源平時代で平家が全盛のころ、都では平家の世を転覆しようとする一団の人たちがいた。
その中の一人であった俊寛僧都は、他の二人と共に、ここ硫黄島(鬼界ヶ島)に流罪となった。
その後、他の二人は赦免され、俊寛一人が島に残されたという。
赦免された二人の船を追って、海岸の砂浜で「自分も連れて帰れ」と地団太を踏んで泣き叫ぶ。
「鬼界ヶ島」が歌舞伎の世界で演じられる。
自分を見捨てて、去って行く俊寛の像の碑文。
歌舞伎役者中村勘九郎は、この地で舞台を作り、俊寛僧都を演じた。
平家物語の巻三「足摺の事」の情景が、演じられた。
僧籍でなかった他の二人は、この地に熊野神社を勧進して、赦免を祈った。
今に残る熊野神社である。
この神社の裏には、なんと壇ノ浦で入水した安徳天皇の墓がある。
彼はここまで流れ着いて、天寿を全うしたという。
壇ノ浦で安徳帝の死は確認されていないのである。
帝と共に行動して、ここに流れ着いた平家の武将たちの墓も並んでいる。
平家物語の「足摺の事」の原文の抜粋を明日アップします。
その中の一人であった俊寛僧都は、他の二人と共に、ここ硫黄島(鬼界ヶ島)に流罪となった。
その後、他の二人は赦免され、俊寛一人が島に残されたという。
赦免された二人の船を追って、海岸の砂浜で「自分も連れて帰れ」と地団太を踏んで泣き叫ぶ。
「鬼界ヶ島」が歌舞伎の世界で演じられる。
自分を見捨てて、去って行く俊寛の像の碑文。
歌舞伎役者中村勘九郎は、この地で舞台を作り、俊寛僧都を演じた。
平家物語の巻三「足摺の事」の情景が、演じられた。
僧籍でなかった他の二人は、この地に熊野神社を勧進して、赦免を祈った。
今に残る熊野神社である。
この神社の裏には、なんと壇ノ浦で入水した安徳天皇の墓がある。
彼はここまで流れ着いて、天寿を全うしたという。
壇ノ浦で安徳帝の死は確認されていないのである。
帝と共に行動して、ここに流れ着いた平家の武将たちの墓も並んでいる。
平家物語の「足摺の事」の原文の抜粋を明日アップします。
しかし 安徳天皇の墓まであるとは…
これも落人伝説でしょうか
落人伝説の一つが村人に保護されてきたようですね。