枕上書 番外編より
(帝君の背中の傷に 鳳九は ひどく胸を痛めた)
懸命に涙をこらえながら 帝君に一歩づつ近づき
「どうして怪我をしたの?」
目の渕は真っ赤になり、彼の痛みを自分も
感じているかのよう・・・
帝君は 彼女の頭をさすってなぐさめる。
「安心して。大した傷ではない」
鳳九「向こうを向いて私に見せて」
(とても気のきく従者は 薬を置いて下がって行った。
そうして、扉まで閉めた。閉める直前に二人の様子が
見えた。)
帝君は背中を扉の方に向け、椅子に座らせられていた。
白い衣には 血がにじんでいる。鳳九は脇に立って
彼の衣服を脱がせようと 両手を肩に添えている。
従者はそれ以上見る勇気はなく、急ぎ立ち去った。
衣服の上部分を脱がせ 腰まで下すと 青年の
逞しい背中が、明珠の柔らかい光の中、露わになった。
左肩から右腰にかけて 背中全体を横切る醜い鞭の跡も。
傷はまだ癒えていない上 清めた後の 反り返った肉と
鮮血がみえた。
帝君自身は それをたいした傷とは思っていなかったし、
多少は治っていると思っていたので 鳳九に見せたが
予想に反して 傷を見た鳳九の 大きく息を吸い込む音
を聞く。彼は鳳九を酷く驚かせてしまった事を知って
慌てて衣服を戻そうとした。そうして 安心させよう
と「怖がらないで。ほとんど治ってきているし、
もう痛みもないのだよ」と言った。
鳳九は 衣服を戻そうとする帝君の手を阻むと
涙をこらえたようなかすれ声で
「まだ薬を付けていないわ」と言った。
帝「怖くなったのではないのか?」
鳳九「大丈夫」
鳳九は 従者が置いていった薬腕を手に取った。
お椀の中には 薬を塗り付ける小さじと棒が
あったが 傷に触ると痛いかもしれない。
鳳九は 考えて 指で薬を優しく刷り込んでいった。
鳳九の指が 傷口に触ると、彼の背中がこわばった。
痛いのかもしれない・・・そう思って優しく
慎重に 時間をかけて薬を塗っていった。
傷口は 白い軟膏で覆われ 血は見えなくなったが
痛みはひどいのに違いない。そうでなければ
帝君の背にうっすらだけど、汗がにじみ出る事はない、
きっと痛かったのだろう、と鳳九は思った。
鳳九は帝君の肩に手をかけ、優しい声で言った。
「まだ 凄く痛むの?」「少し息を吹きかけて上げる」
そうして、彼の傷口に優しく息を吹きかけていく。
姿勢正しく座っていた帝君の身体が 少し震えた。
「まだ痛むの?」「もう少し フーフーしてあげるね」
そういいながら手で、傷の脇に沿って背中をさすり
息を吹きかけて 次第に腰付近まで行った。
暖かい吐息が傷口にかかるうち 帝君の左肩に置いた
鳳九の手が いきなり握られて 腕を引き寄せられた。
と思う間もなく 気づいたら 帝君の胸に抱かれていた。
少女は茫然と顔を上げ、深い瞳で自分を凝視する
青年を見た。
彼の手が 更に彼女を近寄せる。彼女はようやく
気付いた。
先ほどのこわばりや汗は 痛みのせいではない事に。
紅葉のように真っ赤になって 彼女は言った。
「私・・私はそんなつもりは・・」
先ほどは一生懸命薬を塗っていただけで、誘惑する
つもりはなかったと 弁明しようとしたが
彼に口を封じられ、最後まで言う事は出来なかった。
長い口付けの後、彼は目を瞑って 額を彼女の額に
くっつけた。
鳳九は 全身が火照って 頭も混乱していたが
弁明を忘れてはいなかった。小さく言う。
「私は そういうつもりは なか・・・」
帝君は かすかに笑ったよう 依然として目を瞑った
まま言った。
「うん、貴女が ではなく、私がしたかったから」
その答えに、鳳九はとても恥ずかしくなって軽く
下唇を噛んだ。そして、両腕を彼の肩に巻き付けた。
しかし、強靭な肩に目をやった時 彼の傷を思い出した。
一瞬の戸惑いの後、負傷している帝君に負担を
かけてはいけない!と 帝君の身体から 離れようとした。
彼女の動きを察して、 帝君は目を開けると彼女を
一瞬見つめ、突然彼女を抱きかかえて 立ち上がった。
驚いた鳳九は 本能的に彼の首にしがみつく。
二人の数歩先には ベッドがあった。
碧海蒼霊はすでに夜になり、万物が静まる時。
部屋の照明は 半分閉じた 夜明珠のみ。
ほの暗く柔らかい灯りが部屋を包んでいる。
鳳九は柔らかい布団に降ろされ、帝君が覆い
かぶさってくる。この後の展開を察知して
鳳九は真っ赤になった。「貴方の傷・・・」
青年は額をつけ、このような時にもまだ
自分の傷を心配する彼女を愛しく思ったよう・・
微笑むと「大丈夫」と言って唇を重ねた・・・
一方、寝殿の外に出た従者は 走って来るゴンゴンと
遭遇した。父君が帰還したと聞いて急ぎやって来た
のだ。 従者はしかし 寝殿に入ろうとする
ゴンゴンを引き止め、はて?如何にして 今 寝殿に
入ってはいけないと 伝えたら良いか 思案した。
しかも 一晩中になるやも・・・
従者は懸命に脳ミソを振り絞っていたが、ゴンゴンは
しばし考えて、「父君は また九九に補習してあげて
いるの?」
従者「ほ・・補習・・?」
ゴン「そう。しょっちゅうあるからね。夜、僕が九九を
探しに行くとき、重霖哥哥が 今は父君が九九の為に
補習をしているから邪魔してはいけないって言うんだ」
寂しくため息をつく。
「九九の先生は本当に厳しいから、授業について
行けなかったら酷く罰せられるんだ。だから、父君に
補習してもらうのはとても大事なんだって事、
僕はわかっているから」
従者は どう答えて良いか・・・困って
ただ機械的に「うん、そう。補習は大事だ。
若主人が理解しているのはいい事だ」と言った。
ゴンゴンは 「うん、それじゃあ、頑張って
いる九九と父君の邪魔はしないから」
と言って おとなしく戻っていった。
従者は 石廊に消えていったゴンゴンの 小さな
後ろ姿を 複雑な面持ちで見つめた。
その一瞬、かすかに良心が痛んだ気がした。
水辺に 映る満月・・・
今宵は 人も月も 円満。明日はきっと良い日・・・