小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

獣医さんに告げて

2010-02-19 | 犬&猫との暮らし

 中央運動公園での散歩をすませ、クリの抗てんかん薬とボッチの排便促進薬を買うために、動物病院に寄りました。

 診察室の扉が開いていて、先生と顔が合ったので、とうとうトチが亡くなったことを告げました。いくら時々キツイことを言う先生でも、お世話になって来たことには違いなく、今までの治療のお礼を伝えました。

 先生は「ええっ!だって、どこか悪かったというわけじゃなかったじゃないですか」とものすごく驚いて言いました。「でも、亡くなる5日前にもへたり込んで、一晩難儀そうでした。そのときは翌日復活したけれど、きっともういっぱいいっぱいだったのだと思います」と話しました。

 「いくつでしたっけ?」「あと5日で15歳でした」「ああ、それじゃあねえ、頑張ったほうです」

 「そうなんです。頑張っていたと思います。トチにとっても長患いせずによかったと思います」と言ったら、涙が出てしまった。

 帰り道、先生も驚くほど、トチが亡くなったことは突然だったんだ。トチはしんどかった肉体を気持ちだけで維持していたのかな。本当は何かしたら、助かったんだろうか。
 いや、それだって検査が続き、針も刺され、横たわるトチを病院に連れて行くだけでも、トチには負担だっただろう。気持ちだけで、頑張ってくれていたのに、もうダメだというトチを静かに見送るのも私の務めだったんじゃないか、といろいろ考えていたら、もう涙が後から後からこぼれて、久しぶりに車を運転しながら、大泣きしてしまいました。

 今朝の散歩中、ブナは側溝を覆うステンレス網に足を取られて転び、したたかにあごをぶつけていました。「4本足がちゃんとあるくせに転ぶなんて、どうしたのよ、ブナ」と言いながら、ブナにも老いが近づいていると思ったら、ものすごく哀しくなってしまった。

 赤ちゃん顔で幼犬のときと変わらない表情のブナ。追いすがるような眼差しで見上げられ、思わず「よしよし、無理しないで。どこか痛かった?」などと言って、体をなでまわしてしまいました。

 よく見ると、あごを打ちつけた拍子に下唇の下をすりむいていて、血がにじんでいました。

       


 そんなブナとクリが、車の中で泣いている私を心配して、顔をなめに来るものだから、「トチ、お願い。この子たちを守って」と声に出したら、余計に哀しくなってしまい、また泣いてしまったのでした。

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白梅の下で

2010-02-19 | 犬&猫との暮らし
 清々しい朝に、犬の糞だらけの土手道を歩くことにちょっとうんざりしていたので、中央運動公園に散歩に行きました。

 少しずつ緑がくっきりしてきた風景を眺め、昨日の雪で「春が目を覚ましたんだ」と思いました。

 白梅が咲き、花弁を散らしていたので、その木の下で記念撮影。

 写真を見ながら「なんか物足りない」と思う。「ああ」と溜息混じりに気付くのでした、もうひとついるべきはずの黒い姿がないからだということに。
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初代ワンコ・ダイスケのお話

2010-02-19 | 犬&猫との暮らし
 「だから、街歩きは避けてしまうんだ」などとエラそうに書いたけど、思い返せば私にも、同じような状況で大騒ぎしていた時期があったのでした。

 ラブラドールを飼うことになって、犬について調べ、しつけの方法を学び、ある程度訓練の仕方も習得し、完璧ではないけれど、トチ、ブナ、クリには一応社会性を身につけてやれたと思っています。
 
 だけど、その前に飼っていたダイスケはひどかった! 妹が横浜の大学に入ってまもなく、学校の近くでもらってきた犬でした。妹は数日間こっそりタンスの中に隠して飼っていたのですが、まだ子犬のダイスケを初めて見たとき、モグラかと思った! 

 ビーグルと日本犬のミックス? 妹は「シェパードも混じっているらしい」と言っていたけれど、それは怪しい。数々のエピソードをもつ愛すべき犬ではあったけど、やっぱりオス犬に対しては、かなりガオガオやっていたのでした。

 だから、向こうからやってきた犬の飼い主さんに、前もって「オスですかあ?」などと聞いていたのです。「オスです」と言われれば、横の路地に入って通り過ぎるのを待ち、「メスです」と言われれば、ああ、よかったと思いながら、犬同士、挨拶をさせたりしていました。ダイスケはメスにはオープンマインドで、エエカッコしいでした。

 しつけの「し」の字も入っていなくて、自由奔放に暮らしていたダイスケ。淋しがり屋で甘えん坊で、食い意地が張っていて、おおげさで。子どもたちが大好きで、飽くことなくボール遊びをし、町内では可愛がってもらっていたダイスケ。

 近所に空き巣が入ったときは吠えもせず、「ダメだなあ、ダイちゃん」と周りから言われ、奮起したのはいいけれど、夜中に粗大ゴミで出されたテレビを再利用しようと、こっそり運んでいた若夫婦を吠えてしまい、近所の人がみな窓から顔を出したために、若夫婦に赤っ恥をかかせたりして、すべてにトンチンカン。

 カレーが大好きで、夜中にこっそりお鍋の中のカレーを平らげ、それでもピンピンしていたダイスケ。足腰が丈夫だったからか、17歳まで生きてくれたので、それだけ思い出も多く、「ダイスケ」と空に向かって呼びかけると、いろいろなシーンがよみがえってきます。

 実家の両親が散歩が難儀だと言うので私が引き取り、トチを迎えた頃にはもうすっかり耳も聞こえない好々爺になっていました。そして、ダイスケを看取ったのが、唯一トチでした。
 
 写真は晩年、夏の暑い盛りに、妹とドライブに行った際、天竜川に体を浸けて、涼んでいるダイスケです。

 去る1月24日、午前3時頃、パシッとものすごいラップ音で目が覚めたのですが、それを妹に言ったら「ダイスケだよ、きっと。その日はダイスケの命日だったよね。トチと再会したことを教えてくれたんだよ」と言う。
 ああ、そうでした。ダイスケが亡くなったのは13年前の1月24日でした。
 そうね、きっと。トチもダイスケと会え、お互いに懐かしんでいることでしょう。2頭で飼い主の悪口を言っているかもね。
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