『千羽鶴は手立てがなく、もう祈るしか術のない時の言葉は悪いが暇つぶし、よく言えば神頼みだ。気持ちがこもってる分身内へ送るのが通例だ、助かれば思い出の御守りにもなる。だから他人には綺麗な粗大ゴミでしかない。』
千羽鶴が被災地にとってゴミ扱いされる迷惑行為になっている。子供達に願いを込めて折らせた大人に責任があるだろう。
被災地の人々の状況を知って何が出来るのかを想像する時、確かに"励まし"は必要であり有難いのだが、それが"何か"の食い違いが生まれる。
この問題は千人針を知っていれば解決は早い。
千人針も千羽鶴とほぼ同じ役割であるが、少し事情が異なる。それは現代人にはあまり認知されていない、或いは意図的に教えられていない代物であるということだ。
戦争に出兵する兵士に対し残された女性、妻であったり、家族が願いを込めて布に赤い糸で玉を千玉縫い付けていく。
日露戦争から、千個の結び目を作った布を弾丸避けのお守りとし、出陣する兵士に持たせる祈念が日本各地で行われ、大東亜戦争時には全国的なブームとなっている。
つまり、被災者への千羽鶴は事後、千人針は事前の御守りであり、戦うことを考慮してあまり邪魔にならないが、その役割を果たしているということだ。
要するに歴史を知らない日本人は御守りを被災後に渡すマナー違反を侵しているのであり、ゴミの意味を理解して頂けたと思う。