藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  今朝も見た「愛と死の記録」

2013-02-09 08:18:46 | インポート

 この映画の冒頭の画面、何か異常だとは最初から思っていた。平和公園の鳩の群れの餌を喋むシーンである。 二匹の鳩が、他の鳩が飛び立った後に、取り残されるシーンである。

一羽は羽を異常に動かし、一羽はそれを護るかの如く毅然と立っている。

この冒頭のシーンから、「広島の被爆者の置かれた立場」を、「これから出てくる一組の男女の運命」を、表していたのである。

009 この写真の場面になると、記憶は十四歳の時点に、たちまち戻って行く。

私の十四歳の夏の一週間はこの海岸で過ごされた。 学校恒例の林間学校である。 林間学校といっても海での合宿である。正しくは、臨海学校というべきかもしれない。海越小学校で行われた。

二人の背景の岬の先に「鹿島」、その向こうに「大崎上、下島」、その向こうに四国連山の山々が見えている。 当時はまだ空気もきれいで、四国まで見えた。 夜は四国の光の中を走る列車の光さえ見えた。

この映画が公開された翌年、四組のカップルでこの海岸でキャンプをした。 当時としては広島で、そんなキャンプをカップルですれば、「不良」と言われた。 当時の親はお役所に弱かった。 教育委員会が認める「グループ活動」をしていた我々は、ある面、教育委員会を利用していた。

 昭和四十二年には既に廃校になっていたが、この海岸に面して昭和四十二年には木造の校舎が残っていた。 天候が急変した時は、利用できるよう事前に広島市の教育委員会から、使用の許可をお願いしていただき、鍵を頂いていた。 女性軍が気に入り、テントを張らずこの学校を使用させてもらった。 カップル毎、個室ならぬ個教室であった。

 だからといって、ふしだらな関係は絶対になかった。少なくとも私は。 少なくとも私はと書いたのは、その中の一組が、二年後結婚した。

そうした事を思い出しながら見ていた。涙を流しながら。

三原幸雄が他界し、和恵が「原爆の子の像」を見上げながら、「幸雄」の名を呼ぶ場面で体に電気が走った。 思い出した。地元紙「中国新聞」が始めた、「ヒロシマの記録-遺影は語る」は、その後どうなっていいるのだろうかと思いついたのだ。

PCに取り付いて検索した。皆さんもぜひ一度検索してみていただきたい。

広島市内、周辺町村の町内会を始め、各学校から学徒動員された十二歳からの子供たちや、被曝死した人々の「遺影」がズラリと並び、遺族から寄せられた「コメント」が悲しみをにじませてくる。 いたいけな十二歳の子供まで動員して、「東條英機」は一体何をしようとしたのだろうか。

今日本は、「同じ道」を歩もうとしているのではなかろうか。

「ヒロシマの記録ー遺影は語る」を、皆さんと共有できればと思う。

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深山 霞の「霞的心」  今朝も見た「愛と死の記録」

2013-02-08 08:10:59 | インポート

 今朝も三時に目が覚めた。 TVのスイッチをいれる。 DVDを入れる。 「愛と死の記録」である。 

二人が互いに名乗り合う場面は、「バンビ」という喫茶店という設定になっているが、実際の撮影は、広島市の「臍」 八丁堀交差点の東角にあった、「もん」という喫茶店の二階である。

昭和四十年代、私もよく利用した。 OLの多くが、八丁堀から紙屋町交差点にかけて勤務していたから、デイトの待ち合わせの格好の店であった。 今はもうない。

窓越しに、当時の八丁堀の喧騒が映し出されている。 しかしこの場所も昭和二十年八月六日、地獄となった場所である。

006 二人のデートの行先は、やはり平和公園である。

「峠三吉の詩碑」

ちちをかえせ

ははをかえせ

・・・・・・・・・・・。

場面は、「三原 幸雄」の未来を暗示させる。 それは現実のものとなって和恵をおそう。

私が産まれ育った、広島市の西の玄関口 「己斐」の街の北東のはずれに、女子名門校 「清心学園」が存在する。 修道院と教会が併設され、修道院の東側の壁には、「マリア」像が佇む。その真下は、嘗て「キリシタン処刑の地」であった。

しかしその「マリア像」は、広島の街をも、じっと見つめ続けている。「被爆者」の安らかな生活を願っているようにも見える。  かつてこの場所は、病に絶望した「被爆者」や、人生に疲れて 「死」を選んだ人たちの最後にやってくる場所であった。

私はこの場所で、子供の頃から多くの「死」を見てきた。 国鉄山陽本線が、走っていたからである。

この場所から、北西に1km 私の小学生生活の場であった、 「己斐小学校」は昭和二十年八月六日、五千人を超える被爆者で埋めつくされたそうである。 その中でこの場を人生の最後の場となった人々は、少なくとも二千七百人を上回る。 その内、二千二百人は、昭和二十六年八月の発掘調査まで、校庭の土の中で眠っていた。

この人々は、「自らの死」の上を走り回る子供たちの姿をどんな思いで見ていたのであろうか。 走り回っていた子供の一人が私である。

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深山 霞の「霞的心」   共有しよう柔道女子選手の心の痛み

2013-02-06 14:45:24 | インポート

TVの画面で弁護士が、女子柔道選手のみなさんからのメッセージを、淡々と読み上げるのを聞き、女子柔道界が、いや日本柔道界が、如何に人間を傷つけ、心を壊し続けてきたのか、はっきりと認識できた。

彼女たちの心のケアーは、いったい誰が行うのだろう。まさか柔道連盟は、ほっておく事はないと思いたいが、どうもそちらのような気がする。その後、前監督やコーチが辞任し、動きが少し見え始めたが、広島でゆう「お貯めぼかし」である。自浄能力なし。文部科学大臣にまでコメントを出されるようではお先が知れている。

選手たちは、海外試合に日本を離れた。

事件が最初に告発されて今日まで、幾日が経ったのだろう。JOCが、事実を知って幾日が経つのだろう。明確な行動が見えて来ない。

こうした行動力のなさは、日本人の欠点ではなかろうか。

第二次世界大戦後、日本の同盟国ドイツは、1970年周辺諸国9カ国に対し、莫大な戦後賠償を行った上で、12月のポーランドの大地に、当時のブラント総理が膝まずき、許しを乞うた。

その姿勢がヨーロッパ全国家をして、今日のEU為らしめ、盟主としての地位を与えられているのである。それも、ヒットラー統治時の11年間の罪の為にである。

かたや日本は、「明治維新」以来の東アジアへの侵略行為は、第二次世界大戦の大敗に至るまでの数十年の行為に対し、何ら保証すらすること無く、謝罪すらしていない。雨が降れば水が流してくれるくらいの気分なのであろうか。

そもそも「契約」とは、どのようにして成り立つのだろうかと、日本人は真剣に考えたことがあるのだろうか。欧米や、イスラム国家、またユダヤ国家のいずれも神と自分とが取り交わした「契約」からはじまる。自らが神に「許しを請う所」から始まり、「許しが与えられる」ことで終結する。神に召され「天国に赴く」のである。

しかし、日本国民にはそうした思想がない。だから歴史の流れを、「他国のせい」にするようである。利権をあさり、旧満州の利権のために日清、日露の戦争を引き起こし、世界を戦争の渦に巻き込んだ責任は、ほっかむりのままである。

一部の政治家には、太平洋戦争において東南アジアの植民地を開放したがごとく語る人もあるが、大間違いである。戦いに勝利していたら、「大日本帝国」の領土となっただけで、開放するなど微塵も考えていなかったはずである。

歴史を自分たちのご都合で理解する事は、もう辞めるべき時期に来たようである。

教科書検定など止めれば良い。有名進学校では、教科書は購入するが使用などしていないのが実情である。私の進学した学校でも、使用はするが中学三年生で公立高校の一年生の教科書を済ませてしまう。現に予備校では、検定教科書など使用していない。

子供たちの、背丈にあった教科書を使用しない限り、教育効果は上がらないのだ。スポーツ選手の育成にもそのことが言える。

そうした意味では、講道館柔道は効果を上げてきた。段位制がそれを可能にしていた。しかしいつの頃からその良き制度が壊れ始めたのであろう。「柔術」から「柔道」へ昇華させた嘉納治五郎はあの世からどのように見ているのだろうか。

今回の事件は、一スポーツの事件ではなく、政治的要素を大きくしてきた。大阪桜ノ宮高等学校事件とともに。

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深山 霞の「霞的心」  橋下大阪市長にエールを送る。

2013-01-17 23:57:22 | インポート

大阪市教育委員会は、委員長以下、危機管理能力が全く無いようである。未だに、顧問担当者の処分や、見て見ぬ振りをしていた副顧問、ひいては校長の処分等、未だにすることもなく、第三者による調査さえ行なわれていない状況である。

大阪市教育委員会は、一体誰に遠慮しヅルヅルと結論を先延ばしにしているのだろうか。大阪市立桜宮高校は、抜本的出直しをしない限り体質など変わりはしない。要するに政府の総辞職と同じである。

それが嫌なら、橋下大阪市長のリコール運動を行えばよい。行政の教育現場への関与は、出来るだけ無い方が良いが、今回の事犯については、私は市長を支持したい。

教育委員会の教師への処罰を含め、あまりにも遅い対応には、呆れるばかりである。それ以上に、この学校の教職員の自浄能力の無さには呆れ果てる。PTAもそうだ。おそらく長きにわたり、特定の教師や、特定のOB,特定のPTAにより、教職員が発言できない組織になってしまっているのであろう。容易に想像がつく。それは教育委員会も同然である。

私の娘が、公立中学校に進学時のことである。入学式の会場の諸手続きの場所に、強制的寄付をさせる場所が設定されており、一律当時のお金で一万円協力させられた。一度払った後、その足で校長室に怒鳴り込んだ。問い詰めると、この寄付金は、ブラスバンド部の楽器を購入するための寄付だったのだ。その場で教育長に電話し、楽器の購入予算さえ処置されていないのかと問い詰めると、処置されているという。では何故寄付金が必要なのか校長を問い詰めた。

結果は簡単である。一部のPTAの役員と、音楽教員の暴走なのだ。同じ技量の生徒ならば、良い楽器を持った方が良い音楽に聞こえる。だから良い楽器を買い揃えるために関係ない父兄からも、強制的に寄付金を集めていたのである。

もちろんこの音楽の先生には、自主的にその場で転校願った。中学生に一台十数万円のトランペットなど必要ない。プロなら別だ。その後のPTAで、集めた寄付金はクラブ活動全般に公平に配分するように、PTAの考えを改めさせた。それと同時に、ブラスバンドに支配された、PTAを役員の配分など変えてしまった。、荒れていた学校がみるみる正常化した。子供たちは特定の子供ばかり大事にされることに対し反発していただけなのである。私のような一人の人間でできることが、大阪市教育委員会に出来ないことはない。やる気がないだけである。教育委員長が、それを断行できない理由が、間違いなく存在するから、正論の市長の申し入れにたいし、答えにもならない答えしかしないのだ。すぐにはで結論がだせないそうであるが、そんなことはない。結論は最初から一つしか無いのである。

一昨日久方に、バイオリンニストの五嶋みどりさんの姿をTVで拝見した。彼女が手にしているのは世界的名器だそうで、数億円するそうである。しかし彼女の所有ではない。たしか聞き及ぶに、生命保険会社の所有で、彼女に貸し出されていろのだそうである。彼女のような、世界的技術をもつ演奏者には必要なものだが、これを一中学生や高校生が持っても、そのことで彼女が上達することなどない。その後TVで、大阪市立桜宮高校の生徒を取材した映像を心して見、生徒の意見を聞いた。

生徒が、完全にマインドコントロールされているとしか思えない。ことの善悪の判断ができていない。このような状況で、教育を受けた生徒の未来はない。もし、これを校風というならこの学校は社会に必要ない。社会の一部の人間の為に、市民の税金をつぎ込み学校を維持する必要などない。だから先日、学校のホームページを見たとき、プロ野球選手以外、これといった選手が、輩出されていないのであった。人格教育がなされていない選手など有名校は必要としない。自分たちの友が自殺して、死を持って学校ののあり方について抗議した時、それに応えるだけの、人間性が微塵も育まれていないことに、背筋が凍る思いがした。

市長も私と同じことを感じているのであろう。だから「職員総入れ替え」を教育委員会に申し入れたのだ。教育委員会は、職員を総入れ替えなどすれば学校が、立ちいかなくなると主張している。そんなことはない。教員としてプロなら「やってみせる」のが本筋であろう。新設校なら立ち上げられて、そうでないならできないなど詭弁である。

大阪市の教育委員も総入れ替えすべし。それをやらない限り同じような事件が再び大阪市をおそう。断言しておく。

ただし、清掃公社の職員の「刺青事件」とは話は別である。なぜ清掃公社職員が刺青をしているかは、市長自ら大阪市の清掃業務の実態を、一般の調査会社に依頼して、調査してみれば良い。それでも実態は、そこに報告されない可能性のほうが大きい。調査員も命が欲しいと、本当の報告はしない可能性がある。

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深山 霞の「霞的心」 「今一度初心に帰り、石綿を憂う」

2013-01-17 12:20:01 | インポート

このところ50歳代の働き盛りの、建築関係者の「肺がん」や「中皮腫」での死亡を、しきりにみ耳にする。ある日突然、病名を告げられ余命を告げられる。家族にはあまりにも、悲しい死であることであろう。昨年は私自身、仕事上知り合った人々に、出来るだけ「健康管理手帳・石綿」の取得を薦めてきた。一年に二回の専門医の健康診断が無償で受けられるからである。その数100人を超える。

私自身は、残された肺機能の維持のために、室内で「ステッパー」と呼ばれる器具を使い、朝、昼、晩の三回合計2000回の足踏みをしている。あまりにも単調な運動なので、気分を支えてくれる何かいい方法はないかと、色々試してみたが、「長渕 剛」の曲に乗ってやると割と調子よくやれることに行き着いた。

その曲の中に、「youtube.flv」をダウンロード 「西新宿の親爺の唄」というのがある。

小さな飲み屋の親爺の口癖は「やるなら今しかねー」という歌である。

確かに「やるなら今しかない」。 私に残された時間を考える時、「やるなら今しかねー。」と確かに思う。

私がみなさんのお手伝いできることといえば、建設現場のどの材料の中に、どのように石綿が含まれ、それがどの様な経路で人体に蓄積され、「肺がん」や「中皮腫」などを発症させるのかの、資料の提供くらいしかない。建設現場で働いたことのある人々に是非とも、「健康管理手帳・石綿」を取得していただきたい。ガンは早期発見が第一である。

080-6318-4554へ電話いただければご説明いたします。建設、自動車修理のすべての職種がこの制度の対象者で、「健康管理手帳・石綿」をお持ちの方が「肺がん」「中皮腫」など4種の病気を発症したとき、労災の認定がなされ、「健康管理手当」や、最悪の場合残された家族に「労災年金」が支給されます。電話への連絡は24時間可能な状態にしておきます。ご家族が建設関係や、自動車修理工場でお仕事をされた方や、その家族の方ご連絡ください。

申請書や、申請方法をお教えします。

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