十勝の活性化を考える会

     
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十勝の歴史

2019-07-13 05:00:00 | 投稿

 十勝平野は80万年前、海や湿原であった。その後70万年前ごろに釧路湿原の50倍くらいの湿原だけになり、50万年前以降には段丘地形を形成し、現在の十勝平野の原型である洪積台地ができあがった。その後、寒さでゾウが絶滅し7万年前には、マンモスやナキウサギが生息する最氷河期になる。十勝に人が住みつくようになったのは約3万年前と言われており、氷河期と間氷期が繰り替えされて、今のような姿になった。

氷河期には、大陸と陸続きであったため私たちの祖先ともいうべき縄文人が十勝にも住み始めた。その後、エミシ族、アイヌ民族と続くのである。

しかし、アイヌ民族が十勝にいつごろから住みついたかは諸説があり、よく分かっていない。ただ、西暦801年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方などの「蝦夷(エミシ)征討」を行なった史実はあるが、北海道はまだ知られていなかった。北海道が全国的に知られるようになったのは、約1213世紀と言われている。そして現在の認識において、北海道やその周辺の擦文文化などの生活様式を営んできた人々が、伝統的なアイヌ文化へと姿を変えていった時期が、14世紀前後と考えられている。なお十勝アイヌの歴史を、下記のとおり簡単に書いてみた。


 

   【十勝アイヌの歴史】
明治元年 1868年 大政奉還(1867年)、元号が「明治」となる
明治2年 1869年 「版籍奉還」、「蝦夷」を「北海道」と命名、アイヌ差別のはじまり
明治4年 1871年 「白野夏雲」が、静岡県から「オぺレぺレケㇷ゚」(帯広)に出張で来る
明治8年 1875年 苗字名称義務令
    (なお、二風谷アイヌは苗字を「貝澤」・「二谷」の二種類しか付与されず)
明治13年 1880年 明治17年までの5年間、十勝にバッタ襲来、「バッタの踊り」などが出来た
明治16年 1881年 依田勉三が率いる「晩成社」が十勝に入植
 同  同 音更アイヌが上士幌セタ地区を中心に、音更町開進地区への強制移住始まる(現在のよつ葉乳業(株)音更工場周辺)
明治22年 1889年 十勝アイヌの戸数348戸、人口1,528人
(吉田巌著、「愛郷誌料」より)
明治27年 1894年 日清戦争が勃発、「下関条約」で台湾を日本領とする
明治30年 1897年 北海道国有未開地処分法、不在地主農場の開始
(十勝では約30農場、出所:「音更の歴史に光を」本より)
明治32年 1899年 北海道旧土人保護法の成立(同化政策と農耕化が主な目的)
明治36年 1903年 十勝監獄として独立(北海道集治監釧路分監より独立)
明治37年 1904年 日露戦争が勃発、「ポーツマス条約」で南樺太を日本領とする
明治42年 1909年 十勝アイヌの戸数535戸、人口1,762人(同上)
大正3年 1914年 第一次世界大戦勃発
大正3年 1916年 十勝アイヌの戸数461戸、人口1,655人(同上)
大正5年 1918年 新冠村姉去の御料牧場のアイヌ80戸が、平取町上貫気別へ強制移住
昭和16年 1941年 太平洋戦争勃発
昭和20年 1945年 太平洋戦争終戦
昭和25年 1950年 音更アイヌの戸数28戸、140人(出所:北海日日新聞)
昭和35年 1960年 音更アイヌの戸数29戸、133人(出所:音更100年史)
昭和42年 1967年 伏古アイヌが大空団地への移住開始
平成6年 1994年 元参議院議員萱野茂氏が逝去(享年:満79歳)
平成7年 1995年 国連が「先住民族権利宣言」である国連宣言を採択
平成9年 1997年 二風谷ダム判決⇒事情判決 
平成9年 1997年 アイヌ文化振興法が成立
平成31年 2019年 アイヌ新法が成立

  

 

 

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