学徒動員で、大和に乗った著者が見たのは、二種類の職業軍人だった。 古武士の様な士官と、保身のみ考える士官が存在したようだ。 それらの指揮官の元で戦った記録と言った方が良いかもしれない。 駆逐艦に救助されて生還した著者は、終戦まで軟禁状態になっていたようである。 大和の沈没や、アメリカ軍の物量を肌で感じた人間を、野放しに出来なかったのだろう。 この本を読みながら、アメリカと言う国を考えていた。 大陸に日本の傀儡政権 「満州国」を作ったが、その満州国で、私の父は満州航空の整備教官をしていた。 満州航空に入社できたことすら不思議なのだが、小学校卒の父が、ハルピン空港長の指示で、睡眠時間三時間の猛勉強をさせられた結果入社できたそうだ。 そこからは頭の良さと器用さで、一年で整備士を指導する教官に成った。 その満州航空は、北京、大連、奉天、新京、ハルピン、松江、広島、新潟、東京に航空路を持っていたそうである。 アメリカと、戦争状態になる以前に購入した、DC-3型機と、三菱が作ったM-3が主力であったそうだ。 その飛行機を飛ばすのに必要な燃料は、なんと、アメリカのスタンダード石油から買っていたそうである。 日本がアメリカと戦争状態になっても、燃料は送られてきたそうだ。 満州国は日本ではないという考えだったそうである。 定期的に大連迄、小型タンカーが運んで来たという。 しかしその燃料の管理は厳しく、一滴も日本軍には使わせなかったそうだ。 もしそのようなことが有れば、直ちに燃料は止まったであろうと。 軍も心得ていて、手を出さなかったそうである。 万が一の時、脱出の方法は、満州航空の飛行機を使うつもりであったそうである。 日本から大陸に進出した大手企業は、大連にその主要事務所を置いていたそうだ。 そして、かなりの人間が乗れる船舶を所有していて、いざと言う時には、その船で上層部は脱出する事となっていたそうである。 そんな父の話を思い出しながら、この本を読んでいる。 現に終戦時、愛新覚羅溥儀の弟は、丹原ハルビン空港長の飛行機で松江に脱出したそうである。 戦後は竹原市で生活していたそうだ。 アメリカ資本主義の本質が見えてくる話だ。 後に東亜航空を立ち上げた松下氏も、M-3で広島へ家族と脱出した。
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