この戦いは勿論ドンパチや血が流れる斬り合いではない
戦後(大東亜戦争後)の30年余り経過しての二人の戦いである。
宮内庁 徳川 義寛 侍従次長
靖国神社 松平 永芳 宮司
である。
徳川…、1906(明治39)年11月7日 - 1996(平成8)年2月2日は、昭和天皇の側近、 侍従長。尾張 89没
松平…1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官 90没
戦い当時の年令は徳川が72才
松平が63才
余談であるが徳川が殴られた終戦間際が39才
松平が30才
まずこの戦いを簡単に言えば
松平が戦犯を合祀徳川(怒)
あまりにも短絡化したが私はこの戦いを当事者だけを掘り下げ分析する事が本質を逸脱してしまうと感じたからだ。
まずはじめに、【富田メモ】
2006/7両者死後
が何故リークされたか?
そして【靖国神社の本質】
【御親拝中止の理由】さらに【天皇陛下の御親拝の実現】までを考察したい。
【富田メモ】
宮内庁長官の富田朝彦のメモ
であるが幾つか疑問点がある
実物非公開、日本経済新聞だけが所持、誰の発言か不明、
メモ自体の信憑性等が挙げられる。
この様な疑問点はがあるもののこの富田メモがどのような働きをしているかが重要だ
天皇陛下の御親拝中止と一部の戦犯合祀が原因である事
この戦いの焦点である戦犯合祀を問題視する宮内庁サイドを後押しするメモであることが言える。
つまり宮内庁が戦犯合祀に反対的立場でありその正当性を証明、確定しているのだ。
ここで先程の疑問点によりもしも全くの虚構であったならばと考える、靖国の松平宮司の戦犯合祀が正当性を持つとする。
どのような問題点がでるか?
戦犯はその罪は消え公務死
他の御霊と同等に合祀され靖国の御英霊となられた
このどの部分に問題があるのか?たしかに戦犯は恩赦され公務死として27~28年閣議決定されている。
ただし、A級戦犯で処刑(昭和殉難者)された14名は名誉回復が目的とされた
つまり、赦免されることなく処刑された時点でA級戦犯の刑が確定しているのだから
名誉回復の為の合祀と考えて良いだろう。
これら一連の合祀を富田メモまで持ち出し問題視する宮内庁は何を恐れているのか?
推測の域を出ないがもしもこの国から戦犯がいなくなると
その責任がただ一点、天皇陛下に及んでしまう。
もしくはサンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており、法的には日本は国家として判決を受け入れてしまっている。
この二つの推測が正しければ
戦いは徳川、松平の両者に留まらずそれぞれを代表として
膨大な勢力の対立という問題を靖国神社は抱えている事になる。
【靖国神社の本質】
さてその膨大な勢力の中でも
右側と呼ばれる池田信夫氏の『靖国神社って何?』(こども版)保守派でも真ん中に近い私が読んでも虫酸が走る
彼は左の左、ド左である
私の言う歴史障害者でもある
全く靖国神社の本質を理解していない
靖国神社を招魂社までさかのぼり、生い立ちを考察し、敗戦の責任を天皇陛下に向けている彼の左脳では到底理解不可能である。
靖国神社の本質は大東亜戦争終戦からそれまでの靖国と明白にその存在意義を異にしている。
「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的とする明治からの勝ち戦の中での本質は終戦、宗教法人となってからは
消滅したと考えるべきである。
その証拠に戦犯の合祀は東京裁判を否定し名誉回復すると同時に遺族に対する冷遇が改善されたからである。
推測であるが、おそらく徳川侍従は14名の戦犯合祀を見落としていたのかもしれない
そう推理すると徳川侍従の慌てぶりや嘘の証言が理解出来る。
終戦からただひたすら国の為に戦没、殉職した人々の慰霊を目的としているだけである
ただ一点問題があるとすれば
戦犯とされた中に病死者がいる点であろう
しかし、正に戦後解体を免れ
宗教法人に生まれ変わった時点において又、松平宮司が病死者を合祀した事により靖国の本質を決定付けたのである。
戦争を知らない世代が『終戦』を『敗戦』と教えられ
GHQによる洗脳で捏造された歴史観を植え付けられ
頭の中まで黒く塗り潰された
彼らが深い洗脳から覚める日が来ると祈るしかない。
少なくともパール判事、マッカーサー証言、東條英樹の宣誓供述書を見れば靖国神社の
本質も明らかになるはずである。
【御親拝中止の理由】
明らかに徳川侍従長は戦犯が合祀されてから天皇陛下が参拝を中止したと、その理由が合祀であることを明言しているかの如く松平宮司をせめている。
しかし天皇陛下は 昭和50年11月21日
社会党左派吉田法晴議員の 天皇の靖国神社参拝 に関する質問に三木武夫総理が私的参拝をとなえてからとする
政争の具となってからであると考えるほうが自然である
天皇陛下は決してご自身の感情やお考えに基づき御発言される事などないのです
つまり、天皇陛下=国民=日本国なのですから
国民の意見が二分するような問題、戦犯合祀に対する
賛成と反対が対立している限りは御親拝なさることはないのです。
これが中止なされた理由と考えることが自然です。
それを戦犯合祀問題まで誇張した徳川侍従と思われても
仕方のない嘘をついてしまっていたのである。
どうやら軍配は松平宮司に上がったと言っても良いだろう
だが徳川侍従の置き土産が
天皇陛下の御親拝中止であったのです。
【天皇陛下の御親拝の実現】
では両者のいなくなった今
どの様にして天皇陛下の御親拝を再開するか
国民が1つにまとまることが
再開の第一条件である。
村山談話を踏襲していては
まず不可能である
正しい歴史観を取り戻す
河野、村山談話を上書きする安部談話をだし
靖国神社を国内外問わず世界平和の為の慰霊施設とし
戦犯が祀られるバチカンからローマ法王を靖国神社に参拝してもらい、同時に天皇陛下
の御親拝を再開することが
実現への近道であると考える
稚拙な発想かもしれないが奇抜でなければ国民は軍国主義の神社という洗脳から覚めないであろう。
戦後(大東亜戦争後)の30年余り経過しての二人の戦いである。
宮内庁 徳川 義寛 侍従次長
靖国神社 松平 永芳 宮司
である。
徳川…、1906(明治39)年11月7日 - 1996(平成8)年2月2日は、昭和天皇の側近、 侍従長。尾張 89没
松平…1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官 90没
戦い当時の年令は徳川が72才
松平が63才
余談であるが徳川が殴られた終戦間際が39才
松平が30才
まずこの戦いを簡単に言えば
松平が戦犯を合祀徳川(怒)
あまりにも短絡化したが私はこの戦いを当事者だけを掘り下げ分析する事が本質を逸脱してしまうと感じたからだ。
まずはじめに、【富田メモ】
2006/7両者死後
が何故リークされたか?
そして【靖国神社の本質】
【御親拝中止の理由】さらに【天皇陛下の御親拝の実現】までを考察したい。
【富田メモ】
宮内庁長官の富田朝彦のメモ
であるが幾つか疑問点がある
実物非公開、日本経済新聞だけが所持、誰の発言か不明、
メモ自体の信憑性等が挙げられる。
この様な疑問点はがあるもののこの富田メモがどのような働きをしているかが重要だ
天皇陛下の御親拝中止と一部の戦犯合祀が原因である事
この戦いの焦点である戦犯合祀を問題視する宮内庁サイドを後押しするメモであることが言える。
つまり宮内庁が戦犯合祀に反対的立場でありその正当性を証明、確定しているのだ。
ここで先程の疑問点によりもしも全くの虚構であったならばと考える、靖国の松平宮司の戦犯合祀が正当性を持つとする。
どのような問題点がでるか?
戦犯はその罪は消え公務死
他の御霊と同等に合祀され靖国の御英霊となられた
このどの部分に問題があるのか?たしかに戦犯は恩赦され公務死として27~28年閣議決定されている。
ただし、A級戦犯で処刑(昭和殉難者)された14名は名誉回復が目的とされた
つまり、赦免されることなく処刑された時点でA級戦犯の刑が確定しているのだから
名誉回復の為の合祀と考えて良いだろう。
これら一連の合祀を富田メモまで持ち出し問題視する宮内庁は何を恐れているのか?
推測の域を出ないがもしもこの国から戦犯がいなくなると
その責任がただ一点、天皇陛下に及んでしまう。
もしくはサンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており、法的には日本は国家として判決を受け入れてしまっている。
この二つの推測が正しければ
戦いは徳川、松平の両者に留まらずそれぞれを代表として
膨大な勢力の対立という問題を靖国神社は抱えている事になる。
【靖国神社の本質】
さてその膨大な勢力の中でも
右側と呼ばれる池田信夫氏の『靖国神社って何?』(こども版)保守派でも真ん中に近い私が読んでも虫酸が走る
彼は左の左、ド左である
私の言う歴史障害者でもある
全く靖国神社の本質を理解していない
靖国神社を招魂社までさかのぼり、生い立ちを考察し、敗戦の責任を天皇陛下に向けている彼の左脳では到底理解不可能である。
靖国神社の本質は大東亜戦争終戦からそれまでの靖国と明白にその存在意義を異にしている。
「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的とする明治からの勝ち戦の中での本質は終戦、宗教法人となってからは
消滅したと考えるべきである。
その証拠に戦犯の合祀は東京裁判を否定し名誉回復すると同時に遺族に対する冷遇が改善されたからである。
推測であるが、おそらく徳川侍従は14名の戦犯合祀を見落としていたのかもしれない
そう推理すると徳川侍従の慌てぶりや嘘の証言が理解出来る。
終戦からただひたすら国の為に戦没、殉職した人々の慰霊を目的としているだけである
ただ一点問題があるとすれば
戦犯とされた中に病死者がいる点であろう
しかし、正に戦後解体を免れ
宗教法人に生まれ変わった時点において又、松平宮司が病死者を合祀した事により靖国の本質を決定付けたのである。
戦争を知らない世代が『終戦』を『敗戦』と教えられ
GHQによる洗脳で捏造された歴史観を植え付けられ
頭の中まで黒く塗り潰された
彼らが深い洗脳から覚める日が来ると祈るしかない。
少なくともパール判事、マッカーサー証言、東條英樹の宣誓供述書を見れば靖国神社の
本質も明らかになるはずである。
【御親拝中止の理由】
明らかに徳川侍従長は戦犯が合祀されてから天皇陛下が参拝を中止したと、その理由が合祀であることを明言しているかの如く松平宮司をせめている。
しかし天皇陛下は 昭和50年11月21日
社会党左派吉田法晴議員の 天皇の靖国神社参拝 に関する質問に三木武夫総理が私的参拝をとなえてからとする
政争の具となってからであると考えるほうが自然である
天皇陛下は決してご自身の感情やお考えに基づき御発言される事などないのです
つまり、天皇陛下=国民=日本国なのですから
国民の意見が二分するような問題、戦犯合祀に対する
賛成と反対が対立している限りは御親拝なさることはないのです。
これが中止なされた理由と考えることが自然です。
それを戦犯合祀問題まで誇張した徳川侍従と思われても
仕方のない嘘をついてしまっていたのである。
どうやら軍配は松平宮司に上がったと言っても良いだろう
だが徳川侍従の置き土産が
天皇陛下の御親拝中止であったのです。
【天皇陛下の御親拝の実現】
では両者のいなくなった今
どの様にして天皇陛下の御親拝を再開するか
国民が1つにまとまることが
再開の第一条件である。
村山談話を踏襲していては
まず不可能である
正しい歴史観を取り戻す
河野、村山談話を上書きする安部談話をだし
靖国神社を国内外問わず世界平和の為の慰霊施設とし
戦犯が祀られるバチカンからローマ法王を靖国神社に参拝してもらい、同時に天皇陛下
の御親拝を再開することが
実現への近道であると考える
稚拙な発想かもしれないが奇抜でなければ国民は軍国主義の神社という洗脳から覚めないであろう。