モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その5

2007-11-11 08:30:24 | フェルメール
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生のわけ

フェルメールは、1675年、43歳の若さで亡くなっている。
現存作品は33点とされ、プラス3点以上は真贋の決着が付いていない。
33点のうち、25点が風俗画であるが、
画家としてのスタートは、宗教的要素が強い物語画からスタートしたようだ。

今風に言えば、大画家は宗教的な物語画を描くが、オランダにはパトロンがいない。
オランダにあったのは、絵画の市場であり、画家の組合であり、顧客となる裕福な貴族ではない市民がいた。
この顧客の好みは、教会に飾る神話的な物語画ではなく、自分達を描いた風俗画のようだった。

わかったようでわかりにくい“風俗画”。
定義から確認しよう。

“風俗画”は、人々の暮らしを描いた絵であり、歴史考証では大変重要な資料となる。
人々の暮らしが、当初は脇役で描かれていたが、
主役として描かれるようになった時代がある。

日本では、安土桃山時代(1568年~1598年)から
ヨーロッパでは、16世紀後半からのオランダから

共通しているのは、おおよその年代と商業が活発化し、裕福な階層が誕生したことだろう。
つまり、平和が農産物などの生産を高め、これを流通させる商業が起こり、
裕福な階層が誕生した。
この人たちは、プレステージを誇示するために絵画の新しい購入者となり、
近代風俗画が成立した。
という。

余談だが、
わが日本では、江戸時代になると裕福な商人だけでなく庶民まで購入できた
浮世絵版画(版画印刷)へと発展し、ヨーロッパの画壇に影響を与えた。
まさに、江戸時代は、庶民にとって文化的で、最低生活水準が現在以上に高い
世界でも暮らしやすい社会ではなかったかと思う。

国立新美術館での17世紀オランダ風俗画は、
庶民の生活が描かれており、
酒を飲んで酔っ払っているおやじと飲み屋のやり手ババーと女給。
よく見ると酔っ払いの上着の財布を狙っている。
など
今見て不思議なことはないが、その当時は画期的ではなかったと思う。

自分達を主役として描いた風俗画。
その絵のテーマは、プロテスタントの教えと無縁ではなかったようだ。
また、結果的に近代資本主義の最初の芽でもあったともいえる。

偶像的な宗教画でもなく、神話的なものでもなく、
プロテスタント(=カルビン主義)の教えを具現化する、
“世俗の職業の尊さ”、“生活は質素で禁欲的であること”などの影響がある。

労働の尊さ、娯楽・休養の大切さ、羽目をはずすとポケットの財布が狙われるという教訓。
自分達が主役の風俗画は、単に絵画ではなく、
人間社会の新しいあり方を世に問うものでもあった。
と思う。
この価値観は、20世紀第2次世界大戦後にやっと花を開いたが、
フェルメールの晩年には、イギリスとの戦争で青息吐息になり、
その後の重商主義・帝国主義で、個人が主役の時代は去ってしまった。

フェルメールは、オランダが世界を制覇し、イギリスにその座を奪われるまでの
オランダの栄光と没落の時代に、オランダ南部のデルフトに生まれ育ち死んでいった。

人が生きていく生き方。
これが社会となり国となり地球となる。
この新しい生き方を描いたから、フェルメールの“牛乳を注ぐ女”は輝いていた。
17世紀オランダの風俗画家の作品も輝いているのだろう。


フェルメールとその時代のオランダ

その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展

その2:近代資本主義の芽生え

その3:遠近法は15世紀に発見された!

その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ



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