先日、東大教授 小林武彦著“生物はなぜ死ぬのか”を読んだ。この本には、人とのつながりのことなどが書かれていた。今回のコロナ禍で教えてくれたものには、人とのつながり、命の大切さ、連帯などがある。これらは、ソーシャルディスなどで失われようとしており、コロナ禍は歴史上で大きなひとつになるのは間違いない。
しかし、世界のコロナ禍による死亡者数を見ると、まだ5百万人弱であるから、1918年から1920年にかけ大流行した“スペインかぜ”の10分の1にも満たない数字だ。スペインかぜでは、全世界で5億人が感染したとされ、 世界人口(約20億人弱)のおよそ3分の1が感染したことになる。また、死亡者数は5,000万~1億人以上と推定されており、最も多く死者を出したパンデミックのひとつである。
コロナ禍が教えてくれたものの中で、最も注目しているのに“人とのつながり”がある。少子高齢化もあり様々な「会」が無くなっており、その原因を私なりに考えてみた。
①人間疎外、②人間の多様性、③自分中心主義、④人間関係の希薄さなど
上記のことは、いずれも現代人の持つ人権や自由に関係している。中国は共産主義国家だから、個人の自由よりも国家が優先する。そして、人間の自由というものには、同時に“公共 ”というものがあると思っている。日本国憲法12条には、次のように書かれている。
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
横並び主義や前例主義が良くないとは思わないが、なぜそうなるかを考える必要がある。コロナ禍で価値観が変わったので、これからの日本のあるべき姿を考えることが必要だと思っている。“生物はなぜ死ぬのか”の本の「おわりに」には、同様のことが書かれていたので載せよう。
『この“おわりに”を書いている時(2021年1月)に、世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるっていました。ヒトは無力で脆弱な存在であることを思い知らされました。歴史に残る大きな出来事です。
生きているものは裏を返せば「死ぬもの」です。知性を持った人類は、自分たちは特別な存在だと思っていますが、地球の生物の38億年の長い歴史の中では、人類の繁栄は短く、人生は一瞬の出来事に近く、他の生物と大差ありません。
死は全ての生き物に平等に訪れるのです。それは地球で生まれて進化して、同じDNAの起源を持つ同胞の証でもあるのです。もちろん死ぬことと同時に、多様性を持って生まれ続けることも同じように大切で、そのために必要な死でもあるのです。言ってみれば、生き物は利己的に偶然生まれ、公共的に死んでいくのです。』と。
公共的に死んでいくとは、人類が“生”と“死”を繰りかえすことによって、永遠に生き延びることを意味しているそうである。すなわち、死とは新たな生物の生の始まりでもあり、生物が誕生してから38億年の歴史を持つこの地球を、人類は守っていかなければならないというのである。
また、異常気象の頻発などにより、地球が生物の大量絶滅時代に突入していることも書かれていた。人類の活動によって引き起こされている地球温暖化は、もはや手に負えないそうである。各所の森林火災や大雨は、地球を取り巻く偏西風の蛇行などが絡んでいるようであるが、温暖化抑止を粛々とやっていくほかないと思う。そろそろ人類は、今までとは異なる価値観で生きなければならないのではないかと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員