不登校と青年期の親の会ほっとそっとmama

奇数月第3土曜日は、18歳以上の青年期の親の会語ろう会

父親の存在

2009-09-15 23:55:44 | 不登校
昨年、ホームシューレに入会してまもなくの頃、
広島で開催された、「西日本サロン」に初めて
参加した時のことを思い出しました。

そのとき、父親についての話題が出ていて、
「父親が、こどもの不登校をなかなか受け止められず、
受け止めるには多くの困難がある」ということを
我が家に置き換えても
納得できる話だったのです。

世間一般的に考えてみても、
一家の大黒柱である父親は、
厳しい社会の中で働き、家族を支えてくれています。
その強い精神力を持ちあわせているであろう父親にとって、
我が子の不登校に対する視線・まなざしは
決して見守っているというような温かいものとは思えません。

あれからもう4年も歳月が過ぎた現在でも、
その「不登校」に対する価値観が変わっていなかったことに
私自身愕然としたのです。

いまだ動けずにいる息子に
甘えやいらだちさえも感じているようです。


「なぜ、動けないのか」を考えずに、
「いつまでこんな状態でいるのか」、悶々としているのです。

忙しい仕事をこなしてきて、その中でも
子育てを放棄してきたつもりはないと言うけれど、
私が思う「子育ての放棄」とは、
こどもをどこにも連れて行かなかったとか、
遊んでやったことがないとか、
そんなことではなく、
こどもと向き合って、気持ちを聴いてあげたことが
果たしてあったのか・・

そこに、父親としての役割を果たしてくれていたのか。



私が、親業で学んだことの中に、
こどもとの会話で、
指示・命令・脅迫・・・このような言葉をこどもに
以前なら平然と投げかける自分がいました。

しかし、指示や命令で投げかけることで、
子どもからは何も返ってこないのです。
何も返ってこないどころか、心を閉ざし何も言わなくなるか、
もしくは反発だけが返ってくるのです。


ただ見守っていればいい、というのも違う。
落ち着いて話を聴くこと。
その中で、「まだ動けない」何かが見えてくるように
感じるのです。
コメント (2)
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