モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・インボルクラタ(Salvia involucrata)の花

2009-07-21 08:00:37 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・インボルクラタの花


メキシコ原産の「サルビア・インボルクラタ」は、
半日陰の森の片隅で木々に邪魔されても斜めに傾斜して伸び大株に育つ。
その最大の特色は、絵本から抜け出したような桃色といっても良い球状のつぼみのようなものをつけるが、これは、花を包むように覆っている苞(ほう)で、この中から筒状の桃色をした花が登場する。

英名では“ローズリーフセージ(Rosy-leaf sage)”と呼ばれ、もう一つの特色であるバラのような葉を持ったセージと名付けられている。
確かに、赤紫の茎と黄色が入った鮮やかな緑の葉は、なかなか新鮮な緑色でもある。


1793年にスペインの植物学者カバニレス(Cavanilles, Antonio José(Joseph) 1745-1804)によって発見され命名される。
彼のことは、サルビア・パテンスで紹介しているので、参照していただきたい。

この「サルビア・インボルクラタ」は、耐寒性が弱いが関東以西では戸外でも栽培できる。草丈が100㎝以上と大株になるので、春先に摘心してつめるか株間を取る。

(写真)サルビア・インボルクラタの立ち姿
        

サルビア・インボルクラタ(Salvia involucrata)
・シソ科アキギリ属の半耐寒性がある多年草。強い霜に当てなければ、戸外で越冬可能。
・学名は Salvia involucrata Cav.。種小名のインボルクラタは、花を包み込む苞葉を意味する。英名がローズリーフセージ( Rose-leaf sage)。
・原産地は、メキシコから中央アメリカ。森の半日陰に生育。
・草丈100-150㎝、カブ張り1.5mと大株に成長する。摘心で草丈を調整する。
・開花期は、夏から晩秋。桃色の苞(ホウ)につつまれた蕾の中から鮮やかな桃色の花が咲く。
・耐寒性はやや弱いが暖地なら越冬可能。性質は強健。枝が斜上しやすい。繁殖は挿し木。

命名者Cavは、スペインの植物学者・マドリッド王立植物園の園長のカバニレス(Cavanilles, Antonio José(Joseph) 1745-1804)で1793年に命名する。サルビア・パテンス、ジャーマンダーセージ、ルッコラなどの命名者でもある。

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サルビア・シナロエンシス(Salvia sinaloensis)の花

2009-07-20 08:56:39 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・シナロエンシスの花


学名が「サルビア・シナロエンシス」、流通では「コスミック・ブルーセージ」で通っている。

赤紫の茎と緑の中に赤紫が入った葉は、原産地メキシコのシナロアの山麓の地肌にあわせて目立たない存在となっているが、そこから茎が伸び、最初は倒れ気味に、そして徐々に直立する。

その茎の周りに輪状につぼみがつき、陽の当たる方向から開花する。

花は、5~10㎜程度と小さいが、濃いブルーが陽に当たりさらに青を増す。
花びらの中央に白い線が二本入り、遠くから見た飛行機の着陸誘導線のようでもあり、蜂たちに蜜のありかに誘っているかのようだ。

サルビア・シナロエンシスは、草丈15~20㎝程度で横に広がる。
グランドカバーとしても利用され、秋ごろから赤紫に染まった葉にも魅力がある。

この花は、1897年にアメリカのボタニスト、ローズによって発見採取されたが、英国・フランスの庭にお目見えしたのが1980年代からのようであり、日本での普及はこれよりも遅れてつい最近のことのようだ。

(写真)サルビア・シナロエンシスの葉と花
        

サルビア・シナロエンシス(Salvia sinaloensis)
・シソ科アキギリ属の半耐寒性名多年草。
・学名は、Salvia sinaloensis Fernald。英名がシナロアセージ(Sinaloa sage)、シナロアブルーセージ(Sinaloan Blue Sage)、流通名が、コスミックブルーセージ(Cosmic blue sage)。
・原産地はメキシコのシナロア州。それで、シナロエンシスといわれる。
・花の時期は6月~10月。夏休みがあり秋にまた咲き始める。
・草丈 30cm ~ 50cm でほふく性がある。グランドカバーとしても美しい。
・半耐寒性の多年草だが、関東では戸外で越冬する。ただし、マルチングする。
・日あたり、水はけがよく、軽い乾燥した酸性土壌を好むのでピーとモスを混ぜるとよい。
・葉は、秋には紫色を帯びる。

命名者:
Fernald, Merritt Lyndon (1873-1950)
アメリカの植物学者、17歳でハーバードの植物学教授A・グレイのアシスタントを務め、1897年の卒業語は教師として大学に残る。北東部アメリカの植物相の権威となりハーバード大学のグレイ植物園の責任者を務める。

        

サルビア・シナロエンシス発見にまつわる人々
メキシコのシナロアで発見されたので、シナロアセージとも呼ばれるが、発見者はローズ(Rose, Joseph Nelson 1862-1928)で、この花が最盛期の1897年7月Sierra Madreの山麓にあるシナロアで採取した。

彼は、米国の植物学者で、米国農務省で働き1896年にはスミソニアン博物館の副館長になる。また、国立博物館に雇用されている頃には、サボテン、パセリなどを含む領域でのアメリカでの権威となり、メキシコ探索をたびたび行い、採取した標本をスミソニアン博物館、ニューヨーク植物園に提供した。
この中にS.シナロエンシスが入っていた。

わき道にそれるが、
ローズは,サボテンに関して、最初のニューヨーク植物園長であるブリトン(Nathaniel Lord Britton 1875-1934)との共同研究を行い、その植物画を描いたのは、英国生まれのMary Emily Eaton (1873-1961)だった。

彼女は、イングランドのサマーセットにある美術学校を卒業し、1911年~1932年までニューヨーク植物園にアーティストとして採用される。
彼女が描いたサボテンの植物画はサボテンの魅力を高める素晴らしい絵となっている。
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松江の味『皆美(みなみ)』の「鯛めし御前」

2009-07-19 06:32:41 | グルメ
「鯛めし」というものはいろいろあるものだと思った。
これまでは、焼いた鯛を炊き上がったご飯に乗せ、小骨を取り身をほぐし混ぜ合わせた炊き込みご飯のようなものだとばかり思っていたが違ったものもある。

島根県松江といえば、小泉八雲が1890年から居住し、翌年小泉節子と結婚し「八雲立つ出雲の国は・・・」から日本名を付けたと知られているところだが、ここには古い格式のあるいい旅館があることを何かの折に聞いていた。

名前を忘れていたが『皆美館(みなみかん)』というそうだ。

東京では御茶ノ水にある「山の上ホテル」もそうだが、文人・作家が静養なのか原稿書きでのカンヅメなのかわからないが逗留する隠れ家のようなところのようだ。
カンヅメされるほうとしては、逃げ出したい欲求との格闘でつまらないことにいちゃもんをつけてしまうが、こじんまりしていて落ち着けてうまいものが食べれるところだと我慢しやすい。こんなわがままに答えられるところが『皆美館』のようだ。

日本橋でお昼を食べるつもりで友人に聞いてみたら、この「皆美」を薦められ松江の老舗旅館だということを思い出した。

きっと、納得できる和食が食べれるだろうという期待感が高まり、さらに、珍しいものがあれば申し分ないと思い行ってみた。

お店の場所は、地下鉄日本橋で降りてすぐのコレド日本橋ビルの4階にある。
このビルは、高層のオフィスビルと5階までの商業ビルで成り立っている。4階以外は特別によさそうな店が入っている感がなかったので、日本橋の集客力が停滞しているのかなと思った。

『皆美』の名物は、「鯛めし」だが、“鰻まぶし”“鮎めし”など魅力的なものがあった。多少迷ったが、「皆美家伝の鯛めし」を頼んだ。

(写真)鯛めし御前


(写真)鯛のデンブと薬味(そば具)


(写真)だし汁をかけて鯛茶


何が変わっているかというと、鯛の影も形もなくデンブになっていて卵の黄身、白身と別々に山に盛ってあった。
これをお茶碗に盛り付け、独特のだし汁をかけて茶漬けとして食べる。
ワサビ、海苔、大根おろし、万能ねぎを薬味としてちらし、ワサビがピリッと上あごを刺激して淡白な味に活を入れる。

良く聞こえなかったが、一通りの作法をセットする間に由来に関して仲居さんから口伝があった。後で調べるとこんな内容だった。
“江戸文化文政時代の頃、松江藩七代藩主松平不味公、この人は不味流の茶道の開祖のようだが、消化のよい汁かけご飯が好きでそば具と呼ばれた調味料を工夫していたようだ。ちょうど長崎帰りの用人がオランダ料理を持ち帰りこれを工夫してそば具と汁かけをミックスして日本風の御殿料理に仕立てたという。”

『皆美』は明治21年に創業し、初代の板前長がこの汁かけご飯を「鯛めし」として考案し家伝料理として伝承したという。

確かに御殿料理として洗練されていた。

私の理解では、これは「鯛茶づけ」であり「鯛めし」とは言わないが、新橋の『宇和島』などにも「鯛めし」というのがあり、これは生の鯛の刺身を汁と一緒にぶっ掛けて食べる野趣あふれるものがある。瀬戸内の海賊が考案したというから荒削りだが無駄な様式がない。

「皆美の鯛めし」「宇和島の鯛めし」とも甲乙つけられないが違いがあって面白い。


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スイートバジル(Sweet basil)の花

2009-07-17 08:05:20 | その他のハーブ
久しぶりの雨、雨がうれしい時期になった。これで水遣りの時間が減り、朝まで飲んでも安心できる。
それにしても、朝のニュースは自民党の悪あがきばかりが続き、真剣なあがきは美しいが、いい加減にしろといいたいくらい醜さが出てきた。
両議員総会開催に署名した名簿が今朝の新聞に出ていたが、まっとうな人も署名していたようだ。これを防ぐ派閥のドン達は字自体が間違っていて世論に“鈍”なのではないかと思った。長すぎることは知恵が出る一方で“鈍”になるのだろう。

“鈍”達の目が覚めるように今度の選挙で何とか処理して欲しいと思ってしまった。特に森元首相、町村元官房長官の派閥は、森、小泉、安倍、福田と四人の首相を出し、麻生首相を支えている。この十数年の期間を結果としてミスリードしてきたリーダーたちであり失われた十数年の結果責任をとる人たちでもあると思う。この派閥のリーダー達の退場を望みたい。

(写真)スイートバジルの花


さて、気分を変えて、
バジル(basil英語)、バジルコ(Basilicoイタリア語)とも呼ばれる「スイートバジル」は、インドが原産地といわれ、その香りと繊細な味は古来より“ハーブの王様”として愛されてきた。
1753年にリンネによって命名された学名自体が、“気高い香り”、“香りの王様”を意味している。

そのためか、花に注目されることもなく、葉を食するためには花穂が出たらカットせよというのが申し伝えられている。
確かに、花が咲くと栄養分がここに集中して使われるので、葉がやつれる。
が、何と控えめで清潔な花ではないか?

この「スイートバジル」は、抗菌成分がありコンパニオンプランツとしても利用される。確かに、「スイートバジル」のある周辺の植物は虫がつかず病気にもならず元気であり効果がありそうだ。

生の葉は、トマト・ナス・チーズ・ニンニク・オリーブオイルとの相性がよく、王様のような味を生み出すので“オウサマグサ”とも呼ばれる。また“アタマグサ”とも呼ばれ、食べたものの消化を良くし冴えた頭にしてくれるのでそう呼ばれるという。

“鈍”達にプレゼントしたい効果効能を持っているので、今度の選挙が「スイートバジル」になるのだろう。
暇になれば、イタリア料理を作って愉しむのも一考だ。

とりあえず、今日の朝は、「スイートバジル」とトマトのサンドイッチを作ってみよう。

(写真)スイートバジルの立ち姿
        

スイートバジル(Sweet basil)
・シソ科メボウキ属の非耐寒性の一年草
・学名は、Ocimum basilicum.L.。属名は、香りの良いを意味するギリシャ語に由来し、種小名は、ギリシャ語で気高い・王様を意味する。
・英名は、Sweet basil、Common basil。バジリコ(Basilico)はイタリア語。
・原産地は、熱帯アジアで、インド原産と推定される。
・草丈40-50cm、茎の断面は四角で葉は対生し、中心が膨れ上がったような卵形の形状をする。
・開花期は7-10月で、シソに似た花穂を出し白い小花を輪生する。
・料理用のハーブとして使う場合は、花穂が出てきたら開花させずに切り戻す。
・葉にはスパイシーな香味があり料理用ハーブとして人気があるが、抗菌性成分があるのでコンパニオンプランツとしても利用される。
・肥沃で水はけのよい土壌で日当たりの良いところで管理する。
・日本には江戸時代の後期に入ってきて、和名は「目箒(メボウキ)」と呼ばれた。種子を水に浸すとゼリー状になるのでこれで目に入ったゴミを取り除いたことに由来する。
・トマト、ナス、チーズ、ニンニク、オリーブオイルとの相性がよい。バジルビネガー、バジルオイル漬けなどを作っておくと調味料として便利だ。

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ペラルゴニウム・シドイデスの花

2009-07-16 08:48:12 | ペラルゴニウム&ゼラニウム
(写真)ペラルゴニウム・シドイデスの花


この花は、ブログ仲間の方からいただいた。

ロゼット状に根だした灰緑色の葉、そこから伸びる長い花穂、その先にいくつかのつぼみがついていて、2cm程度の濃い紫色の小花が咲いた。
写真を撮ろうと思ったら風に吹かれて散ってしまっていたので、室内に取り込み風に当てないようにして育てている。

原産地は南アフリカのケープ地方での原種系のペラルゴニウムであり、園芸品種のように人の手が入っていない味わい深いところがある。

砂岩の多い草原で乾燥した乾いた空気のところが自生地のようであり、日本の夏の高温多湿には弱いところがあるので、夏場は風通しの良い半日陰で育てた方が良さそうだ。ということは、地植えよりも鉢植えの方が適している。

この原種の発見者はわかっていないが、命名されたのが1824年であり、キュー王立植物園のプラントハンター第一号、フランシス・マッソン(Francis Masson1741-1805)がロンドンにもたらした多数の南アフリカ原産のゼラニウム(後にペラルゴニウムに属名を変更)の中には入っていなかったのかもわからない。

この「ペラルゴニウム・シドイデス」のユニークなところは、南アフリカの原住民ズール族が扁桃腺、気管支炎、肺炎などの呼吸器感染症の薬草として使われてきたというところにあるという。

この効果の再発見は、1920年代にイギリス人のチャールズ・スティーブンズ(Charles Stevens)によってなされた。彼自身がわずらっていた結核が、原住民の療法士からもらったこの植物の根だし汁で完治したという。

新型インフルエンザのワクチンが話題になるが、「ペラルゴニウム・シドイデス」もその薬効としてインフルエンザ対策に役に立ちそうであり、また脚光を浴びているようだ。

(写真)「ペラルゴニウム・シドイデス」の立ち姿
        

ペラルゴニウム・シドイデス
・フウロソウ科ペラルゴニウム属の半耐寒性多年草
・学名:Pelargonium sidoides DC. 。属名のペラルゴニウムは“コウノトリ”を意味する。種小名のシドイデスは、Sida rhombifolia(和名キンゴジカ、金午時花)の葉に似るので名付けられたというが、似ているとは言いがたいので疑問が残る。
・南アフリカに自生する原種系のペラルゴニウムの1種。石の多い砂地の草原に自生する。
・草丈30-50cmで、根元からロゼット上に灰緑色の葉が伸び、長い花穂とあいまって美しいコウノトリの姿を形作る。
・開花期4-8月で、濃紫色の小花を咲かせる
・日当たりの良いところで乾燥気味に育てるが、夏場は半日陰で育てる。


命名者DC.
スイスの植物学者ドゥ・カンドル(Candolle, Augustin Pyramus de 1778-1841)であり、彼に関しては、「ノアザミ」のところで記載したので参考にされたい。

この品種の命名者になったのは、若かりし頃パリで『ゼラニュウム論』を書き南アフリカのゼラニュウムを“ペラルゴニウム”に代えたレリチェール(L'H ritier de Brutelle 1746~1800)と親友であったことも影響していよう。

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オレガノ ケントビューティ(Origanum 'Kent Beauty')の花

2009-07-15 09:36:29 | その他のハーブ
(写真)花オレガノ、ケントビューティの花


オレガノは種類が多く、大きくは3つに分かれる。
.「オレガノ」、「ワイルドマジョラム」と呼ばれるオリガヌム類
このグループは、耐寒性があり消化を促進するハーブとして使われる。料理用としては乾燥させて使うとよい。

.「スィートマジョラム」を代表とするマヨナラ類
料理用として生で使う時はスイートマジョラムが最高の味を作り出す。

3.そしてこれから紹介するアマラクス類の「オレガノケントビューティ」。
アマラクス類は、花オレガノとも呼ばれるように、花や苞葉がきれいで園芸種として観賞用で育てられている。

「オレガノ‘ケントビューティ’(Origanum 'Kent Beauty')」は、オリガヌム・スカブルムとオリガヌム・ロツンデフィルウムを交配した園芸品種で、横に伸びる茎と葉、そして花を包む苞葉が美しい。

「ケントビューティ」の作出者推定
作出は、不確かではあるが、英国南東部に位置するケントにある「Washfield Nursery」のエリザベス・ストラングマン(Elizabeth Strangman)のようだ。

今日のクリスマスローズ作り出したのは彼女と、同時代のイギリスの女性育種家ヘレン・バラード(Helen Ballard ?-1995)によって新しい品種改良がはじめられたので、彼女達なしには出来えなかったといわれる。

彼女のクリスマスローズでの貢献は、グリーンスポットの「オールド・アグリー(Old Ugly)」濃い青紫色の「クイーン・オブ・ザ・ナイト(Queen of the Night)」「リトル・ブラック(Little Black)」などを作出した。

また、1971年には、モンテネグロ(旧ユーゴスラビア)で、H.トルカータスの八重咲き変異個体「イーニアス(Aeneas)」と「ダイドー(Dido)」を発見し、後に、イギリスの育種家ブラックソン・ナーセリー(Blackthorn Nursery)のロビン・ホワイト(Robin White)が、このダイドーを交配種につかって小輪多花性の八重咲き系統「パーティドレス・グループ(Party Dress Group)」を作出している。

これだけの技術を持っているので、「ケントビューティ」を確実に作出したかは確認できなかったが、オレガノの品種改良も行った痕跡があった。

(写真)オレガノケントビューティの葉と花


オレガノ ケントビューティ(Origanum 'Kent Beauty')
・シソ科オリガヌム属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Origanum 'Kent Beauty'。
・ハイブリッド種で親は、トルコ原産の「オリガヌム・ロツンデフィルウム」とギリシャ原産の「オリガヌム・スカブルム」とを交配した園芸種(O. rotundifolium_ × _O. scabrum)
・草丈は、横に広がり30~50cm。高さは、10センチ程度。
・開花期は、7月~8月。
・花の色は薄い赤紫。花のように見えるのは苞で大きく房のように広がる。
・高温多湿が苦手なので、乾燥気味に育て、夏場は風通しがよい半日陰に置く。
・花が終わったら切り戻す。新しい芽が出るので5センチぐらいを残して切っても良い。
・酸性土壌を嫌うので、植え付け時に苦土石灰を入れると良い。
・ハーブではないので、観賞用で楽しむ。

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カラミント(lesser calamint)の花

2009-07-14 06:03:53 | その他のハーブ
(写真)カラミントの花


梅雨が終わる頃から「カラミント」の花が咲き始める。
この花を見るたびに、夏なのに両手を広げた愛嬌のある“スノーマン・雪だるま”のように感じる。

品種的には、白い花が咲くカラミントをレッサーカラミント(学名Calamintha nepeta)といい、薄い赤紫色の花が咲くのはコモンカラミント(学名Calamintha Officinalis)と呼び、こちらが基本種となる。

カラミントのことを、英名では“lesser calamint(レッサーカラミント)”と呼ぶ。
レッサーパンダが有名だが、この場合はジャイアントパンダに対して呼ばれているように、“レッサー”は、何かよりも小さい・劣っていることを意味する。

何かといえば、ミントと較べて劣っていることをさしているが、能力的には侮れない実力があるという。
古では強心剤として使われていたようなので、気休め以上の効果は有していたのだろう。

ということは、よくわからない場合は手を出さないほうが良いということだろう。
これ以上心臓だけを強くして長生きしてしまったら困ったことになってしまうかもわからない??
リスクが何かということを吟味しない限り、リスク回避は出来ない。
いまの時代は長生きが最大のリスクのようで、脳死が人の死であるという考えに賛成票を入れたい。延命装置を使用しないように遺言を残しておこう。

(写真)カラミントの立ち姿
        

カラミント(lesser calamint)
・シソ科カラミンタ属の耐寒性多年草。
・学名は、Calamintha nepeta (L.) Savi 。英名は、lesser calamint。
・属名のカラミンタ(Calamintha)の名前の由来は、ギリシャ語での“美しい”と“ミント(はっか)”の合成語に由来する。
・原産地は、南欧からトルコ、コカサス、ウクライナ地域
・草丈は50cm。葉からは、ミントの結構強い芳香がする。
・開花期は初夏~8月、細い枝に白い花が密集して咲く。
・半日陰でも生育する。
・やや乾燥したアルカリ性の土壌が適している。
・花後に思い切った刈り込みをする。(1/2~1/3)
・株分け・さし芽などで殖やす。
・料理での利用は、生の葉を少量きざんで、マリネ、サラダ、魚介類の料理に入れる。


学名の命名者
カラミントの学名の命名者は、イタリアの植物学者 Savi, Gaetano (1769-1844)。ピサ大学教授およびピサ植物園の園長でもあり、トスカーナ地方の薬用植物を記載した『Materia medica vegetabile toscana』(1801年)は美しい銅版画だそうだ。
コレクター
Sandwith, Noel Yvri (1901-1965):以下に紹介。

        

カラミントのコレクター・採取者は、
えらく長々しい名前の英国人 Milne-Redhead, Edgar Wolston Bertram Handsley (1906-1996)だ。
エドガー・ミルン-レッドヘッドは、1933年8月に英国グロスターシャ州のがけの上でカラミントを発見し採取した。
彼は、アフリカなどで数多くの新種を発見した著名なコレクターであり、環境保護活動者としても知られている。
ケンブリッジの大学卒業後にキュー王立植物園にもぐりこんだが、しばらくは地位も給与もない時が続き、植物好きの情熱がアフリカの植物相調査で花開いた。

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ロシアンセージ(Russian sage)の花

2009-07-13 07:58:52 | セージ&サルビア
(写真)ロシアンセージの花


「ロシアンセージ」の原産地は、山岳地帯でもあるアフガニスタンの北東部。
山と山の間を絹の道(シルクロード)が通り、いにしえは隊商が行きかう繁栄したところで、この路傍に咲いていたという。

谷間といっても標高3千メートル以上もあるところであり、苛酷な自然環境に磨かれたたくましさがあり、乾燥に強く耐寒性も強いが、日本の高温多湿には弱い。

だが、丈夫なことは間違いない。
ほおっておくと大株になるので、春に新芽が出たところで摘心をする。

梅雨時になると、透きとおった青紫の花が咲きはじめ、茎の頂上を目指して駆け上がる。

灰緑色の切れ込みのある葉と茎。そこにわずか10㎜に満たない盾と矛を思わせるような小花が咲き、薄青く霞んだような情景を作り出る。

セージの名がついているが、セージが属するアキギリ属ではない。
セージに似た薬臭い香りを発するので、(ロシアン)セージと名付けられた。

(写真)ロシアンセージの立ち姿
        

ロシアンセージ(Russian sage)
・シソ科ペロフスキア属の耐寒性がある落葉性の低木。アキギリ属ではないのでサルビアではない。
・学名は、Perovskia atriplicifolia Benth.。英名がRussian sage(ロシアンセージ)
・原産地は、アフガニスタン、イランなどの陽が当たる茂みに生育。
・草丈は、1~1.5mだが、摘心をすると50~60㎝に出来る。
・透きとおった青紫の小花が7月~10月頃まで咲く。
・葉は灰緑色の切り込みがある。花壇の奥とか縁取りに適している。
・乾燥に強いが多湿には弱い。
・毎春根元から刈り込む。

名前の由来
属名のperovskiaは、ロシアの将軍で政治家ペロフスキ、V. A. Perovski (1794-1857). または、BA Perovskiの名前に因む。
種小名のatriplicifoliaは、ラテン語ハマアカザに似た葉atriplici+folia。(folia葉leaf)

命名者:Bentham, George (1800-1884)は、英国の植物学者
コレクター:Grey-Wilson, Christopher (1944-) 以下に紹介。

        

発見者グレイ=ウイルソンとラピス・ラズリ
ロシアンセージは、アフガニスタン北東部にあるBadakhshan州で、1971年に英国人のグレイ=ウイルソン(Grey-Wilson, Christopher 1944- )などによって発見された。

クリストファー・グレイ=ウイルソンは、ヒマラヤを中心としたアジア、ヨーロッパの山岳の植物相を調査した探険家で、カーティスのボタニカルマガジンの編集者、キュー王立植物園の科学主任、カメラマン、ライター、園芸家、探検家でもあり、科学的な思考も有し、これらを統合したビジュアル化された植物図鑑を出版している。
クレマチスの分類体系の提案者としても知られている。

20世紀にはいると、植物相探索のフロンティアは、さらに極限に向かい、ヒマラヤ・アルプスなどの高山植物になった様子が伺える。

グレイ=ウイルソンたちがロシアンセージを発見したアフガニスタン北東部にあるBadakhshanは、古代からシルク交易で重要な道が交差するところで、ラピス・ラズリ(Lapis lazuli)の産地としても知られている。
このラピス・ラズリは、フェルメールが愛したブルーの原料であり大変高価でもあった。

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ザクロ(石榴)の花と鬼子母神

2009-07-12 05:34:58 | その他のハーブ
いつか「ザクロ」を書いてみたいと思っていたが、日本料理の「ザクロ」という店に行きやっと書くチャンスにめぐり合った。

(写真)たくさんの花がついたザクロの花木


「ザクロ(石榴)」伝播の謎
「ザクロ」は、イランからヒマラヤの乾燥した石の多い荒れ地が原産で、ブドウと同じぐらいに最も古い果実であり、その伝播にはシルクロードのロマンの香りがする。
<シルクロードに関心のある方にお奨めのサイト>
憧れのシルクロード ~熱き想いの旅2万キロ~

「ザクロ」は、シルクロードを通じて東西の社会に流通していったのだろう。と思っていたが、相当に古い果樹であり、鳥が運んだこぼれダネから最初に広がっていったというのが実際的なようだ。

というのは時代考証もさることながら、ラクダ一頭が運べる荷物は270-300kg程度のようで、炎天地を長時間かけまた山賊などの襲撃というリスクを含めて収益を上げるには、高価なものを運ばないとコストを回収できないという現実がある。

ドウ・カンドルの『栽培植物の起源』では、コカーサスまでは鳥が運んだ自生種のようであり、その西方地中海沿岸では栽培品種であり、果実だけでなく多目的に利用がされたので人が育て運んだようでもあり、シルクロードの最西端は利用されたのだろう。
そして「ザクロ」は、ラクダ隊商の旅の渇きを癒す貴重な果実でもあったのだろう。

「ザクロ」は、果肉は食用として、果汁はこの時代の宝物“銅の鏡”を磨く液剤、果皮は染料、樹皮は寄生虫駆除の薬としても使われていたようなので、イランからの西側では栽培植物として発展したが、東側の最端日本では早い時期から観賞用の花木として江戸期からは盆栽になり食されることはあまりないようだ。

この日本へのルートは、中国経由で伝播したようだが年代が良くわかっていない。
卑弥呼の時代に既に日本に入っていたという説もあるが、記録に登場するのは『本草和名』(918年頃、醍醐天皇の侍医・深根輔仁編纂)に“安石榴和名佐久呂”として初めて現れる。

中国に伝播したのは、紀元前二世紀の前漢時代の外交官で匈奴包囲網を築くためにカスピ海近辺に住んでいた大月氏に派遣された張騫(?-紀元前114年)が西域の安石国(サマルカンド)からもたらしたといわれ「安石榴」と呼ばれた。

しかしこれも伝説かもわからない。
出発のときに100人ぐらいいた一行が戻りえたのは2人ということと、「ザクロ」が中国の文献に登場するのは三世紀以降のようであり時期が確定されない。

ただ、張騫が旅した西域で四川の植物(竹)と布を発見し、出所を確認するとインドの商人が流通させており、中国、ビルマ、インド経由で西域との交流が既に出来ていたようなので、逆のルートで入ってきた可能性がある。

卑弥呼の時代(175?-248年)に日本に入ってきてもおかしくはなさそうだ。

(写真)ざくろの花


植物としての「ザクロ」
「ザクロ」の花は、花弁が6枚、萼も6枚で星型を形どる。この6枚づつの花は数少なくミソハギ科の「サルスベリ」など少数しかない。
(ついでに、「ミッショーがアメリカに持って来た植物(サルスベリ)の謎解き」)

果実も変わっている。
果実の皮は硬くその頭部には萼片が小さく球になって残り、熟すると紅色に染まり皮が炸裂し、中から薄紅色の種子がゼリー状のようなものに包まれて現れる。
しゃぶると甘酸っぱく果汁があふれる。

ザクロ科には一属しかなく、そのザクロ属には二つの品種しかないというから特異性が多く似た植物がないという稀有な植物だ。

鬼子母神伝説と子供たちの未来
このザクロの炸裂した状態が人肉に似ているところから、“鬼子母神伝説”が出来たのだろう。
人肉を食らう鬼子母神がブッタに帰依し子供を食べる代わりにザクロを食べ、世の子供を守る神、安産の神、子宝を授ける神となったという話だが、鬼子母神を祭る寺院の境内には「ザクロ」が必ずといってよいほど植えられている。

植物的には珍種であり忘れられている存在のような気もするが、子供を保護する神がついている「ザクロ」は、少子高齢化社会でもっと脚光を浴びても良さそうに思うがどうだろうか? 
いまの社会は、次世代の継承者であり創造者でもある子供達のことを忘れた危ない社会になりつつあるようだ?

ということを考えると、今度の衆議院選挙では、1.5流の日本にした責任を霞ヶ関・政権与党にとってもらい、投じる一票は、若者が活躍できる機会と場を創れる施策を掲げる非政権与党に投じようと思う。

1.5流の国家になったために目先の問題も多々あるが、我慢することは我慢し、未来の納税者を増やし活躍できる場を創出する施策が重要だと思う。

企業も社会の一員としての自覚と責任を果してもらいたい。出来ないところは不買運動を起こして社会的制裁をしても良さそうだ。そのためには我々ではわかりにくいこともあるので、企業活動の評価を公平にする評価項目・尺度の開発と実施する機関が必要に思うが、利害関係があり手を上げるところがないだろうから、消費者・生活者サイドで作るのが良さそうだ。

自らを律することが出来ない霞が関の官僚・政権与党、企業には再学習の場と機会を与えるのが妥当だと思う。そして再学習してまっとうな社会の一員としてカムバックしてきて欲しい。そろそろ責任を取ってもらうことに踏み込んでも良さそうだ。

こんな嫌な時期でもあり、シルクロードの旅人を癒したであろう「ザクロ」には、私たちの未来の旅を癒すものとなって欲しいものだ。

(写真)ザクロの萼に包まれた果実のはじまり


ザクロ(石榴)
・ザクロ科ザクロ属の果実をつける落葉高木。ザクロ科にはザクロ属しかなく、ザクロ属は2種しかない。
・学名は、Punica granatum L.。英名は Pomegranate、和名はザクロ(石榴)。この和名は中国名の安石榴(ざくろ)から来ている。
・原産地は、イラン、アフガニスタン、西パキスタン、インド北西部を中心に東はヒマラヤ、西はバルカン半島。
・開花期は6月からで梅雨時に鮮やかな紅色の花を咲かせる。花弁は普通が6枚で、萼も6枚と珍しい。
・果実は9月から2月頃まで熟する。果皮は徐々に紅色に染まり熟すると裂開し中の淡い紅色の種子が露出する。

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日本橋室町『ざくろ』

2009-07-11 08:28:05 | グルメ
日本橋三越の真正面のビルの地下一階に赤坂に本店がある『ざくろ』の室町店があった。

この『ざくろ』は、関東で最初の“しゃぶしゃぶ”の店として知られる。
若かりし頃は、人形町の『今半』と並び牛肉が食べたい時の憧れの店であったが、今では牛肉を食べたいとも思わないのですっかり忘れていた。

行燈に『ざくろ』とかかれたものを見て、懐かしさを覚え入ってみることにした。

2時を過ぎていたので、店内は客が少なく仲居さんのほうが目立っていたが、広い空間なので落ち着いた雰囲気がある。

定番の「すき焼き定食」を頼み、壁には版画が数点かけられていたので見渡した。
忘れていたが、この店のオーナーは棟方志功が大好きだったのだ。
『ざくろ』と棟方志功はセットになっていて赤坂店にも掛けられていたっけ。
朱印が押されサインもあったので、価値ある刷りのようだ。

前日飲みすぎていたので感受性が鈍く、棟方志功の絵に感動するまでには至らなかったが、絵に囲まれての食事は“ほっこり”する。
若い頃は、牛肉もさることながら棟方志功の絵に感激したような気がするが、鈍くなれば鈍くなるものだ。

(写真)ざくろのすき焼き


すき焼きはビールのつまみとし、ご飯と赤出汁だけを先に食べたが、この赤出汁が美味しかった。化学調味料を使っているのか使っていないのか良くわからなかったが、ダシのコクがたっぷりとでていてこれだけでご飯が食べれた。

すき焼きは伝統的なすき焼きで可もなく不可もなかったが、やはり私には無縁に近いものになっていた。砂糖が入ったすき焼きが食べたかったあの若かりし頃のご馳走が今ではご馳走ではない代物になっていた。

味的には子供が喜ぶ味だが、値段がちょっと問題なので、すき焼きはいずれ消える運命にあるのだろうか?
或いはすき焼きを売りにしている日本料理店が消えるのだろうか?

懐かしい行燈とザクロと棟方志功の絵は残って欲しいなと思いつつ、ロビーでタバコを一本吸ってから銀座に向かった。不自由な時代となった。

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