ここが先だって紹介した石標を工事で壊した交差点です。
ここが、川筋路から福王寺路が分かれ大文字川に沿って上ると、この交差点に出るのです。
右端に見える小路がそうで、旭鳳酒造から正規な官道(191号線)とここで交わります。ここから、さらに大文字川に沿って、西に向かうのが飯室路です。
今は、道幅が広くなり、当時の面影はなくただ国道191号線という渋滞の多い路線になっています。さらに進むと、ひとつ小さな峠を越えて、昔の飯室路の残る路に分岐する交差点に出ます。
国道191号線のこの先はトンネルになっています。トンネルになる前には、これから紹介する事故が国を動かしトンネルになったそうです。事故については、以前詳しい年月日の入った小さな慰霊碑が旧飯室路の藪の中に立っていましたが、霊園が開発されたとき行方不明となり現在は、立派な慰霊碑がたっていますが、事の顛末については、何も記されていません。事故は戦前この峠を幕の内峠と呼ばれた時期に発生しました。廣島電鉄のバスが、雪道で谷に転落、乗客など十数人が、亡くなるという当時とすれば大惨事となり、そこで国が、トンネルを堀り、峠越えの路を廃止し、現在に至っています。しかし、地元の人は渋滞時の抜け道として利用しています。わたしが、写真を撮っている間もどんどん車がやってきて飯室路ならぬ抜け路、と化していました。
これが、事故の慰霊碑です。峠の頂上にあり、これを下っていくとやっと読み解いた飯室の石標の交差点に出ます。
明日からは、いよいよ加計へ向けての道筋を行きますが、途中下車しながらゆっくりと行きたいと思います。 早く風邪を治さないと、あかね様に外出禁止、一言で怒られますので、今日はここまで。
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