宮古のみなさんに
フォーラム
「震災×復興 ダイアログ·カフェ 2017」
(2017.8.8 札幌市)の報告
会場が札幌すすきのの古民家(芸者置屋だったとか)でのフォーラムでした。出席者20名ほど。気仙沼のM.阿部さんは来ていませんでしたが千葉一さんは変わらず元気で終始話題をリードしておりました。主な話題提供者は石巻市の環境デザイナーの阿部聡史さんで「順応的復興」と「市民参画」について話されました。
フォーラムは「北の里浜 花のかけはしネットワーク」主催
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石巻市「南浜」地区 は写真のように宮古の田老や鍬ヶ崎のように古い街並が津波で一掃されたもともとは北上川河口に広がる石巻の住宅密集地でした。石巻市はこの惨状を正面から受け止めたからでしょうか? 区画整理事業などの住宅地復興を断念、一部住宅地を除く40haを追悼祈念地区ならびに都市公園開発地区として計画されました。
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順応的復興のエビデンス: 阿部聡史さんは元住民ら石巻市民と一緒にその計画の中心になって活動している若いデベロッパーというべき方で、すばらしかったのは「順応的復興」の明確なエビデンスを彼が提起したことです。千葉一さんも彼のフィールドワークの実践を絶賛していましたが、この南浜地区がもともと北上川の河口にひろがる海水、淡水の汽水地帯であったこと。平たくいえば海であり、川であり、汽水の湿地であったことの証明、揺るぎないエビデンスを当日われわれ参加者に示してくれたことでした。
上の大きな写真にもわずかに消滅住宅の基礎コンクリートが見えていますが、驚くべきことは、この住宅跡地一帯の水たまりという水たまりに、めだか、ふななどの魚類、えびやかになどの甲殻類や藻類が自然に湧いて出て来て溝や堰(せき)、玄関や台所を群れをなして自由に交通しているスチール写真や映像のプレゼンテーションでありました。
台風で冠水したときには渡り鳥が飛来し、さながらラムサール条約湿地帯の観を呈したといいます。彼はそのような実地調査や現実の中でますます確信を深めたのではないでしょうか? この生態系こそ「順応的復興」の中核的コンセプトになるべきものである、と。土地がもともと人間のものではなく宏大な湿地帯であり、いわゆる荒れ地であったこと。したがって直接的土地活用は「放置」であるべきこと。わずかに、祈念地区、公園としてていねいに活用させて頂くべき土地ということでなかったのか、と思いました。人間の方が控えるという石巻市が初動的に断念した住宅地復興の本当の意味ではなかったのか、と。
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そして、彼のエビデンス開示は生物生態系から更にこまかく土地地殻史、土壌史、土地利用史のほか四季の天候、地区伝承、地勢等を統一的に示したことです。自然にさからわない(順応的)復興といっても、官と民と企業、一般市民と元住民、電通やコンサルタントなど、様々なグループや様々な考え方があります。しかし、結論に至るプロセスを辿る限り、彼の考えは正しい。石巻市は彼とそのプロジェクトチームに「順応」して追悼や公園の開発を進めるべきである。と思いました。結果は同じようでも、コンセプトワークから設計、施工、保守管理の持続可能性が他と全く異なるはずです。
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宮古市の場合:震災跡地対策とは真逆だなあと思いました。鍬ヶ崎、田老、藤原などいろいろな対策がありますが基本的な考え方が、石巻市南浜地区阿部チームの考え方とは180°違っています。自然や生態系を顧慮することなく専ら人間の側の都合だけで目先きの復興を進めています。これではどこかで破綻するはずです。もちろん人間側の目先きの都合だけを追うのは宮古市だけではない。ほとんどの被災自治体が、行政主導でその道を進んでいる。L2的悔恨!
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フォーラム主催者の「北の里浜 花のかけはしネットワーク」(札幌 A.鈴木代表)とわれわれ「鍬ヶ崎の防潮堤を考える会」の復興に取り組む立場も方向も違います。鈴木さんたちはハマナスなど海浜植生の種・苗などの交流で東北とつながって活動しています。もちろん阿部氏も千葉氏もそれぞれのホームグランドを持っています。今後も共通項、協力関係を保っていかなければなりません。フォーラム翌日は主催者の鈴木さん、千葉さん、阿部さん、フォーラムのプロローグライブ奏者K.工藤さんに藤田が合流するかたちで石狩浜の砂丘植生を観察、「石狩浜海浜植物保護センター」で職員のレクチャーを受けました。「保護センター」にて写真、中央のお二人が千葉一さん、阿部聡史さん