その8:アートを描く視線、アートを欲する欲望
現在のアメリカでは、貸してはいけない人まで住宅資金を融資してしまった。
この投資・融資回収が難しい局面に至っており、
バブルがはじけそうな危ない状況にある。
何とか庶民まで巻き込まないでプロの世界で退治してほしい。
日本でもかってバブルがあった。
1986年の末から1991年2月までをバブル景気ということにするが
余剰なお金は、株・土地に向かった。
絵画などの美術品・工芸品・ブランド品など、それまで無縁だった庶民レベルまで買いあさり
“ジャパン・アズ・No1”を楽しんでいた。
著名なところでは、
1987年 安田火災海上(現損保ジャパン) が、ゴッホの『15本の向日葵(ひまわり)』を
3992万1750ドル(当時のレートで約58億円)で購入。
1990年 大昭和製紙名誉会長斉藤氏によってゴッホの代表作『医師ガシェの肖像』を
8250万ドル(当時のレートで約124億円)で購入した。
バブル期は、文化的な日本・私に、豊かさと誇りを感じ自慢することが出来た。
しかし、バブルがはじけ、以後10年は、資産デフレで苦しい思いをした。
浮かれて買ってしまった資産は、買手がいないため一気に値段が下がり、
これまでの蓄積を投げ捨てざるを得なくなった。
“汗”が“泡”となって落ちるということでは、清潔になったのだろうが、
過剰を清算するのに、戦争(破壊)・バブル(消える)・廃棄などでのクリーニングは困ったことだ。
国レベルでの覇権主義がなくなり、グローバルでのフェアーな市場が形成されれば、
ここで、清算されるのであろうか?
オランダは、近代資本主義先進国であるだけでなく、
その影としての“バブル”先進国でもある。
1602年 世界初の株式会社としてオランダ東インド会社設立から
イギリスとの覇権戦争に敗れるまでの約1世紀は
オランダが唯一の覇権国家であり、ヒト・モノ・カネが流れ込み、
バブル景気ともいえる状況のようだった。
余剰のカネは、やはり美術品にも向かったようだ。
王侯貴族しか出来なかった生活のシンボルが美術工芸品で、
時代が21世紀になっても同じだから、ヒトは、あまり進化していないのかもわからない。
或いは、生存欲求のなかで高度な欲求なのかもわからない。
こんな中で、
1637年、フェルメールが5歳の頃、世界初のバブルがはじけた。
この時期にすでにチューリップの“先物市場”があったというから驚きだ。
来年の春には、チューリップの球根をいくらで売ります・買いますなどの約束がなされ、
これが実現できないほどの異常な人気で高価格になり、
庶民を巻き込んでしまったため、売る球根がない、買うお金がないということで
破綻が起きてしまった。
日本のように、株・土地への過剰投資という、資本・生活の基本でのバブルでなかったため、影響は軽微であったようだ。
オランダというとチューリップのイメージがあるが、
原産地は、天山山脈であり、ここを支配したオスマントルコがヨーロッパに広めたようであり、
17世紀初めのオランダでは、園芸マニアだけでなく裕福な市民レベルまでチューリップ人気が広まったようだ。
マニアの市場に、生産技術の革新などがない段階でビギナーが大量に入ってくると、
無理が生じるのでチューリップのようにトラブルが発生するが、
17世紀オランダの絵画市場は、専門特化した分業体制で裕福な市民の欲求に答える
画家サイドでの生産革新があった。
具体的には、物語画、歴史画、風景画、海景画、風俗画、静物画、生物画など
一人の画家がいくつもの領域を描くことがなく、専門特化していた。
画家としての生活の維持が出来るほど絵画ニーズがあった証であり、
専門特化したからこそ、量産体制が出来たのだともいえる。
17世紀オランダの画家の絵を見るにつけ、
写実主義という近代的な視線を持ち合わせている。
客が画家を育てたのか、画家が絵画市場を読んでいたのかよくわからないが、
共通感覚として写実主義があったと思われる。
フェルメールは、ほぼ200年間忘れられていた画家だったが、
200年後になって、やっとわかってもらえたというのが良さそうだ。
17世紀オランダの画家達とは、一線を画した写実的な絵画だと思う。
これまで、
フェルメールと、フェルメールが活動した時代のオランダというテーマで書いてみたが、
1600年代なのに昨日の延長上にある感じがしてならない。
しかしながらこれは後付け的で、
地中海、バルト海から一気に世界が拡大し、
大西洋、インド洋、太平洋へという、地理の拡大は、
領土・権益の拡大という資源の拡張をもたらし、平和・豊かさではなく、戦争・競争をもたらした。
また、頭脳(知覚・認識・体系化・再現・・・・)の拡張でもあった。
15世紀からの大航海時代以降は、
世界のNEWを集め・集積・体系化する“博物学”の時代でもあり、
新たな知覚・認識・感覚のフレームを切り、構図として焼き付ける新しいアートの時代でもあった。
急成長し、膨張するオランダの世界
この社会・生活を支えるたった一人の無名の女
家事をする女(牛乳を注ぐ女)、音楽を楽しむ女(リュートを調弦する女)、手紙を読む女(青衣の女)、・・・・・・・・・
17世紀にこのような絵を描けるフェルメールは、
男女共同社会の実現などがやっと叫ばれている、21世紀を透視する目を持っていたのだろう。
いま(現在)を語るのではなく、存在を語っているので、
時間を越えたのだと思う。
フェルメールの視線形成には、
オランダ、しかも成長著しいアムステルダムでなく、没落していく古都デルフトという
舞台があったことも重要だと思った。
レンブラントは、アムステルダムで物語画・歴史画を描いた。
フェルメールは、古都デルフトで一人の女を描いた。
フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
その2:近代資本主義の芽生え
その3:遠近法は15世紀に発見された!
その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生
その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”
その7:フェルメールを愛した人々&世俗のフアン
現在のアメリカでは、貸してはいけない人まで住宅資金を融資してしまった。
この投資・融資回収が難しい局面に至っており、
バブルがはじけそうな危ない状況にある。
何とか庶民まで巻き込まないでプロの世界で退治してほしい。
日本でもかってバブルがあった。
1986年の末から1991年2月までをバブル景気ということにするが
余剰なお金は、株・土地に向かった。
絵画などの美術品・工芸品・ブランド品など、それまで無縁だった庶民レベルまで買いあさり
“ジャパン・アズ・No1”を楽しんでいた。
著名なところでは、
1987年 安田火災海上(現損保ジャパン) が、ゴッホの『15本の向日葵(ひまわり)』を
3992万1750ドル(当時のレートで約58億円)で購入。
1990年 大昭和製紙名誉会長斉藤氏によってゴッホの代表作『医師ガシェの肖像』を
8250万ドル(当時のレートで約124億円)で購入した。
バブル期は、文化的な日本・私に、豊かさと誇りを感じ自慢することが出来た。
しかし、バブルがはじけ、以後10年は、資産デフレで苦しい思いをした。
浮かれて買ってしまった資産は、買手がいないため一気に値段が下がり、
これまでの蓄積を投げ捨てざるを得なくなった。
“汗”が“泡”となって落ちるということでは、清潔になったのだろうが、
過剰を清算するのに、戦争(破壊)・バブル(消える)・廃棄などでのクリーニングは困ったことだ。
国レベルでの覇権主義がなくなり、グローバルでのフェアーな市場が形成されれば、
ここで、清算されるのであろうか?
オランダは、近代資本主義先進国であるだけでなく、
その影としての“バブル”先進国でもある。
1602年 世界初の株式会社としてオランダ東インド会社設立から
イギリスとの覇権戦争に敗れるまでの約1世紀は
オランダが唯一の覇権国家であり、ヒト・モノ・カネが流れ込み、
バブル景気ともいえる状況のようだった。
余剰のカネは、やはり美術品にも向かったようだ。
王侯貴族しか出来なかった生活のシンボルが美術工芸品で、
時代が21世紀になっても同じだから、ヒトは、あまり進化していないのかもわからない。
或いは、生存欲求のなかで高度な欲求なのかもわからない。
こんな中で、
1637年、フェルメールが5歳の頃、世界初のバブルがはじけた。
この時期にすでにチューリップの“先物市場”があったというから驚きだ。
来年の春には、チューリップの球根をいくらで売ります・買いますなどの約束がなされ、
これが実現できないほどの異常な人気で高価格になり、
庶民を巻き込んでしまったため、売る球根がない、買うお金がないということで
破綻が起きてしまった。
日本のように、株・土地への過剰投資という、資本・生活の基本でのバブルでなかったため、影響は軽微であったようだ。
オランダというとチューリップのイメージがあるが、
原産地は、天山山脈であり、ここを支配したオスマントルコがヨーロッパに広めたようであり、
17世紀初めのオランダでは、園芸マニアだけでなく裕福な市民レベルまでチューリップ人気が広まったようだ。
マニアの市場に、生産技術の革新などがない段階でビギナーが大量に入ってくると、
無理が生じるのでチューリップのようにトラブルが発生するが、
17世紀オランダの絵画市場は、専門特化した分業体制で裕福な市民の欲求に答える
画家サイドでの生産革新があった。
具体的には、物語画、歴史画、風景画、海景画、風俗画、静物画、生物画など
一人の画家がいくつもの領域を描くことがなく、専門特化していた。
画家としての生活の維持が出来るほど絵画ニーズがあった証であり、
専門特化したからこそ、量産体制が出来たのだともいえる。
17世紀オランダの画家の絵を見るにつけ、
写実主義という近代的な視線を持ち合わせている。
客が画家を育てたのか、画家が絵画市場を読んでいたのかよくわからないが、
共通感覚として写実主義があったと思われる。
フェルメールは、ほぼ200年間忘れられていた画家だったが、
200年後になって、やっとわかってもらえたというのが良さそうだ。
17世紀オランダの画家達とは、一線を画した写実的な絵画だと思う。
これまで、
フェルメールと、フェルメールが活動した時代のオランダというテーマで書いてみたが、
1600年代なのに昨日の延長上にある感じがしてならない。
しかしながらこれは後付け的で、
地中海、バルト海から一気に世界が拡大し、
大西洋、インド洋、太平洋へという、地理の拡大は、
領土・権益の拡大という資源の拡張をもたらし、平和・豊かさではなく、戦争・競争をもたらした。
また、頭脳(知覚・認識・体系化・再現・・・・)の拡張でもあった。
15世紀からの大航海時代以降は、
世界のNEWを集め・集積・体系化する“博物学”の時代でもあり、
新たな知覚・認識・感覚のフレームを切り、構図として焼き付ける新しいアートの時代でもあった。
急成長し、膨張するオランダの世界
この社会・生活を支えるたった一人の無名の女
家事をする女(牛乳を注ぐ女)、音楽を楽しむ女(リュートを調弦する女)、手紙を読む女(青衣の女)、・・・・・・・・・
17世紀にこのような絵を描けるフェルメールは、
男女共同社会の実現などがやっと叫ばれている、21世紀を透視する目を持っていたのだろう。
いま(現在)を語るのではなく、存在を語っているので、
時間を越えたのだと思う。
フェルメールの視線形成には、
オランダ、しかも成長著しいアムステルダムでなく、没落していく古都デルフトという
舞台があったことも重要だと思った。
レンブラントは、アムステルダムで物語画・歴史画を描いた。
フェルメールは、古都デルフトで一人の女を描いた。
フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
その2:近代資本主義の芽生え
その3:遠近法は15世紀に発見された!
その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生
その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”
その7:フェルメールを愛した人々&世俗のフアン