好きな 百人一首
秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれ出づる月の影のさやけき
左京大夫 顕輔(藤原顕輔)(1090~1155)は、代々和歌に優れた家に生まれ、崇徳院の命令で「詞花集」を編集しました。この歌も崇徳院の命令で差しだした歌のひとつと言われています。
(秋風にふかれて、たなびいている雲の切れ間から、もれでてくる月の光のなんと明るく、清らかにすみきっていることだろう。)
人も惜し 人もうらめし あきじきなく
世を思うゆえに 物思う身は
後鳥羽院(1180~1239)は第82代天皇で、「新古今集」の作成を命じた人です。1221年の承久の乱で鎌倉幕府にやぶれ、隠岐島に流されて亡くなりました。
(時には人がいとおしく、また時には人がうらめしく思われる。
結局のところ、思うようにならず、この世をつまらないものと思う為に、さまざまな物思いをする、わが身なのだな。)
あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の
長ながし夜を ひとりかも寝む
柿本人麻呂(生没年不明)は飛鳥時代の人で、持統天皇や、その孫の文武天皇つかえ、多くのすぐれた歌を残しました。
「万葉集」の代表的な歌人で、のちには山部赤人と共に歌聖として尊敬されました。
(山鳥の長く垂れ下がった尾のように、長い長い、この秋の夜を、わたしはまた一人、さびしく寝るのであろうか。)
「十勝の活性化を考える会」会員Ⅿ
(参考文献)
百人一首 なんでも事典
発行所 ㈱金の星社
注)変体仮名:平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の学校教育で用いられていないものの総称である。平仮名の字体の統一が進んだ結果、現在の日本では変体仮名はあまり使用されなくなったが、看板や書道、地名、人名など限定的な場面では使われている。
注)飛鳥時代
飛鳥時代は、日本の歴史の時代区分の一つ。広義には、飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)にかけての118年間を指す。狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての102年間を指す。飛鳥時代は古墳時代、大和時代の終末期と重なるが、今日では分けて捉えるのが一般的である。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)