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何でもありの記録
HN天道(てんとう)

ケースワーカー

2007年04月26日 | Weblog
今日は市が主催する90分ほどの講演を聴きに行った。
講演のタイトルは「地下足袋の詩」、講師は入佐(いりさ)明美さん。

私は講師がどんな人か全然予備知識もなし、講演の内容も同じく予備知識なし。
講師として紹介されたのは、パイプ椅子にこじんまりと座っていた「おばちゃん」だった。
彼女の肩書きは「看護士・ボランティアケースワーカー」
24歳のときから大阪の釜ケ崎で28年間ボランテイアでケースワーカーをしてきた人だと分った。
今は釜ケ崎に事務所を設けて
「大阪建設労働者生活相談室、ボランティア相談員」
となっている。

よく質問されるのが
「28年間もボランティアだなんて生活費はどうなってるの」
だという。

最初の3年間は、彼女が看護士として病院に勤務していたときの貯金で暮らし、次の7年間は「入佐明美を支援する会」というのが全国組織で出来てその支援金で何とか暮らせた。
その後本を書いた印税とか、最近は講演料もいくらか入るようになって生活出来ているということだった。
「地下足袋の詩」は彼女が書いた何冊かの本のうちの1冊のタイトルだ。

彼女が何故「釜ケ崎の母」といわれるまでにのめり込んだボランティア活動の軌跡とそこで彼女が学んだ「人生とは何ぞや」の話を淡々と話していた。

釜ケ崎の日雇い労働者は好況時は安い賃金で使われ不況時にはすぐに路頭に迷う。
仕事先でも名前さえ呼んでもらえないという。
「そこの釜ケ崎のひとっ」としか呼んでもらえないという。

今は高齢化した釜ケ先の労働者にアパートを世話して生活保護を受けることが出来るようにする活動続けているという。
アパートといっても三畳一間の最低のアパートだ。
最初アパートの入居費用として6万円を貸してあげるそうだ。

そしてその6万円の貸し金は一度として返済されなかったことはないそうだ。
生活保護費を貯金して半年くらいで返済してくるそうだ。
返済し終わると彼らは「初めて人の信頼を裏切らないことが出来た」と涙を流すという。
そして彼らは
「まるで天国で暮らしているようだ」
「先の不安がない」
「心置きなく安心して眠れる」
「初めて自分を、我を主張できる人生に出会った」
といっているという。

彼らの人生は今日を生き延びるために選択肢のない人生を送ってきた、そして自分がしたいことを選べる人生に生涯で初めてたどり着いた。
と彼女は言っていた。

最初彼女は「彼らを何とかしてあげたい」という思い上がった動機で始めたということだがそれはいかにむなしい動機かを理解した、という。
実際には彼らから教わることのほうが多かった、という。

彼女の話を聞き終わったときは、ひっそり生きてる賢者に見えた。
いい講演だった。