知らず、生まれ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る。
また、知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖(すみか)と、
無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或いは露落ちて花残れり。
残るといへども朝日に枯れぬ。或いは花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども夕べを待つことなし。
ーーー通解
私にはわからない。この世に生まれて死んでいく人はどこからやってきて
どこへ去っていくのかが。
さらにまたわからない。ほんの短い人生の間しか住まない仮の宿の家を
誰のために苦労して建てて何のために見た目を飾り立てて喜ぶのかが。
住まいも人も あっけなく滅びていく。そのさまは まるで
朝顔とその花に宿る露との関係と同じである。
ある時は 露が消え、花は残るが 朝日が登れば花もしぼむ。
また花がしぼんで 露が残っていても 夕方まで残ることは無い。
この文章は 空海の名言
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで
死の終わりに冥し(くらし)」を下敷きにしているといわれている
すなわち 人は、この世に生を受け、さらに何度生まれ変わっても
どのようにして生まれてきたのか、何のために生まれてきたのか、
生の根源について何も知らない。同じように、死んでこの世を去り
何度死を繰り返しても、死の果てについては何も知らない。
つまり、人間は自分の命でありながら、その始めも終わりもまったくわからずにいる
という事らしい
大災害を経験し、今も暴風や異常気象に悩まされている現在
この言葉に 何か 感じるものがある
ふと、アンパンマンのマーチを思い出す
「何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ・・」
鴨長明が 方丈記を書いたのは
ちょうど今から八百年前になる(正確には801年)
古文は難しいが 文体はとても美しく感じられ
意味も解らず読むのが好きだった
今回 文庫で解説書がでていたので ちょっと興味をひかれて買ってみた
800年という時を超え、人間の本質を考えれば
それほど変わらないのだということに びっくりする
もちろん 環境や文明は過去とはくらべものにならないが
教育をきちんと受けた階級の人がもつ考え方は
ほとんど 現代人と変わらないように思える
方丈記から 少し感じたまま 引用してみようと思う
「玉敷きの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。
或るいいは去年焼けて今年造れり。或いは大家亡びて、小家となる。住む人もこれに同じ、
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかに一人二人なり。
朝に死に、夕べにうまるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。」
美しい都の景色は 昔も今も変わらないように思えるが よく調べてみると
火事で焼け、建て替えたところもあり、住む人が変わっていたり、豪邸だったのに 小さい家に変わったところもある
生まれ死には世の常で まるで 水の上にたつ泡のようなものが人間界だ
といったところ
強烈な「無常感」がただよっているけれど 現代にもおおいにあてはまっているように思う
というか、やはり 自然界も人間界も 「諸行無常」というのが真理なのだと思う
この後 平安末期から鎌倉にかけて 日本中をおそった飢饉、災害の様子がかかれていく
暫く 方丈記を書いていこうと思う
私は Eテレを結構見ます
先日も 劇的ビフォーアフターのあと
Eテレで 「方丈記」についてやっていたので
翌日は5時起きにもかかわらず 見ました
以前 「高校講座」でさわりを見て、ぜひ詳しい内容を知りたいとおもっていたので
これ幸いとばかり
方丈記は 日本最古のルポルタージュだという説明でした
訳書などもでているようなので
今度 機会があったら 見てみたい
鴨長明の「無常」感がよくでています
私も この世は無常の世界であり
物事にいたずらに執着したり、固執したりするのは
苦悩を大きくする原因となるように感じています
相次ぐ災害で 当時の人々の生活は 相当ダメージを受け
不安感もはんぱない様子がうかがえます
江戸時代、挿絵の入った「方丈記」が庶民にも読まれたようです
およそ、日本のいや、世界の歴史にあって
大火や 洪水、竜巻、地震、噴火等の自然災害や、飢饉、疫病
などとは つねに 人々の暮らしと 背中合わせだったのではないか・・・
それと、戦争、侵略・・・
たかだか60年余の平和で
日本人は まったくそういった恐怖が
実は 人の暮らしとともにある という事実を
忘れ去り、日々、自分のことで汲々としているように思えるのですが・・
覇者のことばかりとりあげないで
歴史というものを紐解けば
そこにおのずと 「どう生きたらよいのか」
「どんな政府がよいのか」「外国との付き合い方」
等々へのヒントがあるように思うのです
また、「警告」も・・・
今日本で、ふつうに暮らしている人々(苦しんでいる人ではなく)
の何割の人が 実は「恵まれている」という事に気づいているのでしょうか?
感謝しているのでしょうか?
余るほど食べ物を粗末にし、弱者をいたぶってはいないでしょうか?
そういう事実を知るたびに 心が痛みます
太平洋戦争で 食べ物もなく
戦火を逃げ惑った記憶は もうすっかり薄れ
隣人をもよく知らぬ人が増え
学校でも 職場でも 「いじめ」が絶えない現状・・・
「平和」は 努力しないと
あっという間に 争いへと変わっていく恐怖を
頭の片隅においておくべきではないかと
私は 不安になります・・・