本「抜粋のつづり その七十七」を読んでいたら、龍谷大学教授の鍋島直樹氏が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のこころについて、以下のように書いていた。
「行ッテ」という行動は、一方的な犠牲ではありません。相互の愛情が深く重なりあうことです。
宮沢賢治は自らの理想とする菩薩精神を、自己犠牲の精神というには一度も表現していません。本来、菩薩の実践は、自利利他円満の安穏をめざしています。我を先として我を軸とする自我的方向を転じて、相手を先として世界全体の幸福を軸とする利他的な方向に、自己の生き方が置かれるとき、それが菩薩の行といわれるのです。
しかも、その菩薩の実践は永遠の未完成であることを内に含んでいます。なぜなら死別を免れることができないように、どれほど相手を思うとも、何もなしえないことがあるからです。
だからこそ終わりのない情熱をもって、すべてのものの幸福のために生きようとするその過程が重要であり、永遠に未完成の行として道を歩みつづけるところに、菩薩の利他愛があります。
宮沢賢治のめざした幸福像は、相手の幸せに自己の幸せを感得するような生き方です。大悲にぬくめられた自己が、自利自他の安穏のために、骨をくだいて尽くそうとするところに、力強い生き方がうまれるのではないでしょうか。 (完)
「十勝の活性化を考える会」会長
注)鍋島直樹
プロフィール
専門は真宗学、親鸞浄土教の生死観と救済観、ビハーラ活動研究。死の前で不安を抱える人々、愛する人と死別して悲しみに沈む人々の心を理解し、生きる力を育むような仏教生死観と救済観の研究教育をつづけていきたい。
1995年1月17日、阪神淡路大震災を経験し、日本全国、世界中の方々からあたたかいご支援を頂いたことを忘れたことがない。2011年3月11日、東日本大震災を知り、何か突き動かされるような気持ちになって、東北の被災地を震災直後から37回訪問(2018年時点)した。実際には、支えたい自分自身が、被災地の方々の優しさや笑顔に支えられた。遡ると2004年から、宮沢賢治記念館や宮沢家と交流し、宮沢賢治が『雨ニモマケズ』の詩の中で、「行ッテ」という言葉を大切にしていたことを学んだ。
(出典:reserchmap)