秋は確実に忍び寄っている。 今年の夏は不思議と「タテハチョウ」が、我が家の庭のミヤマスミレを訪問しなかった。 訪問していたが、私の目に止まらなかったのだ。 それだけ飛来の回数が少なかったのである。三種類のタテハチョウが、例年なら終日観察できるし、ミヤマスミレの葉が全て食い尽くされるが、 今年は青々としている。 それでも彼らは遣ってきていた。 葉っぱの隅に幼虫を見つけた。
冬越しできる場所探しをし始めたようである。 風の当たらない、日のあたる天敵の居ない場所を彼らは本能的に知っているようだ。
先日以来、明治維新時の日本の人口を調べていたが、最大に評価しても3,200万人だと言う事が解って来た。 現在の日本の人口の25%しか存在していなかった。 大都市に人口が集中していると言っても、江戸時代も現代もそんなに差は無いようだ。 そもそも現在過疎地と言われる所に、人間が住んでいたかどうか解らない。 過疎地になる所は、元来あまり人のすんでいる所では無かった様である。
明治維新による経済爆発が、元来人もすまない場所までも開発していったようである。 北海道などその典型地だ。 「富国強兵」の名の元に開墾されていった。
そうした自然環境の厳しい場所が、昭和40年代から過疎化が始まり、資本家に良い様に利用された。
リゾート開発などは、少しの自然破壊であるからまだしも、それからも取り残された自治体が引っかかったのが、「原発」による地域活性政策である。見事に皆引っかかった。
国と、電力会社中心の経済界の共謀による詐欺である。 見事に国民皆が、騙された。
人類がその手で作った物で、「絶対に安全」な物はこの世に存在しないことを、皆して忘れてしまっていたようだ。 いや、著名な科学者の名を借りて、国民に「安全神話」を信じ込ませた、自民党の政治が今日のこの国の姿なのだ。
竹島も、嘗て「李承晩ライン」を主張された時に、自民党が決着を着けなかった事が今日に問題化しているのだ。
尖閣諸島にいたっては、嘗て其処が日本人が住み着き、捕鯨を行っていた土地である事さえ忘れているのだ。
昭和30年代までは、石鹸の材料として、鯨油が使用され、鯨のベーコンは庶民の味であった。 南氷洋だけが、捕鯨の場所では無かった事を忘れてしまっている。
嘗てその場所には生活の場所があり、登記簿上も持ち主が存在し、彼らが飼っていた山羊の子孫が、現在も生存している現実を、政府は国民に詳しく説明する義務がある。
ただただ日本人が、この領土問題に、冷静になっていられるのか不思議だ。 その裏には、日本の真の教育の充実が、存在する事を認識すべきだ。
横浜や神戸の中華街は暴徒に襲われないし、韓国料理店も襲われない。 況や「大使館」に於いておや である。
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