天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

戦わざるも亡国

2015-03-21 01:18:04 | 歴史
【敗軍の将は兵を談ぜず】

実はこの戦争体験者の考えがあって、口を噤んで何も語らないと言う行為を産みました。

悪辣な日本軍の不名誉な捏造話さえ、言い訳、弁解はみっともない、負けたのだからしょうがない、と受け流したのです。

大東亜戦争開戦2年前に日本はアメリカに勝てないと分析した陸軍内部の経済謀略機関があった事が戦後50年間の沈黙を経て固い口を開きました。

本人の本意とは裏腹に当時は

『戦争を阻止しようとした反戦軍人』

『敗戦を予測しながら開戦を阻止出来なかった』

などと囁かれた秋丸次朗主計中佐です。
(通称、秋丸機関)

陸軍内部にこのような冷静沈着な分析機関が存在したことも驚きですが、御前会議まで影響力
があったことも意外です。



永野修身海軍大将の、開戦数か月前の御前会議後での言葉

統帥部を代表する形で「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。

しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。

しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。

戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。

そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」と語りました。



これを言うまでの永野大将の葛藤を考えれば開戦に至る日本の本音が見えてくるのです。

第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍三長官全てを経験した唯一の軍人であり、怪物とも言われた彼は

当初は開戦に消極的であり、その見解も秋丸機関と同じく石油の備蓄は2年が限界であるとも見抜いていました。

開戦前から陸軍と海軍の温度差が敗因の一角だったのでしょう。

この怪物でさえ消極的だったものが、開戦へと転がり落ちて行く過程からも間違いなく

自存自衛の戦いであることが結論付けられます

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