「高台」阻む 制度の壁
( web 読売新聞 2012年6月19日)
東日本大震災の津波で約800戸が全半壊した宮古市鍬ヶ崎(くわがさき)地区の浸水区域。市が3月末に策定した復興計画に古館昌三さん(76)は目を疑った。
「高台に行きたい人は行けると思っていたのに、『高台移転』の文字がどこにもない」
宮古市鍬ヶ崎地区を見下ろす高台で、市の復興計画について語る古館昌三さん(10日午前)=武藤要撮影
古館さんは「地区復興まちづくり検討会」の会長として、希望者は地区内の高台に移転するとの住民計画案をまとめた。「防災集団移転促進事業」(防集)の利用を想定した移転で、昨年11月から協議を重ね、今年2月、市長に提出した。だが、市が復興計画で示した結論は「土地区画整理事業」による「現地再建」だった。
その場所が危険だから安全な場所に移転する。それが防集の趣旨だ。利用するには自治体が事業区域を「災害危険区域」に指定しなければならない。県が2015年度中に高さ10・4メートルの防潮堤を新設する同地区の浸水区域は危険区域となるのか。市は震災時と同規模の津波を想定して実験を行ったが、全く浸水しないとの結果が出た。
これが公表されたのは、2月に開かれた最後の第4回検討会。この時、高台移転はできなくなるとの説明を受けた記憶が古館さんにはない。その後、住民案を出したが、市は「危険なし」という実験結果に基づき復興計画を作った。現地再建を知った住民側は4月、市に再考を求める文書を出したが、決定は覆らない。
「行政が言うなら仕方ないのかな。諦めに近い気持ちがある」と古館さんは打ち明ける。「でも、今も地震のたびに『津波か』ってビクビクする。防潮堤が出来ても、それは変わらない」
隣接する山田町の大沢地区も同じ状況だ。約500戸が全半壊した地区には高さ9・7メートルの防潮堤が整備されるが、想定実験の結果、浸水が防げるとわかった。
町は防集を利用せず、現地再建を軸に地区の復興を進めることにしたが、意向調査ではなお3割の住民が高台への移転を望んでいる。
仮設住宅代表の箱石英年さん(63)は語った。「地区では津波で120人も流された。その様子を住民は目の当たりにした。防潮堤が出来ても怖いんだ」
国土交通省は「移転したいから、という理由で認めると、『それならウチも』と手がつけられなくなる」と原則を崩さない。だが、県内で初めて防集の実施が認められた野田村の小田祐士村長でさえ、「被災者が危険区域で線引きされ、『隣は高台に行けるのに、私らは行けない』となるのはつらい」と疑問を投げかける。
住民と高台の間に立ちはだかる制度の壁。「私も家を流されたから住民の気持ちはわかります。でも、浸水しない所を危険区域にするわけないはいかないんです」。山田町のある担当者は苦しい心境を語った。
【防災集団移転促進事業】 被災者の集団移転費用を補助する国土交通省の事業。同一区域内の5戸以上が同じ場所に移ることが原則。災害危険区域内の宅地を市町村が買い上げたり、移転先を造成したりする費用は国が負担する。住民は〈1〉移転先の宅地を購入する〈2〉借りる〈3〉自治体が建設する賃貸の災害公営住宅(復興住宅)に入居する――のいずれかを選ぶ。住宅ローンの利子や引っ越し代などの補助を受けられる。
【土地区画整理事業】 自治体が一定区域内に道路や公共施設を整備し、住環境を整える事業。用地は原則として買い取らず、地権者は土地の一部を提供したり、区域内の別の土地に移ったりする。整備により宅地の価値は上がる。土地のかさ上げもできる。
[関連記事] 鍬ヶ崎の高台移転 移転の条件