モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その7

2007-11-17 09:09:38 | フェルメール
その7:フェルメールを愛した人々&世俗のフアン

フェルメールは“サザエさん家のマスオさん”だった。
彼は、1653年カタリーナ・ボルネスと結婚し、1675年12月15日43歳でなくなるまで、妻の実家に同居していた。
彼が安心して絵を描けたのも、義母が生涯最大のパトロンであったからだ。

しかし、フェルメールの死後は、悲惨なことが多かった。
残された家族は、借金返済などで絵を手放さざるを得ず
『ギターを弾く女』 『手紙を書く女と召使』はパン代の代わりに手放し、
最も手放したくなかった『アトリエの画家(絵画芸術)』も手放さざるを得なくなった。

この調整をしたのが、フェルメールの遺言執行人(管財人)として登場した、
アントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632年~ 1723年)だ。
彼は、独学で世界ではじめての顕微鏡をつくり、
動物・植物以外に“微生物”があることを発見した、微生物学の父とも言われる。
また、いろいろ顕微鏡でのぞいているうちに、精子まで発見してしまった。
男だよね~。
彼は、デルフトの役人も勤め、フェルメールと同年齢であった。

1687年、未亡人カタリーナが死亡。
1696年、21点のフェルメールの作品がアムステルダムで競売にかけられた。

『アトリエの画家(絵画芸術)』を初め、
フェルメールの33作品という数少ない絵は、この後、数奇な運命をたどる。

1866年までフェルメールは、忘れられた過去の画家となっていた。
光を当てたのは、フランスの批評家トレ=ビュルガー。
これ以降、再評価され、取引の値段もうなぎのぼりとなった。

フェルメールの絵は、意外な人達に愛されたようだ。
たとえば、ヒトラー、テロリスト、窃盗犯、贋作作家などである。

最も意外なのは、
1974年には、フェルメールの絵『ギターを弾く女』『手紙を書く女と召使』などが盗難にあい、
テロリストとして逮捕されていたアイルランド共和国軍暫定派のメンバーを
ロンドンから北アイルランドの刑務所に移動させることを
交換条件として出してきた。
フェルメールの絵の価値は、
自分達(テロリスト)の要望を受け入れると考えた人間が企画・実行しており、
テロリスト側に、偉い人を人質にするより高い効果が期待できる。
ということだ。
世俗を超越したフェルメールのフアンがテロリスト側にいたということだろう。

贋作者に至っては、
フェルメールを誰よりも理解し、かつ、そっくり真似られる高度な技術を持ち
さらに、市場が求めるニーズを知っているという
フェルメールに同化し、さらにはフェルメールを超えたいフアンがいた。
贋作者ハン・フォン・メーヘレン(Han van Meegeren 1889-1947)だ。
フェルメールフリークが求める、フェルメールが描いていない作品を制作し、
フェルメールならこんな作品を描くだろうという評論家・専門家の想像に答えたのだ。
『エマオのキリスト』がそのピカ一の贋作だ。
というよりは、オリジナルなので、フェルメール作というブランドの盗用に該当する。
“だまされた”というよりは“信じた”落とし穴は、
フェルメール作とされている作品は33と寡作であり、しかも、宗教的な物語画が少ない。
まだ未発見の作品があるのではないかというところにあった。
この作品は、1938年ロッテルダムのボイマンス美術館が過去最高の価格で購入した。

意外性がなかったのが、ヒトラーだった。
ヒトラーは、フェルメールの大のフアンだった。
特に、『アトリエの画家(絵画芸術)』がお気に入りで、欲しくてしょうがなかった。
当然、略奪をしたのかと思ったら、
ウィーンのチェルニン伯爵家から、1940年に150万帝国マルク(66万ドル)で購入していた。
初恋の女性に口が聞けなかったというのに近い、ヒトラーの思い入れがそこにはあったようだ。
チェルニン伯爵を恫喝しようかという側近の意見を退けたようであり、
若い頃に絵描きを目指したヒトラーの、フェルメールフアン心理が出ているようだ。
成功者が田舎にモニュメントを作る例通りに、
リンツに計画していた、ヒトラー総統美術館オープンがかなわず、
『アトリエの画家(絵画芸術)』は、そこに飾られることはなかった。

フェルメールの代表作といってもよい『アトリエの画家(絵画芸術)』は、
第二次世界大戦終了後、オーストラリア・ザルツブルク近郊の岩塩坑で発見され、
1946年からウィーン美術史美術館の所蔵となった。

ウィーン美術史美術館は、フェルメールの代表作を所蔵しているだけでなく、
わたしの大好きな、ブリューゲルのコレクションがあるところでも知られている。

フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展

その2:近代資本主義の芽生え

その3:遠近法は15世紀に発見された!

その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ

その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生

その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”



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