藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

何回忌?

2019-11-04 08:21:42 | 日記・エッセイ・コラム

 弟の法事だそうだ。 はてさて何回忌だろうかと思い始めた。 昨日の事の様にも、はたまた遠い昔の事とも思えてくる。 そんなこんなで、本日は弟の嫁さんに一日お付き合いだ。 住まいもここから車で五分、法事は寺でやることにしたそうで、それはここから一時間以上の所、廿日市市である。 昔々の津和野街道沿いの専念寺が我が家の菩提寺で、寺の境内には松並木が残っていたが、今はどうなったのか‥‥。 字名は宮内。 何処が宮内なのか、なぞの地名と言われている。 古事記には神武天皇ご一行が、一年滞在した地ではなかろうかとも言われるが、府中町の榎宮の様な証拠がない。 有るのは地御前神社と言う古式正しき神社が存在することだ。 榎宮には七年鎮座されたと言われている。 ここ宮内は、要するに厳島の対岸で、嘗てはその渡海の地であったのだ。 それにしてもなぜに弟の命日が頭から消えたのだろう。 いよいよ私も後期高齢者。 心して日々過ごさねばならない様だ。 そんな事で本日のブログは、この後更新出来るかどうか判らない。

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元の木阿弥

2019-11-04 01:22:06 | 日記・エッセイ・コラム

此の処、体の痛みはかなり改善されていたが、一昨日の無理がたたり、元の木阿弥だ。 と書きながら、「元の木阿弥」って何だと思い始めた。 詳しく意味を知らずつかっている日本語は多いい。 先程辞書を取り出して引いて、この言葉が出来たいきさつを思い出した。 元の木阿弥に戻ったのならば、ここは一つ日頃の生活を取り戻し、再び傷みが薄れるよう、頑張ろうと思うには思うが、‥…今が痛い。 「なんまんだぶつ」と思わず口ずさむ位だ。 「イデデ、イデデ」 布団の上で向きを変える時も声が出る。 薬も限界量迄飲んだ。 後は時間との戦いである。 痛み止めが飲めるのはあと五時間の後だ。 「じー」としていれば痛みは軽いが、‥‥。

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