせるのは少ない要素をカチッと配置し、描き切ることができるからである。




 ちょっと面白い海の中の絵 「黒潮」 (1983年)
 海の曼荼羅として描きたくなったとのことだが、その説明がなければ、楽しい絵と見てしまう。仏様たちがある場所にあり、こちらを眺めているという静かな絵なのだ。数年前に亡くなった前田青邨も、どれかの魚に扮して、描かれる間小山氏を見ていたのだろう。





 地域の絵 「長良川 鵜飼」(2015年)
 くすんだ銀と黒で、川の流れと鵜飼を描き、それに金色の漁火を灯す。とても風情のある作品である。影で動く人への愛情を感じる。   




 私の故郷の近くの絵「天の橋立」(2017)
 小山氏の絵ははたくさん展示されていたのでもう一枚。彼の最近の絵の構図は、どんどん大胆になっている。それも贅沢にも?屏風で描いている。
 この絵も屏風で、海を区切る砂州を単純な色の配置でぐいっと描いている。これは平面展示だったがジグザクに折って立って展示すれば、左の折り目の砂州が前に張り出してきて、もっと迫力が出たと思う。
 舟や小屋など、人間の匂いのするものを一切描かなかったことで、砂州自身が有機体のように動き出す感じがする。



 小山氏は、前田青邨、平山郁夫両氏とは違う道で独自の領域を作ってきたと思う。そして1人になってしまった今、前田青邨とは違う自由さで、新しい絵画を描こうとしているようである。


 3人の作品を見て、前田青邨はやはり美に貪欲な化け物のような人だったのだろうと思った。二人の弟子が「師から受け継ぐ」というよりも、師を意識しつつ自らの絵画を求めて苦闘する様子を見るようで面白かった。
 平山郁夫は社会活動も多くまた売れすぎたためか、独自の活動の場を作ったことで亡くなったが、小山硬は現在88歳と前田青邨の没年齢(92歳)に近づいたためか、発想を広げて描き出したのではないかと思われる。高齢だが今後が楽しみである。

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