「徳富蘇峰の会」に入会して、俄か勉強を始めた。 「野ばら社」発刊の、「徳富蘇峰翁と病床の婦人秘書」をまず読んだのだが、翁の人間性が少しだけ理解でき始めた。 さてさてその次に読み始めたのが、「徳富蘇峰終戦後日記」全四巻である。
読み始めたのは良いが、翁の見識の深さに驚いている。 単なる「愛国主義者」ではない様だ。 世界列強の中での日本の存在自体を、根本から見直してみる必要性を感じ始めている。 何れにしても、全四巻を読み終えるのは、何時になるやら・・・・。 わが命の燃え尽きるのが先と言う事も有り得る。 昨日は久しぶりに、広島大学名誉教授の田中正道先生と、長々と電話で話し込んでしまった。 久しぶりの電話で、一昨年大腿骨を骨折し、未だに金具が入ったままだそうで、当分は熊本行きが出来そうにないとの事だ。 我がおんぼろ車で、一緒にいかがですかと誘ったが、まだ自信がないそうである。 80歳を迎える先生も、「徳富蘇峰の会」に入会して、俄か勉強を始めたそうである。 二人で大笑い。 英文学者が、日本のマスコミの先人「蘇峰」とは、縁がなかったことは不思議ではないが、熊本の「八雲の会」の先生方が、こぞって「徳富蘇峰の会」に参加されているので、驚いたそうだ。 昨晩、グーグル地図で、大江町の「徳富蘇峰記念館」の周辺を見ていた。 若き頃、仕事で宿泊していた、宿屋の事を思い出して検索してみたら、現在も営業している様だ。 その宿も、大江町である。 何処か縁が有るのだろう。 次回熊本に行ったならば、ぜひとも宿泊したいものだ。 熊本には、「肥後実学党」という一派がおり、その影響を受けているそうだ。 そのことと、キリスト教がどの様にかかわっているのか等々、追々に調べてみたい事が増えてきた。 それにしても、読み進めると、紐解くべき他の書物が、次々と増えそうな気がして来た。
実は私の祖母が娘時代、徳富蘇峰先生が開かれた大江義塾のあとに先生の姉婿河田精一氏が開設された絹織物工場で機織り技術を身に付け、それが後々、寡婦となって一家を支える助けになったことをよく聞かされました。そんなちょっとしたご縁もございます。
熊本は明治初期、アメリカから熊本洋学校に招いたジェーンズ(ラストサムライのモデルともいわれています)によってキリスト教教育が行われ、影響を受けたグループが後に「熊本バンド」と呼ばれましたが、徳富蘇峰先生もその一員です。洋学校閉鎖後、メンバーは同志社英学校に転校し、同志社の大きな位置を占めることになります。