昔の話と言えば、己斐の町から広島電鉄宮島行に乗ると、20分で「楽々園」と言う停留場に着く。ここは嘗て、広島電鉄(通称広電)が経営する遊園地が有った。 戦後の子供たちのあこがれの場所で、夏はその施設の南側が海水浴場と成って、大変な賑わいだった。 この施設の中に、劇場が有り、色々な出し物がやって来た。 その中に前回紹介した「手品師」も出演していて、その芸を見た事がある。 この御仁の芸は、喉を通るものなら何でも飲み込んで、再び取り出すという芸であった。 中でも、「金魚」を飲み込んで、釣り針を飲み込み、金魚を吊り上げるという芸当を、得意としていた。 五歳の時、此の「楽々園」に海水浴に行ったら、偶々この御仁が出演していた。 裏口から入ってその芸を見て驚嘆したのを、今でも覚えている。 剃刀の刃や、スプーン、そして金魚・・・。 見事な芸だった。 それから数日たったころ、母親が「虫垂炎」になり、原爆の爆心地に有った「島病院」に入院した。 親父に連れられて、お袋の所に行ったら、かの手品師が入院していた。 父親が気が付き、事情を聞いたら、「どんな物でも、飲み込めるものなら」と、お客から手渡された小さな「瓶」を飲み込んだら、中に毒薬が入っていて、命を落とすところだったそうだ。 それは市内の劇場での事だったそうだ。 当時公演をするためには、その筋の物に挨拶しないと色々邪魔されて、大変だったようである。 それを聞いた我が親父は、当時の親分のところに乗り込んで、談判したようだ。 我が親父様は、ヤクザではない。 只々「原爆」の時に、親分の身内を助けたので、話が出来たのだそうである。 昔話はまだまだ続きそうだ・・・
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”生広島”の話なので緊迫感があり、
登場人物の構成もなかなかですもんね、
もっと読ませて下さいよ、またね。