揖夜神社から西へ、荒神谷遺跡に向かいます。
山間部の道路工事中に発見された遺跡は、アッと驚く発見でした。
銅剣・銅矛358本が一か所から発見されたのでした。さらに翌年も…。
弥生時代中期以後で、卑弥呼の時代よりも過去の時代だと言う。
展示館には、銅鐸などのこれまで発見された地図があった。荒神谷遺跡は①の場所と出ている。
発掘された青銅器の展示がありました。すべて復元複製されたものです。
展示館を出て、発掘現場に向かいます。
里山の裾の斜面にありました。
高所から展望できます。レプリカが当時そのままに置いてあります。
銅剣がこんなに多く埋まっていました。
銅矛と銅鐸が並びます。
正面の平屋の建物が展示館です。
手前には古代ハス(二千年はす)が広い範囲で栽培されています。
これらは、祭祀に使ったと言います。
山間部の道路工事中に発見された遺跡は、アッと驚く発見でした。
銅剣・銅矛358本が一か所から発見されたのでした。さらに翌年も…。
弥生時代中期以後で、卑弥呼の時代よりも過去の時代だと言う。
展示館には、銅鐸などのこれまで発見された地図があった。荒神谷遺跡は①の場所と出ている。
発掘された青銅器の展示がありました。すべて復元複製されたものです。
展示館を出て、発掘現場に向かいます。
里山の裾の斜面にありました。
高所から展望できます。レプリカが当時そのままに置いてあります。
銅剣がこんなに多く埋まっていました。
銅矛と銅鐸が並びます。
正面の平屋の建物が展示館です。
手前には古代ハス(二千年はす)が広い範囲で栽培されています。
これらは、祭祀に使ったと言います。
近くの古代ハス(大賀ハス)の株分けで、2000年ハスが2000年の遺跡に移植されてようです。楽しいアイディアかも…。
広さは、この写真の2倍くらいの田圃が、すべて蓮田になっていました。
昨年は、こんな様子ではありませんでした。
花が咲いたら、みごとな景観なことでしょう。
ふしぎな史跡です・・!
武器を土に埋めることで和を作ったのかも。
砂鉄から採れる鉄の製品の為に、青銅器のものが埋められたのかも。
発掘された銅剣とか、銅矛は、その歯を研いだ後がないそうです。
戦い武器と言うよりも祭祀で、儀礼的に作られたか、武器の放棄の儀式であったかも知れません。
夢が大きく膨らむロマンですね。
ここから直線距離で数㎞ほどの南東の山中で発見された加茂岩倉遺跡の多数の銅鐸なども関連していそうですね。
もしかして誰かの墳墓だったりするんでしょうか