湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

甲子園

2006-08-17 22:33:52 | 学習
今年の高校野球はめちゃ面白い。逆転逆転の連続である。

わしがひいきにしているのは、やはり地元智弁和歌山なのだが、高嶋仁監督の発言がいけてる。「駒大苫小牧はそろそろ叩いとかんと、いい気になる」だって。

最多勝利数でPLの中村順司監督を抜き、名伯楽となった高嶋監督だが、奈良智弁時代は天理や郡山にしょっちゅうやられていたくせに・・・。「そろそろ叩いとかんといかん、いい気になる」のはあんたのほうである。

とはいえ、明後日は、その駒苫との事実上の決勝戦。ぜひ勝ってもらいたいもんである。

そういえば、今日の帝京・前田監督はだらしなかった。逆転したはいいが、投手に代打で投手がいなくなった。帝京の甲子園のイメージは昔からダーティーだが、かわいいとこ、愛すべきとこもあるんだな、ていう感じ。






ぶあいそう

2006-08-17 22:06:50 | 学習

白洲次郎に凝っているのは周知の通りだが、ついに旧白洲邸武相荘に行ってしまった。小林秀雄センセーの鎌倉東慶寺のお墓参りと内容的心情的に同じである。

小田急の鶴川というところにあるのだが、行き帰りはむちゃくちゃ暑かった。昔の民家を氏が買い取ったものなのだが、生活感が残っていて、やはり行ってよかった。

下石神井のいわさきちひろ美術館も書斎がそのまま残っていて、身近に感じられて感動したものだが、武相荘も同じだった。

帰りに駅前の不動産屋を見ていたら、地価が安いことに気がついた。カントリージェントルマン気取ってワシも家買おかな。

 


越後山中

2006-08-17 10:03:14 | 学習
涼しいと思ったら、むちゃくちゃ暑い。

屋内にいるのが嫌。外は木陰にいると何とかしのげる。空気が湿けていないからまだましか。

毎年夏になると、猪苗代、軽井沢、北海道、八ヶ岳と回っているが、今回が一番暑かった。一番涼しかったのは八ヶ岳山麓である。

ニョーボいわく、来年は沖縄に行くのだという。もっと暑いがな。




国家の品格

2006-08-15 23:16:29 | 学習
とりあえず、課題図書の一つ。

8月15日に読んだのも因縁だが、なんとなく考えさせられるのう。      

また別の課題図書の白洲次郎関係も読んでいるけど、アメリカ嫌いはマサヒコ先生も白洲次郎も同じ!

読書中@越後の山中にて

御巣鷹の夏の思い出 (2)

2006-08-13 21:21:37 | よもやま話
結局、夕方のNHKニュースで、「飛行機の消息不明」で大騒ぎになった。どうも近所に墜ちたらしいからだ。今では信じられないが、どこに墜ちたのか、特定できなかったのだ。

その夜、風呂場の陰毛を取って職務を終えると、明け方までラジオに耳を傾けていた。最初は、長野県南相木村に墜ちたのではないかということであった。これも、NHKが「南相木村のお百姓さんが、山のほうへ飛行機が低空飛行して行くのが見えたそうです」という噂話のような情報がベースであった。上野村というのはあまり聞かなかった。

南相木村といえば、軽井沢の近所である。墜落してどうなっているのか、生きてる人いるのか、助けに行けないのか、・・・。うとうとしているうちに寝てしまった。

で、朝目覚め、食堂に行くと、テレビに飛行機が衝突して燃えている様子が映っていた。テレビで、記者が乗っていた人の名前を読み上げているのだが、500人以上乗っているので、長い時間になる。記者が「このまま読んでよろしいでしょうか?」と聞くと、木村太郎キャスターは「そのまま読んでください。それが一番重要な情報なのですから!」と毅然と答えていたのがいまも記憶に残っている。

結局、500人以上のすごい数の死者がでた日航機墜落事故。勤めていたその三○物○の寮のご主人は、ベトナム戦争の写真なんか撮りに行っていたつわもので、「行ってみようか、ロレックスなんか落ちてたりするんだよ」なんて能天気なことを言うのだわ。

その後、東京に帰ったら、学校の女の子のお父さんが飛行機に載っていたことを知った。後に柳田邦夫の「墜落の夏」も読んでその事故の詳細を知ることになるのだが、事故後しばらくは、ワシも強烈なウツ状態になった。21年前の夏のことである。

(続く)


母校

2006-08-12 16:50:46 | 学習
たまたまネットで母校(高校)のサイトやらなんやらみたら驚いた。

「70分授業、週例テスト、基礎補習」、「長期休暇(春休み・夏休み・冬休み)は大幅短縮」、「夏休みは○○山で10日間の合宿特訓、脱走者脱落者なし」・・・。まじすか。

ワシがいたころは、みんなバイクで通学し、授業も出席欠席自由のスーパーフリーハイスクールだったちゅうのに。そりゃまあ、あれから四半世紀経っとるからねえ。(3ない運動というのがあって、バイクは禁じられていたが、センセーは見てみぬふりだった)

明治年間創立の母校は、某巨大神社の隣地にあり、緑に囲まれ環境は抜群に良かった。なにより校則がなく自由で楽しかった。この年になってもなお携帯にメールが飛んでくる友人たちに囲まれ、ワシのお笑いの素地はあそこで養われたものだったのだ。なんかの拍子で別の学校行って、勉強やら校則やら押し付けられていたら、おそらく人間性も変わっていたことだろう。もっとえらくなっていたかもしれないけど。

勉強熱心なのはいいけど、いまも母校のよさが失われていないことを祈るばかりである。