広島の市内は、戦前から路面電車が走り回っていた。 原爆が投下された翌日から、一部の区間では走り始めた。 当時の運転手は、動員された女子学童でった。 その学校は、広島電鉄実科学校と呼ばれ、家政科の学校であったそうだ。 原爆で生き残られた、当時の生徒さんと力をあわせて、広島市議会に幾人も議員を送り出してきた実績がある。
その広島電鉄が、市民から「標語」を募集した。 一等当選標語が、「チンチン、ブラブラ。」というものであった。
およよ ‼‼・・・・・。驚く無かれ・・・・・・・・・。
「チンチン電車に乗って、広島の町をブラブラ歩きしよう」ということだそうだ。
社内の広告をごらんいただければ、「卑猥」な物ではないことがご理解いただけるであろう。