先日、「北海道新聞」令和元年7月19日付け『卓上四季』欄に、以下が書かれていた。
『きのうの当欄に、「異常さを異常と感じなくなった時、社会は既に病んでいる」と書いた。異常さに慣れてしまわないように、きょうも異常な話を書く。札幌市で行なわれた安倍晋三首相の参院選街頭演説で、ヤジを飛ばした人が、道警の警察官によって現場から排除された。拡声器が使われたわけでもなく、これを「街頭妨害」というのには無理がある。控えめに言っても、過剰な警備であり、むしろ侵害されたのは、排除された「表現の自由」だろう。道都の真ん中で白昼、公然と行われたことに驚きを禁じ得ない。
特に、異様に映ったのは、年金制度への疑問を記したプラカードを掲げようとした高齢女性を、屈強な警官たちが取り囲み、制止した場面だ。一連の対応を道警は、「トラブルを未然に防止する措置」と説明するが、映像や写真からは混乱の兆候はうかがえない。根拠のあいまいな「予防」という名目で、市民の意思表示が奪われたと言えよう。戦前の治安維持法下の表現統制もかくや、と思わせるやり方である。演説日程を伏せるなど、首相がヤジや批判を嫌うことは知られている。
過剰警備の背景には、例によって「忖度」が働いたのではないか。奇妙なことに道警は、首相支持のプラカードはお構いなしとしたようだ。政治的中立性さえ疑われるようでは、「用心棒」や「お先棒」に、たとえられても仕方あるまい。』
「表現の自由」を確保されることは、口うるさく、そして戦前のレッドパージにされた人を見てきた自分にとっては、重要なことである。
「十勝の活性化を考える会」会員