やっと秋らしくなりJR北鎌倉駅を降りて10年ぶりの建長寺へ。
鎌倉が好きでよく鶴岡八幡宮まで歩いていたのに、建長寺まで15分が遠くて途中きな粉アイスクリームを座って食べながら休憩。
この距離で疲れるとは、夏の暑さで歩かず、70才超えて体力が落ちてますね。
やっと建長寺に着きました。10年ぶりなので建物を1個づつ見てゆきました。
巨福山建長興国禅寺は建長5年(1253年)創建で、本尊は地蔵菩薩。
開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼で、開山は南宋の禅僧・蘭渓道隆です。寺は鎌倉五山の第一位です。
建長寺の外門の小さな天下門を通って中に入り、次に建長寺入口となる総門で500円の拝観料を払い中に入りました。
総門は 関東大震災で倒壊、昭和15年に京都の般舟三昧院(はんじゅさんまいいん)の表門を移築しました。右端の総門の写真はネットから拝借です。
鎌倉が好きでよく鶴岡八幡宮まで歩いていたのに、建長寺まで15分が遠くて途中きな粉アイスクリームを座って食べながら休憩。
この距離で疲れるとは、夏の暑さで歩かず、70才超えて体力が落ちてますね。
やっと建長寺に着きました。10年ぶりなので建物を1個づつ見てゆきました。
巨福山建長興国禅寺は建長5年(1253年)創建で、本尊は地蔵菩薩。
開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼で、開山は南宋の禅僧・蘭渓道隆です。寺は鎌倉五山の第一位です。
建長寺の外門の小さな天下門を通って中に入り、次に建長寺入口となる総門で500円の拝観料を払い中に入りました。
総門は 関東大震災で倒壊、昭和15年に京都の般舟三昧院(はんじゅさんまいいん)の表門を移築しました。右端の総門の写真はネットから拝借です。
総門の先の参道を歩くと目の前に見上げるほど大きい三門と呼ばれる立派な門がありました。
立派で厳かな大きな門です。その下は夏は日陰になるのか、休憩用の椅子が並んでいます。
立派で厳かな大きな門です。その下は夏は日陰になるのか、休憩用の椅子が並んでいます。
三門の右側に鐘楼があります。
数少ない創建当時の建長7年(1253年)からある梵鐘は2.7トンもの重さがあり国宝になっています。
数少ない創建当時の建長7年(1253年)からある梵鐘は2.7トンもの重さがあり国宝になっています。
次の柏槇の庭に,蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと言われている柏槇の木あります。
太く力強い幹は長い寺の歴史を見守ってきた生き証人ですね。
和名はイブキで 社寺や庭園によく植えられ、禅寺を象徴する樹木だそうです。
庭の前に仏殿があります。4代目の建物は東京の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公夫人お江の方の霊屋を譲り受けました。
そして中に 建長寺の本尊・地蔵菩薩 が鎮座していました。古いですがとても素敵な雰囲気の像で引かれました。
仏殿の前に法堂があり、1814年に再建され関東最大の法堂です。当時は建長寺全体が修行道場でした。今は千手観音が本尊です。
天井の雲龍図は建長寺の創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれました。
そして方丈の正門があります。桃山風の向唐破風と言う16世紀後半の日本の屋根の建築様式です。
1628年東京増上寺の徳川将軍秀忠夫人霊屋の門として建てられ、1647年に長建寺に寄されて仏殿と方丈の正門、共に附され使用されてます。2011年、解体修理で金の輝きをとりもどしました。
方丈の奥の庭は蘭渓道隆の作庭です。方丈の横に可愛く山茶花が咲いてます。
1628年東京増上寺の徳川将軍秀忠夫人霊屋の門として建てられ、1647年に長建寺に寄されて仏殿と方丈の正門、共に附され使用されてます。2011年、解体修理で金の輝きをとりもどしました。
方丈の奥の庭は蘭渓道隆の作庭です。方丈の横に可愛く山茶花が咲いてます。
写真を見ながら建長寺を調べてブログに載せて、色々なことを知りました。
次は半増坊まで登って天園に出て目的地覚園寺へ。
次は半増坊まで登って天園に出て目的地覚園寺へ。
お城や神社・仏閣は木造でも大修理を経て、現在も立派に残っていますね。
釘を使わず木組みで作られているので、傷んだところだけを取り換えて残っているのですね。素晴らしい!
私も12日に金剛山へ登って、帰りに観心寺の宝物館を鑑賞してきました。平安時代の木造の重文の仏像が沢山あって心が洗われるようでした。
きな粉アイス、美味しそうですね!
昔はこの鎌倉の尾根の天園を良く歩きました。今は足腰が弱って歩けなかったです。
暑くて夏歩かなかったせいか?あっという間に1日が終わって歩かずです。
秋やっと涼しくなり、歩こうと思います。