729年〜749年が天平期である。
養老-桑名-四日市断層帯と呼ばれる断層が岐阜愛知三重の県境にある。
ここのボーリング調査から天平17年(745)に発生した天平地震の震源の可能性が高いと言われている。
天平6年(734)にも大地震が記録されている。
天平期735年から738年にかけて西日本から畿内にかけて大流行したが、天平9年(737年)には、当時の政治の中枢にいた藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の四兄弟が、疫病(天然痘)の大流行により相次いで死去している。
世界的に猛威を振るった天然痘は元々日本には存在しなかったウイルスであるが、中国、朝鮮半島からの渡来人の流入によって
仏教と共に入ってきた。585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が指摘されている。
後にも大流行を繰り返し東山天皇は天然痘によって崩御している他、孝明天皇の死因も天然痘との記録が残るが根絶されたのは昭和30年である。
そのほかにも、天平時代は例年旱魃・飢饉が続き、天平12年(740年)には九州で藤原広嗣の乱というクーデターまで発生している。
聖武天皇が位に付いていた8世紀前半の天平時代の日本は決して安定した状況ではなく、さながら東日本大震災とコロナウイルスの現代と重なるが、聖武天皇は仏教に傾倒していき15年(743)10月15日、大仏建立の詔によって東大寺盧舎那大仏が建立された。
左手で宇宙の知恵を表し、右手で慈悲を表しており、人々が思いやりの心で繋がり、絆を深めることを願っている姿と言われている。
その巨大さからも社会不安を取り除き、国を安定させたいという強い願いが背景にあったことは確実である。