スミソニアンの国立航空宇宙博物館本館の2回目。ここの博物館は展示品が本当に充実している。その中で私が特に興味を持ったもので写真があるものを11点列挙していく。まず前回書いたライトフライヤー以降の航空機の流れを5点示し、次に宇宙関連の2点、そして軍事技術を3点、観測関連1点である。
1.ブレリオⅪ機
1909年に初めてドーバー海峡を渡った飛行機。1903年に約1分で260mしか飛んでいなかったのが6年で飛行距離9.5kmに達し、それをたった37分で飛んだ。世界をぐんと縮めたことを実感させた機体。
100機以上を受注生産、多くが軍事用で第一次世界大戦初期段階の各国の戦闘に使用された。すぐ眼を付ける軍隊もたいしたものであるが、航空機の軍事利用もポピュラーにしてしまった機体でもある。
エンジンが大きくなって加速できるため、脚が車輪になって自律で離陸できるようになり、また翼も単葉となっている。主翼を突き抜けた柱を立て、そこから針金で翼を吊りあげるとともに、胴体構造からも翼を針金で拘束し、主翼の剛性を高めている。
<ブレリオ Ⅺ機>
2.スピリット・オブ・セントルイス号
『翼よ! あれが巴里の灯だ』で有名な、リンドバーグが単独、無着陸で1927年に大西洋横断した機体。1.に比べると18年でずいぶんちゃんとした機体になっている。 ニューヨーク・ロングアイランドからフランス・パリまでの5,810kmを33時間29分間29.8秒間であった。
この飛行を実施するために既存機を改造した機体だが、その改造が、長距離を飛びかつ燃料を消費しても重心移動を抑制するため、エンジンと操縦席の間に燃料タンクを載せるという大胆なもの。その結果として、パイロットは前方が見えない。
33時間も狭い場所に座りつづけ、横の窓から水平線の状況と星の位置を眺めて状況を確認するというのは、これもほとんど罰ゲームに近い。
巴里の灯はやっぱり飛行姿勢を変えて、横の窓から眺めたのでしょうね。
<スピリット・オブ・セントルイス号 全景>
<同 ロゴ。 関係各国の旗に3つわからないマークが入っている。機体、エンジンなどの会社のマークかも>
3.ダグラスDC-3
第1次世界大戦と第2次世界大戦の間で、アメリカ大陸横断できる飛行機が欲しいとの期待の中で登場した1936年に登場した全金属製のベストセラー旅客機。21人搭乗でき、民間人の空の旅は一般化した。ちゃんと日本にも輸出されている。
この機体で面白いのは、脚がちゃんと機体の中に収納されていないこと。飛行中の脚が空気抵抗で問題ということはわかっても、それに対処する努力途上だったのだなと思った。
<ダグラス DC-3>
4.ベル X-1
第2次世界大戦時の飛行機はいろんな所にあるので、その後の初めて水平飛行で音速を越えた機体。映画の「ライトスタッフ」でチャックイエーガーが乗ったロケット実験機。
音速近くになると機体が異常振動し、ひどい場合には空中分解するということもあった。それに挑戦するため、ほとんど弾丸のような形でB-29から落とすことで発進する機体が作られ、狙いどおり1947年に超音速を達成した。この機体に緊急脱出装置はなく、なにかトラブルがあれば空飛ぶ棺桶になりかねないもの。翼は抵抗をなくすべく本当に薄い。
これも窓はすごく寝ていて前は見にくかっただろう。 今なら自動制御で飛行実験する一か八かという代物で、やっぱりパイロットは罰ゲームに近い。
<ベル X-1>
5.スペースシップワン
2004年6月に、宇宙の範疇とされる高度100kmを弾道飛行で達成した機体で、はじめて 民間宇宙旅行の可能性を示した。その機体がここに飾られているが、その後の性能向上機スペースシップツーが事故を起こし、開発は難航しているようである。
これも、ホワイトナイトという母船である程度の高さまで上げて、そこから発進する機体。そして高空で減速する時、この機体の展示状況に示すように、翼を折り曲げて降りてくるのだそうだ。この発想はバドミントンのシャトルから。
このプロジェクトを動かしているリチャードブランソン氏は私の憧れの人だが、最近ちょっとおとなしい。このコロナ禍の中で、ぜひ明るいチャレンジを発表してほしい。
<スペースシップワン 宇宙からの帰還時形態>
6.サターン5 ロケット
宇宙関連から2件、まずはサターン5第1段のエンジンノズル。
サターン5は、月面着陸の目標のために開発されたロケットで1967年から使用された。以前ケープカナベラルの打上場に行き、100m長のロケットが横たえられているのを、それに沿って歩きながら、アメリカのシステムエンジニアリングってすごいものだと思ったが、ここにはノズルのみが置かれている。 懐かしいと思うとともに改めてド迫力を感じた。このサイズのものを力任せにかつ細心につくりこんでいく技術に改めて感心した。でもこんなのを作った集団を、その後どうしたかがとても興味がある。
なお、これで載せていった月面探査の展示もたくさんあるが、皆さんも知っているしいろんな所に展示があるので略。
<サターン5 第一段ロケットエンジンノズル>
7.スカイラブ
月面着陸プロジェクトが終わった後、ソビエト連邦が宇宙ステーションで宇宙での長期間滞在による実験成果を出していたので、それに追随して1973年に打ち上げたもの。その後の宇宙ステーションへつながっていく。
私はその中のほとんどすべての部材がアイソグリッド構造に削られているのに、興味を持った。(連続の3角形のパターンの補強材が削り残された構造。もっとも軽量で剛性の高い面構造とされている。 この軽量化への拘りはすごいと思ったが、まわりすべてが3角形パターンの時に、人間のほうはどう感じるのかと思った。
<スカイラブ 外観>
<スカイラブの壁 および 床>
8.第2次世界大戦時の航空機の弾丸
当然 日本のゼロ戦はじめいろいろな第2次世界大戦の機体が並んでいる。それよりも私は、各国の弾丸が比較されて展示されているのに興味を持った。
口径から見れば、ドイツ、アメリカ、イギリス、日本の順である。ドイツは口径に対して薬莢が短く、なにか設計思想が違うのではと思う。ともかく戦争の時は、これらの弾丸が上空で飛び交い、薬莢がバラバラと降っていたのだ。
日本なら子供たちも来るところで大丈夫?というところである。 でもアメリカの場合には半分くらいの世帯に銃があるのだから気にしないのだろう。
<戦争参加各国の航空機の弾丸>
左から、イタリア、日本、ドイツ、英国、米国
<日本の弾丸 と 米国の弾丸 高威力のもの>
9.トマホークと米ソのミサイル
米ソの旧式?ミサイルの間をトマホークが飛んでいる。 実は両国の大陸間弾道ミサイルも展示されている。 展示されているからといって歴史の産物になっているわけではない。
ミサイル群はある程度削減されたとはいえ、いまだどこかを狙っている。 またトマホークは、時々空母から地上の目標に向かって飛んで行っている。
<縦:米ソのミサイル、 横:トマホーク>
10.無人機 プレデター
今も 人知れずアラブやアフガニスタン上空を飛び、米国の敵と判断する対象へ機銃や小ミサイルで攻撃を仕掛けている。操縦者はアメリカにいる。シュワルツェネッガーが戦ったプレデターより始末が悪い。
要員の7人に1人は民間人。家から操縦センターに行って地球の裏側を覗いてテレビゲームを行う。勤務後は家に帰り家族団らんの夕食を取り、ウィークエンドには子供とキャッチボールをするという生活もできる。
9のトマホークの場合はそれなりに加害規模が大きいのでニュース種になるが、こちらはピンポイントなので世間にはほとんどわからない。戦争のモラルを変えたのではとも言われている。
<プレデター 固定翼のドローンの一種>
9や10の武器に子供が興味を持った時に、アメリカ人は自分の国の強さに安心してに誇りを持てというのだろうか。
でもこういった現実も、隠さず展示する必要があるのは確かである。
11.天球儀
ここは飛行するものばかりというのでは、もちろんない。それに関わるその他の物もたくさん展示されている。 もちろんエンジンも並んでいます。これはかつて天体観測の補助として用いられてきた天球儀。大きなほど解析が容易になる。その他天体望遠鏡や精密時計等の展示も充実している。
また人工衛星に搭載するいろいろな観測機器も非常に面白い。
<大型天球儀、マネキンが整備をしている>
ともかく適当に回って、ちょっと知っているものを見つけ「ワーッ、キャー」と騒いでもいいし、あるテーマを見つけ一生懸命説明を読みだしても、その説明が十分書かれているので興味が広がっていく。
あらゆる世代への教育と知識提供を基本にしているので、どういった見方をしても、楽しめる場所です。 っ別館があり大きな機体の展示物があるが、そちらを訪問することは出来なかったのが残念である。
下の娘は、まだ、よくわからない年齢で、手すりにつかまって、遊んで、ハラハラしていた、記憶が鮮明です。
こうして、説明を、見ると、とてもよくわかりました。
弾丸が置いてあった、場所など、全く気付きませんでした。
ワシントン、ボストンは、また、行ってみたいと考えていますが、このコロナ禍が、落ち着くまでは、まだ、夢の夢ですね。
旅行気分を味わうことができました。ありがとうございます。
確かに飛行機やミサイルの所は、吹き抜けの展示場所で、下からも横からも見せるようになっていて、横からの場所は手すりでしたね。私もちょっと危ないのではと思っていました。
弾丸は確か第2次世界大戦の機体があるところ
でした。高寸法精度の工業製品としてすごいなと眺めていました。
ボストンは行ったことがありませんが、ワシントンはたくさん見逃しているので、夫婦で改めて行ってみたいところです。
ブレリオⅪ機は初めてドーバー海峡を飛んだんですね。2013-2014年の年末年始にロンドンに行った時、日帰りでドーバー海峡に面しているホワイト クリフを見に行きました。私が行った時は雨でした。駅からタクシーに乗って、遊歩道のところで降りました。ホワイト クリフが見えるところまで、歩いていきました。ちょっとだけホワイト クリフを見たら、もう十分と思って、すぐに帰っていきました。
ドーバー海峡はかの水泳での横断を含め、いろんなメルクマールの場所になっていますね。ドーバー海峡の気球での横断は1785年、水泳での横断で記録があるのは、1875年のようです。
白い崖は、ノルマンコンクエスト以降は鉄壁としてイギリスを守る象徴でしたね。トンネルができて崖は沈んだと思いましたが、EU離脱でまた上昇しました。