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一貫して核兵器の全面禁止を訴え、
広島の父、または原爆市長と称される浜井信三市長の依頼で
自身も被爆者である
雑賀忠義(さいかただよし)
広島大教授が
広島市平和記念公園の原爆慰霊碑文に
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
の一文をえらび揮毫した
設置当初からやはり問題が生じたそうだ。
浜井市長は「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の
一端をにない、犠牲者にわび、
再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、
ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」
そして、この碑文は論争となり事件を起こすこととなる。
この論争や事件をここでは割愛させていただくが
世界市民として世界平和を発信する場が論争、事件の舞台となる。
まさにコメディ!だ
犠牲者の事を心から考えてなどいない。
私は同じ臭いを感じる
高村光太郎、家永三郎、……
終戦で手のひらを返したように左翼に傾倒していった者の臭いだ。
世界平和、世界市民、核廃絶
どれをとっても耳障りの良い言葉で国民を洗脳しようとする、
パール判事の言葉は正しかったのかもしれない。
皆さんも考えて欲しい
本当に犠牲者の為になっているのか?
本当に犠牲者は世界平和など望んでいるのか?
本当に犠牲者は核廃絶を望んでいるのか?
原爆犠牲者が絶命される
瞬間に「仇を取ってください、兵隊さん」と言った
と聞いた事があるが
犠牲者の真の思いはどちらと思いますか?
「過ち」の違和感の臭いはおそらく「偽善」の臭いなのかもしれない。