原子力発電所の新規施設や既存施設の安全にかかわる新安全基準骨子案について原子力規制委員会がパブリックコメントを募集している。要領はここにある。
私が訴えたいポイントは二点。一つは津波対策が津波の波高ないし溯上高対策に偏重しており、原発ごとの防潮堤の高さに収束するであろうという閉塞感・危機感である。そうではなく、規制委員会には津波の破壊力のコア「運動の力」に基づく新しい安全基準を求めたい、ということである。
第二のポイントは「パブリックコメント」の募集といいながら、骨子案の叙述に見る通り、言葉・コンテンツがあまりにも専門的にすぎ総花的にすぎる。とてもパブリック(一般)レベルでの噛み合う議論が出来るとは思えない。規制委員会は依然として自ら業界の側に取りこまれたままで、中立的な世論形成、国民に対する争点の啓蒙を怠っている、という点である。
「基準津波」には前提的に二面の基準がある。
委員会が定める、事業者が定める決まりということ以上に。また堤防の高さやその効果以上に。そもそもの骨子案以上に、この事は大事なことだ。
「6.基準津波の策定」において、否、「新安全基準(地震・津波)骨子案」全編を通じてと言ってよい、12~13万年前以降、40万年前以降の断層問題から始まって、波源モデル、残余のリスクなどの基本概念から、施設設備の浸水防止機能に至る、骨子案の叙述は、これは現実の津波のファンクション(力の機能性)の二面性を認識できなかったが故にとりとめのない遠大な総花的の問題提起になっている。
津波の波高・溯上高と津波の物理的「運動の力」がその二面性である。両者は相互にリンクしていない。少なくとも比例しているとは言いがたいのに原子力規制委員会と骨子案にはその事の関係性が分ちがたいものとして無意識的に認識されている。
津波の「運動の力」は複雑すぎて解明が進んでいない。今次津波の未曾有の被害を経験して、地震のエネルギー(マグニチュード)と津波のエネルギーは大きく関係する程度のところまでは広く認識され、ある程度のコンセンサスはとられてきた。津波は、震源地での地殻変動の高いポテンシャルエネルギーを海水に形を借りて保持したままの「力のかたまり」であるという事だ。だから、沿岸で津波として放出するエネルギー(原子力発電所を襲う津波の力というもの)は、活断層などの陸地の静的位置リスクに比べて、震源の位置や寄って来る方向性は途方も無く多様で、岸(原発施設)を撃つファンクションも多面的と言える。それを単一のファンクションとして見たり、波の高さに還元させる方法は排除されなければならない。私は、まず大きく、津波の力の二面性として問題提起したいと考える。
これはある研究機関による宮古市鍬ヶ崎地区の津波浸水シミュレーション動画の抜粋である。津波の港への浸入(上)市街地への浸水(中)引き潮(下)となっている。動画は今次津波前に作られた作品であるが、津波を単に静的浸水と捉えて、津波の力の二面性は表現されていない。3.11の現実の津波ではこの程度の浸水でも浸水域の住宅は上流に下流に完全に流失したのである。今次津波の特色は国民がその破壊力に目覚めたこと。木造住宅だけでなく、鉄筋ビル、そして堅牢なコンクリート施設(ここの左側に見えている防波堤など)も破壊し尽くしたのである。
地震によって引き起こされる津波の破壊のエネルギーについては、国民の大多数の認識は、現状では(1)高さは高さで一人歩きし、(2)「運動の力」の方は別個に原理論が横行しているだけだ。だからして規制委員会や骨子案のように何かあれば無前提的に両者は安易に癒着してしまうのである。
(3)、したがって(1)と(2)の新しいステージでの統合は依然としてその糸口さえ見えていない状態である。という事は、新しい安全基準にどう影響するのであろうか…