天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

大江健三郎の解釈

2017-04-26 10:18:53 | 歴史
 


現代史家の秦郁彦氏は、1967年の中国の核実験の成功について大江が「(キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を)いかにも美しく感動的であった」と評していることを批判した。



保守の言論でこれが広まっているが、かたやデマであるとして肯定論者も見かける。

大江氏の「世界」その部分の前後から改めて考察したいと思う。



『たとえば、僕はアメリカの最も善良な市民から、パール・ハーバーと広島・長崎を、その意識のうちにおいて相殺しているのではないか、という印象をうけることがしばしばあった。もし、パール・ハーバーの戦闘および、広島・長崎の原爆攻撃を、戦争のもたらす人間的な悲惨において比較するなら、そこにバランスがとりうると考えるものは、きわめて稀であろう。すなわち、そこには戦争の手段の威力の比較の論理しか存在してはいないために、パール・ハーバーと広島・長崎の相殺といったことが可能だったのである。
 それはアメリカのみにとどまらない。中国の核実験を写したフィルムを深夜のテレヴィに見た時、僕をおそった暗い恐怖感のことを僕は永く忘れることがないだろう。中国のある砂漠の一角にキノコ雲がおこった時、



それを見守る中国の若い研究者たち、労働者たちを揺り動かした喜びの表情は、客観的にいっていかにも美しく感動的であった。



サルトルがわれわれに語った言葉をひけば、《核戦争の脅威に無防備のままさらされていると自覚している国》が自力で核兵器を開発した喜びは、かれらの若い表情から直接につたわってくるものであった。
 しかし核実験の直後、およそ軽装の防護服を身にまとったかれらが、放射能の荒野に、勇んで駆け出すのを見ると、それは不安の念をひきおこさずにはいない。かれらには今、開発したばかりの核兵器の威力についての誇りにみちた知識はあるであろうが、核兵器のもたらす人間的悲惨については、ほとんど知識がないのではないか、と僕は疑った。ありていにいえば、当然、かれらはその知識に欠けているであろう。なぜなら、核兵器の悲惨について具体的に真実を知っている者たちのいる場所は、この核時代にあっても、なお広島・長崎の原爆病院をおいてはほかにありえないからである。』



【民間人への広島長崎の原爆被害と軍事基地を奇襲したパールハーバーが相殺或いはバランスするという考えは稀といっている。

そこには威力の比較の論理しか存在してはいないため、相殺が可能。

中国の核実験を見た時暗い恐怖感のことを僕は永く忘れることがないだろう。

それを見守る中国の若い研究者たち、労働者たちを揺り動かした喜びの表情は、客観的にいっていかにも美しく感動的であった。

自力で絶大な力、抑止力をもった国民はその喜びが表情から伝わる。

彼等がその喜びのまま軽装の防護服で荒野に駆け出す様は不安。

威力という知識はあるが、人間的悲惨の知識がないのでないかとの不安。

率直に言えば、悲惨を知らないのだろう。

それを知っているのは被爆地で死んでいくものを看取った原爆病院だけなのだから。】




まず大変分かり辛い文章であることはわかる。

何度も読めば核心は「戦争は人間の無知から起きる」と言うことが言いたいだけなのでは、と感じる。

それを米国と日本、中国と日本の対比で原爆を論じるから分かり辛くなるのだ。さらに本人の原爆のイメージと中国人研究者の表情と、実態を併記しているのでややこしくなる。

つまり、強さと悲惨さ、喜びと悲惨さを対比させ
悲惨さを誇張させる為に中国人の喜びを美しいと誇張し、あくまでも日本だけが悲惨ということを誇張したかったのだろう。

いずれにせよ戦争を現代文学調で表現するところに秦氏のような誤解を生む者達が続出するのだ。
自業自得だろうが、彼の影響力で核武装と原発は停滞し悪い日本軍もいつまでもその汚名をそそぐことは出来ない。


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