先日、西野順也著「日本列島の自然と日本人」の本に、以下のとおり興味深いことが書かれていた。
「日本は島国である。内と外との交易が発達していない時代、祖先はあるもので生活するしかなかった。森林が荒廃し、土砂崩れや洪水などの災害が起こっても、大陸の民のようにその土地を捨てて他の土地に移っていくことはできなかった。森林の回復を待ちながら、自然が与えてくれる恵みの範囲内で生きていくしかできなかった。
幸い湿潤で温暖な気候に恵まれた日本の自然は、生命力にあふれていた。しかし、恵み深い自然も時として猛威を振るう大雨、暴風など猛烈な力を見せつけ、人々が営々と積み上げてものを一瞬にして無に帰してしまう。
祖先は豊かだが、不安定な自然に適応する努力を数千年積み重ねてきたのだ。その結果、自然に対する緻密な観察力と自然の変化に対する鋭敏な感受性、そして自然の驚異と奥深さに対する感覚が磨きあげられた。やがてそれは、日本人特有の精霊信仰的な自然観を育んだ。 (中略)
このような日本人特有の自然観はどのように育まれたのだろうか。祖先が自然に手を加え、自然に対峙しながら折り合いをつけ共生する生活を始めたのは縄文時代、最終の氷河期が終わる1万数前年前である。
平和で安定した採集狩猟生活は1万年以上も続き、縄文土器や土偶に代表される精神性豊かな縄文文化を築き上げた。 (中略)
だが、岡本太郎は縄文時代の火焔土器に日本芸術の源流を見出したのである。岡本の鋭敏な感性は火焔土器に込められた縄文人の心性に日本文化の奥底に流れるものを感じ取ったにちがいない。それ以来、縄文文化に対する評価は見直され、今では縄文文化が表層となり、その上に弥生時代以降の文化が積み重なって、日本文化が形成されたと考えられるようになってきた。 (中略)
社会の構造や制度が大きく変容しても、縄文人は外来の文化を冷静に見極めて選択し、自らの価値観に吸収していったのだ。そこには、自らの文化に対する縄文人の自信と自負が感じられる。縄文人の文化は、外来文化によって面影がわからないまでに形を変えながらも生き残り、現代に受け継がれているのだと思う。 (中略)
明治時代以降、日本人と自然との関わりは大きく変化した。一つは、生活全般に於いて大量のエネルギーを投入できるようになった、一つは、ものの移動を通して地球全体の自然と関わりを持つようになったことである。もはや、日本人と自然との関りを論ずるには、日本一国の問題としてではなく、全世界的な視野が必要になった。蒸気機関の発明を契機に起こった産業革命の波は、十九世紀に全世界に波及した。石炭や石油などの化石資源を燃やしてエネルギーに変換し、さまざまな製品が生産されるようになった。さらに、二十世紀初めにアメリカで始まった大量生産・大量消費の経済活動は、戦後、怒涛のごとく押し寄せ、日本を飲み込んでしまった。
現代はグローバル化の時代といわれ、世界中からモノが入ってくる。私たちの周りにはモノがあふれている。情報のグローバル化も手伝い、インターネットでモノを注文すると海外から航空便で品物が届く、そんな時代である。次から次へと提供される新しいものは人々の物質的欲求を刺激し、それを満たすことが幸福感につながっている。経済的欲求に応じることができる限り、私たちはほしいものを何でも手に入れることができる。大量生産・大量消費は、島国の中で自給自足の生活を送ってきた日本人のものに対する価値観や意識を変えてしまった。
毎日大量のモノが捨てられている。
大量生産・大量消費の社会は、大量のゴミを生み出したのだ。大量生産によってものの値段が下がり、修理して使いまわすより、新しいものを買った方が安いとなれば、まだ修理しても使えると思っていても捨ててしまうのだ。
「もったいない」という言葉がある。島国の限られた資源の中で暮らしてきた日本人にとって、物は貴重だったのだ。不要になった物を捨てるのではなく、他の用途に利用し、壊れて修理して使うのは自然だった。
しかし、物があふれている現代、物を大切に使う「もったいない」の言葉は死語になってしまった。
「十勝の活性化を考える会」会長