モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

三尺バーベナ の 花

2009-07-10 12:18:42 | その他のハーブ
(写真)三尺バーベナの花


「バーベナ」は“よい薬草”を意味する“”ヘルバ・ボーナ(heruba bona)“から転じたといわれており、バーベナの中で最も早くヨーロッパに伝来したのが、この「三尺バーベナ」だった。

「三尺バーベナ」は、南アメリカのブラジルからアルゼンチン、チリーが原産地で、ヨーロッパ社会には1726年に入ってきた。
ブエノスアイレスからイギリスに送られた標本の種子からジェームス・シェラード(James Sherard 1666-1738)がエルタムの庭で育てたという。

このシェラードは、薬剤師として財を形成し、1720年にロンドン郊外のエルタムに屋敷を買って引退した。ここから植物栽培に目覚め、世界の珍しいものを集め素晴らしい庭を作った。その植物コレクションをカタログとしまとめた「シェラードの庭」は、1732年に出版され、この時代の英国を代表する植物庭園として後世の記録に残った。

草原の貴族
この「三尺バーベナ」のスリムで筋肉質のボディが、南米の草原で、風にゆれている孤高な姿は、“草原の貴族”というイメージが似合う。

ケニアからタンザニアにかけての先住民である“マサイ族”。
遊牧生活で磨いた驚異的な視力、スリムでノッポで筋肉質な身体など身体能力が高く、彼らも“草原の貴族”といわれている。

どこかで見た既視感は、“草原の貴族”がつないでいたようだ。

マサイ族は人口が20~30万人と減ってきているようだが
三尺バーベナは、今では、世界に広がり、野生化するほど増殖しているようだ。
確かに、こぼれダネでも増えていくので、いつの間にか意外なところで芽を出す。

(写真)三尺バーベナの立ち姿
        

三尺バーベナ
・クマツヅラ科 バーベナ属の耐寒性がある多年草。(寒冷地では一年草として扱う)
・学名は、Verbena bonariensis.L。英名は Purpletop verbena、tall verbena、Brazilian verbena。別名は、バーベナ・ボナリエンシス、立バーベナ、ヤナギハナガサ(柳花笠)。
・原産地は、南アメリカのコロンビア、ブラジル、アルゼンチン、チリー。
・草丈 60cm~180cmと細長くすらっとしている。 茎の節間が長く横断面は四角い。1尺は、30.3cmなので三尺バーベナの草丈の基準は90.9㎝か?
・春先に茎の先を摘心し枝を分岐させるようにする。
・花期は、6~10月で赤紫色の花が頭上に咲く。
・風通しの良い乾燥したところが適している。
・こぼれダネでも増え野生化しやすい丈夫な植物。

命名者:Rendle, Alfred Barton (1865-1938) 1904
英国の植物学者でリンネ協会の理事長などを務める。

        

身体尺和名ではヤナギハナガサ(柳花笠)英名ではパープルトップバーベナ。
名は体を表すというが、実に良く言い当てている。
もっと優れているのは、“三尺バーベナ”だろう。スラッとした草丈は、長さを測るメジャーとなりそうだ。

人間の身体で測れる尺度を“身体尺”というが、大人が親指と人差し指を広げた長さを「尺」といったみたいで、この長さは、だいたい18cmであった。
「尺」という文字自体が、親指と人差し指を広げた形を現しているというから面白い。

ついでに、東海道などの主要幹線には、一里塚などが立っており、この距離は、人間が一時間歩いた距離であり、「1里=約4km」であった。

1891年(明治24)に度量衡法が制定され、1尺は1メートルの33分の10(30.3㎝)となったので、三尺バーベナの草丈は、90㎝が基準として適当であり、度量衡法以降に渡来したようだ。
コメント (4)

ラベンダー、グロッソ(Lavender Grosso)の花

2009-07-09 10:00:35 | ローズマリー&ラベンダー
(写真) グロッソ・ラベンダーの花


フランス南東部で作出されたラバンディン系統(Lavandula × intermedia Loisel.)には31種の交雑種があるという。

この“ラバンディン系統”は、イングリッシュラベンダー或いはコモンラベンダーとも呼ばれるラベンダーの中のラベンダ、“アングスティフォリア系(L.angustifolia)”と、この種よりも標高が低い600m以下の南ヨーロッパの山麓に自生する耐寒性に優れた「スパイクラベンダー」との自然交雑或いは人為的な交雑によって生まれた品種である。

最初の“ラバンディン”は、1920年代の後半に自然交雑で誕生した「アブリアリ(Abrialii)」で、これをクーロン技術で殖やし香りの良い精油を生産するラベンダーとなった。
しかし、土の中の細菌で1970年には全滅したという。

これに取って代ったのが耐暑性・耐病性に強い丈夫で育てやすい「ラベンダーグロッソ」であり、ラベンダー精油の救世主となった。

「ラベンダーグロッソ」は、いまでは“ラバンディン系統”の代表的な品種で、グロッソ(Pierre Grosso)によって1972年にフランス南部にあるラベンダーの名所プロバンスのVaucluseというところで作出された。

という説と、この地で自然交雑した品種を誰かが発見し、クーロンを作る技術を有したラベンダー育種家として著名なグロッソの名前を付けた。という二つの説があり良くわからない。

どちらでもいいが、どうも自然交雑した種を発見し、これを育てるところにグロッソが関与したという後者の説が良さそうだ。

この「ラベンダーグロッソ」が発見されたので、精油を取る商業栽培品種として広まっていったが、いまでは、その葉・花・香りの良さが評価され観賞用の園芸品種として普及している。


我が家の「ラベンダーグロッソ」は、瀕死の状態にあったが、鉢を替え日陰に置いておいたら復活し今年初めて開花した。

特徴としては、他のラベンダーと較べて耐暑性が強いので気温の高いところでも日陰で風通しの良いところなら育つようだ。
地植えすると3年で大株に育つので場所を考えないといけない。それまでは、開いた空間に一年草とかグランドカバー的な植物を植えるとか工夫が必要だ。

どうもラベンダーとは相性が悪いようでなかなか定着しないが、復活したラベンダーは初めてだ。

(写真)ラベンダーグロッソの葉と花


ラベンダー、グロッソ(Lavender Grosso)
・シソ科ラバンデュラ属の耐寒性がある常緑の小低木。
・学名:Lavandula × intermedia Loisel. 'Grosso'
・1972年にフランスのVaucluseで発見され、グロッソ(Pierre Grosso)の名がつけられたラバンディン(Lavandin)系の交雑種。
・ラバンディン系のラベンダーは、L. angusutifolia(アングスティフォリア)と  L. latifolia(ラティフォリア)の交雑種をいう。
・ラベンダーの中では開花期が遅く、6月中旬頃から長い花茎をのばしその先に花穂をつけ紫色の小花が咲く。
・排水性のよい土壌で日当り風通しが良いところで育てる。夏場は半日陰が良さそうだ。
・種では殖やせないので、カッティングでさし芽で殖やす。

命名者
Loiseleur-Deslongchamps, Jean Louis August(e) (1774-1849)
フランスの医師・博物学者・植物学者

コメント (2)

ヒペリカム・アンドロサエマム(Hypericum androsaemum)の花

2009-07-08 07:46:19 | その他のハーブ
(写真) ヒペリカム・アンドロサエマムの花


散歩コースである清水公園の半日陰の林の中に入っていくと、その入り口近くにこの花が咲いていた。

一瞬、この美しさに息をのんでしまった。
美しさは共通して感じるものとは思わないが、自然の造形美の素晴らしさに感嘆した。

薄暗い林の中で宙にうかぶ黄金の花はまるで、その環境と一体になり“幽玄”の世界を感じさせる。

しかしこの花は、ヨーロッパ原産であり、日本人の美意識と異なる感性で見ているのではないかと思ったが、学名を調べてみて納得した。

属名が“幻”の花を意味していて、現実離れした美を表したのだろう。1753年につけられたこの属名はいま感じる美意識と似ていると思った。

(写真)雌しべが果実を形成し始めた花


日本では、花よりは花と同時につける果実のほうが珍重されるようで、生け花などでは果実のほうが利用されるという。

確かに、花の中央に果実となる部分が形作られていて、黄金の光を発するオーラのもととなっているようだ。

開花期が長いので、花と果実が同時に見ることが出来、果実もなかなか良さそうだ。


ヒペリカム・アンドロサエマム(Hypericum androsaemum)
・オトギリソウ科オトギリソウ属の半常緑低木
・学名は、Hypericum androsaemum.L.。属名のhypericumは、ギリシャ語のhyper(越える)とapparition(幻影)の複合語で、“幽霊”、“幻”を意味する。種小名のandrosaemumは、ラテン語で血を意味する。
・英名は Tutsan(小坊主)。和名はコボウズオトギリ(小坊主弟切)。
・原産地はヨーロッパ、北アフリカ、西アジア。
・樹高60-80cmで楕円形の葉が対生し、林・森の半日陰に育つ。
・梅雨時から初夏に黄色い花をつけ同時に萼をつけたままでかわいい果実をつける。秋には赤から黒っぽく熟す。
・切り花、鉢物が出回る。生け花では、花よりも果実のほうを利用する。
・挿し木で殖やす。


(写真) ヒペリカム・アンドロサエマムの果実

コメント (4)

簡単な酒の肴、豚ひれ肉と野菜の炒めもの

2009-07-07 09:51:59 | 男の料理
今日は植物以外で気分転換。酒のつまみです。

(写真) 江戸染井村発、期間限定酒『染井櫻』
        

サクラの時期に駒込界隈にあるソメイザクラ発祥の地「染井」に行った。
その時手に入れた限定酒『染井櫻』を飲むために、冷蔵庫にあるあり合わせもので酒の肴を一品作った。

日本酒に合うようにアッサリ目でちょっとコクを出したかった。
簡単なわりには意外と良かったのでレシピを紹介したい。

(写真) 豚ひれ肉と野菜の炒め
 

【材料】(四皿分)
・ 豚のひれ肉        1本
・ パプリカ         2個
・ モヤシ          1袋
・ 塩・コショウ       適量
・ ニンニク(ミジン切り)    1片
・ 白ワイン         大さじ2杯
・ 黒酢           大さじ2杯
・ 黒コショウ・サンショウ  少々
・ 砂糖           一つまみ
※ 調味料は、勘でやっているので目安です。

【作り方】
・ 豚ひれ肉を大きめにスライスし、塩・コショウしておく。
・ パプリカは縦長に8等分する。モヤシは水洗いしヒゲを取る。(とらないでも可)
・ 中華なべに油を引きパプリカをいためる。ジューシーさをだすためにサッと火が通った固めに仕上げ、皿に取りおく。
・ 油を足し、モヤシをいためる。これもサッと火が通った段階で、塩・コショウを少なめにして味をつけ、皿に取りおく。
・ 中華なべに油を引き、ニンニクを炒め、さらにスライスした豚のひれ肉を薄い焦げ目がでるようにいためる。白ワインを加えアルコールが飛んだら炒めたパプリカ、モヤシを戻し、黒酢と黒コショウ、サンショウ、砂糖一つまみで味を整える。(塩分を求める場合は、塩か醤油で味を整える。)

【評 価】黒酢の量が少ないので、酢豚とは異なり、あっさりした酸っぱさがかすかな甘みを引き出し、肉厚のパプリカのジューシーさとマッチしていた。ヒレなので脂っこさも無く野菜炒めを食べるツマ的になる。
もっとコクを求める場合は、ヒレ肉をいためる際にバター一片を追加すると良さそうだ。

なお、家では、缶ビール1個か日本酒ならお猪口3杯で十分満ち足りるし直ぐ眠くなるが、どうして外では朝まで飲めるのだろう?
コメント (4)

ブラジリアンセージ、サルビア・ブルースカイの花

2009-07-06 07:46:31 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・ガラニチカ‘ブルースカイ’の花


ブラジルのセージ、サルビア・ガラニチカのシリーズ三弾目は「ブルースカイ」。
この花は、同じ「ガラニチカ」の園芸品種の中で「アルゼンチンスカイ」に良く似ている。

花の色が違っていて、「ブルースカイ」の花色は、紫が入ったような或いはネズミ色っぽい薄いブルーであるのに対して、「アルゼンチンスカイ」の花色は、アルゼンチン国旗の薄いブルーの色であり、サッカーチームのユニフォームの色でもある。

だが、「ブルースカイ」に関する園芸情報はほとんど無く、わずかに日本語サイトに数件あるぐらいで国内で作られた園芸品種のようだ。

原種の「ガラニチカ」より耐寒性が弱く冬場の管理には注意が必要だ。また、5月までに摘心をして丈を詰め花穂を増やすようにしたほうが良いが、摘心を忘れるとさびしい株となる。

しかし、ちょっと顔をだしたダークブルーのつぼみが、朝に開花したときには淡いネズミ色のようなブルーに変わってしまう。

いつ変わるのだろうかと疑問に思い追っかけてみた。
夕方18:28分には濃いブルーであったのが、20:49分には大分薄い色となっている。
朝には普段どおりの花色になっていた。

(写真)花色の変化 18時28分(0703)
    

(写真)花色の変化 20時49分(0703)
    

ブラジリアンセージ、サルビア・ブルースカイ(Salvia guaranitica. ‘Blue Skies’)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある常緑低木。但し、冬場は、地上部から切り戻しを行う。
・学名は、Salvia guaranitica. ‘Blue Skies’。英名はBrazilian sage、anise scented sage、流通名がメドーセージ。
・原産地は、ブラジル、アルゼンチンを含む南米。
・花弁が4cm級の淡いブルーの花を初夏から秋まで多数咲かせる。
・咲き終わった花穂は切り戻す。
・草丈50cmで葉からはセージの独特の香りがする。
・5月までに摘心を行い丈を調節し、花穂を増やす。
・夏場に乾燥させないように根元を腐葉土でマルチングすると良い。
・さし芽、株分けで増やす。

コメント

ブラジリアンセージ、サルビア・ガラニチカ‘パープルスカイ’の花

2009-07-05 08:24:51 | セージ&サルビア
昨日の「サルビア・スプレンデンス」に続いてブラジル原産のサルビアが続く!

(写真)サルビア・ガラニチカ‘パープルスカイ’の花


「パープルスカイ」は、ブラジルを原産地とする「サルビア・ガラニチカ」の園芸品種で、上品なパープルの花色が美しい。
特に雨の日にはその美しさが際立つ。

栽培はさほど難しくはない。耐寒性があるので注意するのは夏場の水切れだけといっても良い。それで毎年美しい花が咲くので“ガラニチカ”だけを集めた庭があってもおかしくはないがまだ見たことが無いので気づいていないのだろう。

        

メキシコ原産の「サルビア・パテンス」も花は美しくガラニチカと甲乙つけがたい。
しかし「サルビア・パテンス」の葉はちょっと魅力に欠け、総合力で「サルビア・ガラニチカ」が上回る気がする。

「サルビア・ガラニチカ」「サルビア・パテンス」とも、発見されヨーロッパに導入された時期がちょうど1830年代であり、イギリスに代表されるヨーロッパ社会が新大陸の植物に“新奇性(珍しい)”“審美性(美しい)”という価値を求めるようになったから同じ時期に同じようなタイプの花が発見されたともいえそうだ。

産業革命で豊かになった市民の出現、スモッグでの環境汚染、自然を求める価値観の高まりなどを背景に、世界の珍しい植物を収集し・栽培し・販売する園芸企業(ナーサリー)がこの時期に台頭する。

「サルビア・スプレンデンス」でも紹介した“リーアンドケネディ商会”などがこの代表であり、裕福な個人の欲望にピンポイントを絞った組織的な活動をする企業が出現した。

国家的な視点での植物探索では、薬用植物、輸入超過となる香辛料の代替、コーヒーなどの嗜好性の強い植物、木材資源となる樹木への関心が強かったが、1800年代からは有用な価値は無いが、“珍しい”“美しい”が新しい価値を持つ社会が出現したとも言い換えられる。

いろんなものの見方ができるということは素晴らしい。
テアル、ベキという切羽詰った見方は不幸を招くということだろう。

(写真)S.ガラニチカ‘パープルスカイ’の葉と花
        

ブラジリアンセージ‘パープルスカイ’(Brazilian sage ‘Purple Skies’)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある常緑低木。但し、冬場は、地上部から切り戻しを行う。
・学名は確認できなかったので親元の園芸品種で仮おきしておく、サルビア・ガラニチカ‘パープルスカイ’(Salvia guaranitica ‘Purple Skies’)
・英名はBlue anise sage, Brazilian sage、anise scented sage、流通名がメドーセージ。
・原産地は、ブラジル、アルゼンチンを含む南米。
・花弁が3cm級のパープルの花を6月から秋まで多数咲かせる。
・咲き終わった花穂は切り戻す。
・草丈50~70cmで増殖力が強い。
・夏場に乾燥させないように根元を腐葉土でマルチングすると良い。
・さし芽、株分けで増やす。

コメント

サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’の花

2009-07-04 08:42:21 | セージ&サルビア
(写真)スプレンデンス ’ヘレンディロン’の花


「サルビア・スプレンデンス」は、耐寒性が無いため一年草の扱いがされているが、無事に越冬し一年中花を咲かせている。一年草というよりも四季咲き一年中草といいたいほどだ。
日当たりが良い霜の降りない場所を確保して、花後の追肥,週に一回の液肥、咲き終わったら切り戻すことをしていただけなのに良く咲いてくれる。

この「サルビア・スプレンデンス」は、ブラジルの高度2000-3000mの一年中を通じて温暖なところに自生しているので、気温の変化を少なくしてあげたのが咲き続けることにつながったのだろう。

と多少自慢したかったが、緋色のスプレンデンスに対してパープルの花色なので違った品種か園芸品種であることを疑いチェックすべきだった。

よくよく調べてみると園芸品種の「ヘレンディロン‘Helen Dillon’」であることがわかり、その特色は多年草だった。だから、越冬してもおかしくはない。
今日まで気づかなかったのが“おかしい”ということなのだろう。
ちょっと反省!

「ヘレン・ディロン‘Helen Dillon’」は、実在の人物がいる。アイルランドの著名な女性ガーデナーで、“the Dillon Garden”のオーナーでもある。確認できなかったが、この庭園で作出されたか、作出者が彼女に献じられたかのいずれかだろう。

後述するが、緋色の「サルビア・スプレンデンス」は、1817年に学名が登録されているが、この前後にロンドンに入ってきて、“Lee’s scarlet sage”として人気を博しているので、英国が品種改良の拠点になってもおかしくはない。

(写真) サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’の葉と花
        

サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’(Salvia splendens ‘Helen Dillon’)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草だが、越冬が難しいため1年草として扱う。
・1817年に登録された学名は、Salvia splendens Sellow ex Roem. & Schult。英名はscarlet sage。別名bonfire salvia(大きなかがり火のようなサルビア)。和名はヒゴロモソウ(緋衣草)。
・その園芸品種で学名は、Salvia splendens ‘Helen Dillon’。
・原産地はブラジル。2000-3000mの高地で気温が温暖なところ。
・草丈30cm程度。
・開花期は6~10月で花と顎のツートンのダークパープルが美しい。花が散っても顎だけでも様になる。
・花が咲き終わったら切り戻しておくと秋に2番目の花が咲く。
・冬場は、霜のあたらない日当たりが良い軒下で管理。

命名者
レーマー(Roemer, Johann Jakob 1763-1819):スイスの医者・植物学の教授、
シュルテス(Schultes, Josef (Joseph) August 1773-1831):オーストリアの植物学者
二人で、リンネの野菜の体系第16版を出版した。

命名者・コレクター
セロウ(Sellow, Friedrich 1789-1831)は以下に記載

        

S.スプレンデンス発見者の話
サルビア・スプレンデンスは、ドイツ生まれの植物学者セロウ(Friedrich Sellow 1789-1831)によってブラジルで発見された。

セロウはポツダムの王立庭園の庭師の子供として生まれ、庭師の勉強を積み、ベルリン植物園で働きながら勉強をし、1810年にはパリで当時に最高の植物学者であるラマルク(Jean-Baptiste Lamarck)、キュヴィエ(Georges Cuvier)から教えを受け科学的な植物学に接した。

1811年には、フンボルト(Alexander von Humboldt 1769-1859)の支援を得て、オランダとイギリスで勉強をしたが、ナポレオン戦争が始まりドイツに戻れなくなり、縁あって1814年にはリオデジャネイロに行った。

そこでセロウは、ブラジルを中心に植物探索を行い900以上の新種を発見しており、ブラジルの植物研究への貢献は素晴らしいものがある。

セロウが採取した植物は、スポンサーがいるロンドンにも送られており、そのうちの一つがS.スプレンデンスだった。
この花は、当時“Lee's Scarlet Sage”と呼ばれ、イギリス、ドイツでの夏の園芸商品として人気を博したようだ。
このLeeは、ジョゼフィーヌも愛用した世界No1ナーサリー“リーアンドケネディ商会”の二代目Lee,James(1754-1824)であろう。セロウ=プラントハンターの活動を支え保証するナーサリーの勃興と薬用などの有用性だけでなく花の美的価値を発見した園芸の普及がこの頃から加速した。

1831年彼は42歳の若さで亡くなった。なんと川で溺れ死んだようだ。

ポツダムの庭師の子供が、当時のヨーロッパ最高の植物学者たちの知遇をえてこれを吸収し、植物学的な真空地帯であったブラジルで花開き、駆け足で一生を走り抜けていった。
その1輪が緋色をしたスカーレットセージ(Scarlet sage)を残して。

すでにその機会を失した私は、緋色をしたセージを嫌い、ダークパープルなセージを楽しむことにした。

コメント (2)

フェンネル(fennel)の花

2009-07-03 07:41:46 | その他のハーブ
(写真)フェンネルの花


梅雨時となるとフェンネルの葉が雨空に靄って独特の情緒を作り出す。
そして、天空に散らばるがごとくに黄色の小花が秩序を持って咲き乱れる。
「キャラウエイ」「フェンネル」の散形花序はこの立ち姿が美しい。

今年は、2mを越えるほどの大株として成長し、風に傾き、雨にかしぎ支えなしには直立が難しくなった。

移植を嫌う性質があるが、鉢の底から根を出し移動すら拒否して現在地に定着してしまった。さらに、こぼれダネで新しい株が出現し、木の桶を鉢代わりに使っていたところに増殖をし始めた。
華奢な性格のわりには思った以上に図太い。

(写真)2mに育ったフェンネル
        

フェンネル(fennel)
・セリ科ウイキョウ属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Foeniculum vulgare Mill var. dulce (Mill.) Thell 。英名がFennel(フェンネル)、Sweet Fennel、和名は、ウィキョウ(茴香)中国名ホイシャン。
・原産地は、地中海沿岸地方(ヨーロッパ南部からアジア西部)
・古代ギリシャ・ローマでも栽培されていたという由緒あるハーブで、中世には、魔術の草として知られた。
・草丈は、1~2mと高いので株間を取る。
・花は、黄色の小花が梅雨時から8月頃まで咲く。
・果実は、10㎜以下の長楕円形をして、1本の花柄に2個が対になってつき、秋には茶褐色に熟す。
・甘い香りと苦味が特徴で消化促進・消臭・肥満防止に効果があり、香辛料・ハーブとして利用。
・移植を嫌うので、植え替えはしない方がよい。

・4世紀ごろ中国に伝わり、魚肉の香りが回復するのでウイキョウ(茴香)と名づけられる。
・日本には平安時代に中国から渡来。「延喜式」に“呉母(くれのおも)”と記載されたものがフェンネルだといわれる。
・葉は魚料理に、ホイルの包み焼きなどでフェンネルの葉を使うとなま臭さが消え、おいしさがます。
・さらに望ましいのは、アルコールの毒性を低下させる成分が含まれているというから左党にはうれしいハーブだ。

命名者
Miller, Philip (1691-1771):
イギリスの植物学者で、1722年からチェルシーガーデンのチーフガーデナーを勤める。1731年に著作・出版した『The Gardener's Dictionary"』はこの時代の最高の植物図鑑。
Thellung, Albert (1881-1928)
スイスの植物学者

        

フェンネルと日本のハーブの歴史
フェンネルは歴史上で最も古いハーブの一つで、原産地は、ヨーロッパ南部からアジア西部の地中海沿岸地域で、全ての部分が利用できる比較的丈夫なハーブだ。

エジプトの古都テーベの墓地に埋葬されていたミイラとともに1冊の本が出土した。
エジプトでの薬草での最古の本“エーベルス・パピルス”で、紀元前1552年頃に著作されたと考えられており、ここには、アニス、クミン、ウィキョウ(フェンネル)、コエンドロ(コリアンダー)、カルム(キャラウエイ)などが薬草として記載されていた。

フェンネルは、健胃、去痰の薬として使われていたが、邪気を取り払う力があると信じられており呪術に、また防腐効果があるので保存料としても使われていた。

玄関ドアに飾る飾りもの(リース)にフェンネルを巻き込むというが、この魔よけの呪術での使われ方の名残でもあり、『聖ヨハネ』の前夜祭に当たる6月23日に飾るという。

では、日本でのハーブのはじまりはいつ頃だろうか?
ここでのハーブとは、①薬草として ②宗教的な使われ方 ③香辛料として ④食材として等を意味している。

日本のハーブの歴史
3世紀頃に書かれた『魏志倭人伝』(著者は西晋の陳寿)に、邪馬台国を中心とした倭の国(日本)のことが書かれており、弥生時代後期後半の日本を知ることが出来る。

そこには、サンショウ・ショウガ・ミョウガは、食品・香辛料としても使われていない。
ということが記載されており、今では日本の代表的なハーブであるが、邪馬台国があったという2~3世紀にはこれらすら使われていなかったことがわかる。

(訳文:その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。)

712年(和銅5年) 太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)によって書かれた『古事記』には、ハジカミ(山椒)、ヒル(ニンニク)、蒲黄(ほおう、ガマの穂)などの和製ハーブが登場。
仏教伝来とともに中国の医学が伝わり、ハーブ類も薬草として利用されるようになり、
イナバの白ウサギを治療した蒲黄(=ガマの穂)は、文献に残る日本初の薬草ということになる。
ショウガもハジカミといわれるようになるが、もともとはサンショウのことをさす。

平安時代中期の905年(延喜5年)に醍醐天皇の命により編纂がはじまり、967年より施行された法律『延喜式(えんぎしき)』 、及び、同じ時代に醍醐天皇に侍医として仕えた深根輔仁(ふかねすけひと)が編纂した日本最古の薬物辞典『本草和名(ほんぞうわみょう)』には

ワサビ、カラシ、メカ(ミョウガ)、ハジカミ(山椒)、クレハノハジカミ(ショウガ)
コミラ(ニラ)、オオヒル(ニンニク)、イヌエ(シソ)などの名前が載っている。
さらに注目したいのは、
コニシ(コエンドロ=コリアンダー)、クレイオモ(ウイキョウ=フェンネル)、スエツムハナ(紅花=サフラワー)といった地中海沿岸のハーブがはじめて登場する。

ということは、
10世紀にはフェンネルなどのハーブが中国或いは百済経由で日本に伝来し、薬草として使用されるようになったということだ。
世界史から見ると4000年以上も遅れて日本でのハーブの活用が始まったとも言えそうだ。

フェンネルは、いまでは“魚のハーブ”“魔よけのハーブ”として知られているが、魚・季節のきのこ、そしてフェンネルをいれたホイルの包み焼きは、塩・コショウだけでも十分おいしく仕上がるのでこれはお奨めだ。

コメント (8)

キャラウエイ(caraway)の花

2009-07-02 09:16:13 | その他のハーブ
(写真)キャラウエイの花


ニンジンのような葉を持つ「キャラウエイ」の茎の先に、小さな真っ白な花が咲いた。
ニンジンは茎を立てないが、「キャラウエイ」は茎があるだけ姿かたちが美しい。
しかし「キャラウエイ」の根は、見た目も味もニンジンのようだという。

この「キャラウエイ」は有史以前から食されていた歴史的に相当古いハーブのようだ。
これは、ヨーロッパの考古学者が石器時代の村落のゴミ場から「キャラウエイ」の種子を発見したことにより裏付けられた。

この石器時代の村落の跡がスコットランドにある。スカラ・ブリー(Skara Brae)の跡地には発掘された住居が修復されて残っていて紀元前3100-2500年に作られたものとはとても思えないほど高度な道具と技術があったようだ。当然定住しているので主食ともなりえる大麦が栽培され、野菜なども栽培されていたようだ。
(石器時代の住居の写真はスカラ・ブリーをクリック)

アフリカから大移動をした人類の祖先とともに移動した植物かもわからないが、ここまではさかのぼることが出来ず、「キャラウエイ」の原産地は、ヨーロッパ中部から西アジアとされている。しかしいまだにここが原産地かどうかは疑問を持たれているので、人類の祖先とともにアフリカからやってきたのかもわからない。

「キャラウエイ」の語源は、ラテン語のクミン“cuminum”に由来するようで、これが現代語の「キャラウエイ」にまで変化するのはアラビア語を仲介しているという。
違った説は、小アジアのCaria地方に由来するという説もあるが、“クミンのようなもの”から長い歴史と土着の言語で変わっていったというのが定説のようだ。

「クミン」はエジプトを原産地とするセリ科の一年草で、この種子は“クミンシード”と呼ばれ香辛料として使われ、紀元前にインドにも伝わりカレーなどの香辛料として使われている。

「キャラウエイ」以外にもセリ科には、「クミン」「フェンネル(ウイキョウ)」「ディル」「コリアンダー」「アニス」「セリ」「ミツバ」「セロリ」など大人になってから味がわかる香辛料としても使われる野菜が多い。
「ニンジン」もアフガニスタン原産のセリ科だった! どおりで似ているはずだ。

(写真)キャラウエイの立ち姿
         

キャラウエイ(caraway)
・セリ科キャラウエイ属の半耐寒性の二年草。
・学名は、Carum carvi.L. 英名がcaraway、和名はヒメウイキョウ。
・原産地はヨーロッパ、西アジア
・草丈30-60㎝で、葉は羽状になり同じセリ科のコリアンダー、チャービルよりも細かく裂ける。
・開花期は6月で茎の先端にフェンネルのごとくの散形花序をつけ細かい白い花をつける。
・葉はスープ、サラダなどに使い、根は野菜として食べれるというが形・味ともニンジンに似るという。種子は香り付けとして使う。
・移植を嫌うので春先に直播で日当たり水はけのよいところにタネをまく。
・消化を助けるハーブであり、ドイツ料理のザワークラウトなどにも使われる。

コメント

アガスターシュ(Agastache)の花

2009-07-01 09:39:21 | その他のハーブ
(写真)アガスタシューの花


「アガスターシュ」は、サルビアのような口唇形のピンクの花を多数咲かせ柔らかい銀緑色の細長い小さな葉からはミントの香りがする。
耐寒性・耐暑性が強く、強健な植物で育てやすいのでそのうち日本でも人気になるだろう。

サルビアのような花の形態だがサルビアの仲間ではなく、カワミドリ(Agastache)属の仲間で世界には約30種があるという。
その大部分は、北アメリカ・メキシコに自生するが、日本にも「カワミドリ」1種が存在する。
良く知られた「アニスヒソップ」もこの仲間だが葉が大きいので区別しやすい。

この植物を昨年の秋に園芸店で購入したが、「アガスターシュ」としか書かれていなかった。原種ならば30種のうちの何かであり、これらを交雑した園芸品種かもわからない。
いろいろあたってみたが“品種名が良くわからない”。

わかったことは、英米では園芸品種を含めて結構人気がある花のようだが、日本ではまだ普及していない。だから属名の「アガスターシュ」で通用しているのだろう。
だが欧米系のサイトでは、信じられないほど写真画像の精度が悪く一対一のつけあわせが出来難い。

時間をかけて調べることとするが、本当は、日本の園芸店が植物個体の特徴を認識させるために学名を記述するのがスジであり、この認識に欠けているのが現在の園芸店及び育種企業でもある。是正して欲しいものだ。

しいて言えば、品種名の候補を二つに絞り込んでみた。

        

最初の候補は、「アガスターシュ・カーナ(Agastache cana (Hook.) Woot. & Standl.)」
英名では、「テキサス・ハミングバード・ミント(Texas Hummingbird Mint)」、「モスキュートプラント(mosquito plant)」と呼ばれ、アメリカ・テキサスからメキシコ北部の山麓の乾燥した斜面に自生する。
花穂を伸ばしピンクの筒状の花を多数咲かせる。この花の色だけでは決め手とならないが最も近そうだ。

二つ目の候補が「アガスターシュ・アウランティアカ(Agastache aurantiaca (A.Gray) Lint & Epling)」であり、この種の特色は橙色の花色でちょっと違うかなと思いつつもその園芸品種の可能性も否定できない。
ただ、「アウランティアカ」には面白い謎を見つけてしまった。

この植物の原産地は、アメリカ南部からメキシコにかけて自生していて1885年にメキシコのチワワの南西部で「Palmer, E」が採取したことになっている。「Palmer, E」に該当するのは、Palmer, Elmore (1839-1909)、Palmer, Edward (1829-1911)の二名がいてどちらかが良くわからない。さらに、Palmer, Elmoreに関しては情報があまりない。

多分、エドワード・パーマー(Palmer, Edward 1829-1911)ではないかと思うのだが、彼は、メキシコ・アメリカ南部でプラントハンティングを行い1200種以上の新種を発見している。
このブログでも、サルビア・パテンス、ジャーマンダーセージ、サルビア・ミクロフィラなどでパリー(Charles Christopher Parry 1823-1890)と一緒に探検をしプラントハンターとして活動していることを取り上げた。

パーマーは、英国で生まれ1849年に米国に移住し、独学で植物学を学びプロのプラントハンターとなった人物であり、アメリカ南部・メキシコの植物探索をハーバード大学・スミソニアン協会から依頼を受けて行ったという面白い人物だ。

(写真)アガスターシュの立ち姿
        

アガスターシュ・カーナ
・シソ科カワミドリ属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Agastache cana ( Hook. ) Wooton & Standl. 英名は「テキサス・ハミングバード・ミント(Texas Hummingbird Mint)」、「モスキュートプラント(mosquito plant)」
・原産地は中央からアメリカ・テキサスからメキシコ北部の山麓の乾燥した斜面
・草丈60㎝程度
・開花期は6~10月で茎の先に紅紫の小花が密集した穂状が立ち上がる。
・全体からアニスに似た香りがし、アメリカの先住民は咳止めとして利用した。ハーブティ、サラダの香り付けにも利用される。

命名者
フッカー卿(Hooker, William Jackson 1785-1865):イギリスの植物学者でバンクス卿後の低迷したキュー植物園を立て直した。
ウートン(Wooton, Elmer Ottis 1865-1945):ニューメキシコの植物誌を書いた植物学の教授。
スタンドレイ(Standley, Paul Carpenter 1884-1963):アメリカの植物学者、メキシコ・グアテマラ・コスタリカの植物学に貢献。

コメント (1)