年末年始、実家で過ごした。一家4人連れて交通費がすごいかかったが、帰ってよかった。父親も母親も喜んでくれた。
(写真は全部実家で。これはキウイね。)
(元旦に初詣。下の娘と。)
父は76歳。母は69歳。まだまだ元気である。一昨年祖父が89歳で俄かにぽっくりと老衰で他界したことを考えると、むしろワシのほうが先に逝きそうである。 とはいえ、両親とも老けたものだ。
あちこち家中の時計が老朽化して、困っているようであったので、3年ほど前、電波掛時計を贈ったのだが、父も母も「あんたの贈ってくれた、あの時計、ぜんぜん狂わないよ。」。電波時計なんだから当然であるが、この説明を何回しても忘れてしまうのか、顔合わすたびに「あんたの贈ってくれた、あの時計、ぜんぜん狂わないよ。」って。うっとうしい。
時計は正確になったが、それを見るほうが多少ボケてきている。
金曜日の朝刊。一面広告で駿台予備学校が出ていた。見た?
駿台といえば、いうまでもなくわが母校である。記事は故奥井潔先生の授業より引用、ということで一文が載せられてある。「cultureという単語の由来は…」。懐かしい。
東大コースに在籍時ワシは奥井先生の英語がはめられていて、やむなく何回か出席したものだ。やむなく、というのは、田舎者の悲しいところで、奥井先生の詩情豊かな高尚な授業にはなじめず、もっぱら受験英語の神様の伊藤和夫先生(この人も既に故人)の授業に潜入して拝聴していたからだ。友人に「何で奥井先生の授業に出ないの?」と尋ねられて、「生理的に合わない」とか答えていた。
それはともかく、今日の広告の一文のような、受験に関係のない「冗長な」お話をだだっぴろい教室で朗々とマイクで語られていたのは、あまり授業に出なかったワシもしっかり記憶しているところである。広告の文章を読めば、予備校といいながら、受験勉強を超越したレベルの高い教育が行われていたことが容易に想像できると思う。
奥井先生の授業にとどまらず、現代国語、古文、数学や化学といった他の科目でもこんな、受験とは直接関係のない、人生訓や学識からこぼれるような深いお話は日常的に授業中に先生からお聴きして多々感銘を受けたものである。このような知的な感動はその前後、すなはち、中学校・高校・大学でもほとんど経験しなかった。本当にいい学校であったが、残念ながら都合により、たった1年しかいられなかった。
賞賛しすぎてしまった嫌いもあるが、あくまでも以上は当時の話。今もあてはまるかどうかは不明。
駿台といえば、いうまでもなくわが母校である。記事は故奥井潔先生の授業より引用、ということで一文が載せられてある。「cultureという単語の由来は…」。懐かしい。
東大コースに在籍時ワシは奥井先生の英語がはめられていて、やむなく何回か出席したものだ。やむなく、というのは、田舎者の悲しいところで、奥井先生の詩情豊かな高尚な授業にはなじめず、もっぱら受験英語の神様の伊藤和夫先生(この人も既に故人)の授業に潜入して拝聴していたからだ。友人に「何で奥井先生の授業に出ないの?」と尋ねられて、「生理的に合わない」とか答えていた。
それはともかく、今日の広告の一文のような、受験に関係のない「冗長な」お話をだだっぴろい教室で朗々とマイクで語られていたのは、あまり授業に出なかったワシもしっかり記憶しているところである。広告の文章を読めば、予備校といいながら、受験勉強を超越したレベルの高い教育が行われていたことが容易に想像できると思う。
奥井先生の授業にとどまらず、現代国語、古文、数学や化学といった他の科目でもこんな、受験とは直接関係のない、人生訓や学識からこぼれるような深いお話は日常的に授業中に先生からお聴きして多々感銘を受けたものである。このような知的な感動はその前後、すなはち、中学校・高校・大学でもほとんど経験しなかった。本当にいい学校であったが、残念ながら都合により、たった1年しかいられなかった。
賞賛しすぎてしまった嫌いもあるが、あくまでも以上は当時の話。今もあてはまるかどうかは不明。