仏教の基本とされる「七仏通戒偈( しちぶつつうかいげ )」があります。「七仏通戒偈」とは七人の仏さまが人々に言い続けた言葉で、「悪いことをせず、良いことをしていきましょう。それが自分の心を清めますよ」という仏教の基本となる教えです。「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」です。
ある禅師は、道元禅師の「莫作の力量の現成」・修行の力の発現として、次のように解釈しています。
もろもろの悪いことなど行うことができない、すべての善いことは行わずにはいられない、そのような生き方のなかで自然と心が清まっていく、これが仏教の生き方である。あわただしい世の中ですが、共生のキーワードではないかと思います。
また、この禅師は「実践の大切さ」を説話で説き、自身の考えを述べています。
『中国唐代の禅師・道林は白居易から、「仏教の教えにおいて、もっとも大切なことは何
ですか」と問われ、「諸悪莫作、衆善奉行」と答えます。すると白居易は「そんなことは、三歳の子供だって言える」と返します。道林は「三歳の子供だって言えるかもしれないが、八十の老人でも行うことはできまい」と切り返しました。白居易は黙してしまいます。
確かにそのとおりです。「環境を破壊してはならない」「争ってはいけない」「差別をしてはいけない」ということはみんな分かっていることではあるが、実践は難しく、無意識のうちに環境を破壊したり、争ったり、人の心を傷つけたりしてしまっている。
心して努力することが必要で、常に心がけ、行い、反省すること、諸悪莫作の実践が大切です。
そうするうちに、道元禅師のいう「莫作の力量」が現れてきて、ほんとうの「諸悪莫作」という自分ができあがる。そのときにこそ、環境、平和、人権という大切な問題に対する本当の解決がなされるのだと思う。』
我が身を考えると、七仏通戒偈を念頭に、「とらわれず、かたよりもなく、こだわらず」を課題としてはいますが、無我にはほど遠く、煩悩熾盛で反省しきりです。死は必定なので、生かされていることに感謝しながら、坐ののち、十念、般若心経を唱えますが、己なりの死の迎え方をしたいと考えるこの頃です。
「十勝の活性化を考える会」 ブログ読者M
注) 坐禅
坐禅とは、仏教で姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法坐禅の持つ意味や目的の解釈は、禅宗でも思想により流儀が別れる。
半跏趺坐。タイの僧侶
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)