藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

只今午後二時

2019-11-29 14:29:27 | 日記・エッセイ・コラム

 日差しが部屋の奥まで届きました。 部屋の温度は22℃、快適です。 ところで、中曽根康弘元総理が亡くなったそうだが、何と101歳だったそうだ。 昭和20年8月6日、彼は香川の連隊の事務所の窓から、広島のきのこ雲を見たと語っていたのを思い出した。 平和公園の対岸、元安川の川岸に彼の句碑がある。 根っからの軍人で、軍国主義者だった彼も、総理になったその日から毎日仏壇の前で手を合わせて、自らの判断が国を危うくせぬ様に祈ったと語っておられた。 直接言葉を交わした総理大臣の中では一番の美男子だったことは違いない。 竹下 登、 宮澤喜一 三者三様の人間性を感じたが、一番深みを感じたのは、中曽根総理だった。 目のやさしさは際立っていた。 そんな事を思い出しながら、雑炊をすすっている。 遅い昼食なのだ。 色気も無かれば食欲も無いが、食べないと薬が飲めない。 そんな午後のひと時は、ほの暖かな日差しの下で、年賀状の宛名の入力をやっていたが、何故だか保存に失敗。 二十幾人かの名簿が消えました。 「えーん」 大声で泣きたい気分。

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朝の晴れはいずこへ

2019-11-29 12:00:37 | しごとの思い出

11時には日差しが我が部屋に差し込む予定だったが、お日様は何処に御行きになったのやら、雲の影で分かりません。 あまりの寒さで、(13℃)ストーブ点火。 肺機能の低い私にはつらいが寒さには勝てません。 日差しが戻ってくれば18℃位にはなるのだが、残念無念。 西から東に雲が流れているのですが、今日は晴れの予想が少しばかり、‥…。 待ってください今突然に日が差し始めました。 雲の切れ間から明るい光が部屋の三分の一の所まで指して来ました。 予測不能な一日に成りそうだ。 植木に水もやりたいが冷え込むと可哀そうだし‥‥。 悩んでしまう私です。

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晴れれば晴れたで底冷え

2019-11-29 10:54:32 | 日記・エッセイ・コラム

深夜から晴れました。 放射冷却で窓に初めての結氷。 零度にはなっていないはずだが、面白い事が起こったものだ。 じっと観察すると、そこだけが風当りが激しい様だ。 風による冷却だったのだと気づいた。 それにしても寒さは厳しく室内で8℃。 日差しは有るが、東面の窓が小さいので、家全体が温かくはならない。十一時過ぎてやっと南の窓の日が差し込むだろうと思われる。 それまでは、「果報は寝て待て」、といっても、「果報」など来るあても無し。 今日一日どの様にして過ごすかを考えている。 布団の中で本を読もうにも手がかじかんで読めないし、パソコンの前で何かやろうと思えば、ストーブの火を付けなくてはならず、息苦しいのはごめんだし。 いささか、生きろ事の虚しさを強く感じてきた。 「目的をもって生きよう‥‥」なんて標語が有ったが、後期高齢者の半病人にはそんなものは有りません。 色気も無ければ金も無い文才も無い、無い無いずくしの老人に、何か生きがいは無い物だろうか。 

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