当博物館のメイン展示は、縮尺1/10の大和の忠実な再現である。
全長:263m・幅:38.9m・排水量トン:65000トン
司令塔の天辺で横に出ている測距儀が格好良くて・・。
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46cm3連装の主砲が前に2基、後部に1基、この装備は外国でも見ることはなかった。大艦巨砲の時代は、この時すでに過去の物になりつつあったのかも知れない。先端の菊の御紋章が光っている。
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航空機が軍艦に対しても優勢になってきた事もあって、戦艦大和の装備も対空砲を大幅に増強して、その最後の重装備の姿です。
それは沖縄への特攻作戦に出る寸前に装備されたと言う。主砲3基のほか、砲塔17基、2連装機銃50基、それ以外の機銃10基を数える。
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左:司令塔の周りは対空機銃が隙間なく並んでいる。
右:大和の後部から見たもの。機銃が輪になって並び、その内側に砲塔が輪になっている。水上飛行機を6機搭載している。
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大和の船体の前部に見られる艦の横幅の曲線がいいですね。
地下一階から4階まで吹き抜けの広い部屋が小さく見えるほど大きな作品です。
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4階のフロアーから写真を撮っても、艦の前後が切れてしまいました。スクリューが4個、舵が予備とで2枚ついています。
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戦艦大和は呉の造船所で、屋根つきのドックで、秘密裏に造船されました。
敗戦後の焼却の命令からも逃れて発見された設計図が残っていました。昭和10年代にこれだけの事ができた我が国の技術に感心します。世界でも先端を走っていた科学技術の力に、驚くなど失礼かも知れませんが・・。
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完成後、試験走行で27ノット(約50km/時)で走る雄姿。
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昭和15年8月に進水し、昭和20年4月に海中に壮烈な最期を迎えたのでした。
戦いの為というよりも当時の科学の粋を凝らした結晶と言えるかも知れません。このときに生まれたものが現在の科学技術に繋がっています。
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全長:263m・幅:38.9m・排水量トン:65000トン
司令塔の天辺で横に出ている測距儀が格好良くて・・。
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46cm3連装の主砲が前に2基、後部に1基、この装備は外国でも見ることはなかった。大艦巨砲の時代は、この時すでに過去の物になりつつあったのかも知れない。先端の菊の御紋章が光っている。
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航空機が軍艦に対しても優勢になってきた事もあって、戦艦大和の装備も対空砲を大幅に増強して、その最後の重装備の姿です。
それは沖縄への特攻作戦に出る寸前に装備されたと言う。主砲3基のほか、砲塔17基、2連装機銃50基、それ以外の機銃10基を数える。
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左:司令塔の周りは対空機銃が隙間なく並んでいる。
右:大和の後部から見たもの。機銃が輪になって並び、その内側に砲塔が輪になっている。水上飛行機を6機搭載している。
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大和の船体の前部に見られる艦の横幅の曲線がいいですね。
地下一階から4階まで吹き抜けの広い部屋が小さく見えるほど大きな作品です。
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4階のフロアーから写真を撮っても、艦の前後が切れてしまいました。スクリューが4個、舵が予備とで2枚ついています。
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戦艦大和は呉の造船所で、屋根つきのドックで、秘密裏に造船されました。
敗戦後の焼却の命令からも逃れて発見された設計図が残っていました。昭和10年代にこれだけの事ができた我が国の技術に感心します。世界でも先端を走っていた科学技術の力に、驚くなど失礼かも知れませんが・・。
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完成後、試験走行で27ノット(約50km/時)で走る雄姿。
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昭和15年8月に進水し、昭和20年4月に海中に壮烈な最期を迎えたのでした。
戦いの為というよりも当時の科学の粋を凝らした結晶と言えるかも知れません。このときに生まれたものが現在の科学技術に繋がっています。
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最初の方の写真を見てる時は
小さい頃に作った戦艦のプラモデルを思い出してました
それにしても海上を50km以上で走るって凄いですね
軍港呉はそのまま、日本中の軍艦の生まれるところでした。
当時の技術の粋を集めた「戦艦」だったようですね。
でも、空から、あれだけ爆弾を投下されたら、かないませんね。
いまや戦艦大和は無用の長物、沖縄の海岸について、巨大な砲台になる気だったようですね。