今日は映画
「荒野に希望の灯をともす」
医師・中村哲 現地活動35年の軌跡
を観てきました。
高知市立自由民権記念館で17日、4回のみの
上映でした。
きっとガラガラだろうなと
上映時間ギリギリに入館したのですが
小さい劇場ですが、既に座席がほとんど埋まっている
状態で、やっと座席を見つけて座ることができました。
中村先生は1973年に九州大学医学部を
卒業後、精神科医として病院勤務をしていた時に
パキスタンの山への登山隊の医師の募集を知り
応募して同行することになり
初めてパキスタンの地を訪れました。
そして
その時に医療の届かない、世界から取り残された
地域に足を踏み入れて、折から医師が来ているという
噂を聞いた多くの人々が、登山隊を訪れて
診察を求めて来たのですが、そんな多くの人への
治療薬など持ち合わせている訳もなく・・・・
そんな人達の中には
世界では完治する病になっているハンセン病患者が
多く、医療を求めている多くの人達に接して
この地で医療に携わる決意をするのでした。
パキスタンのペシャワールの
ハンセン病棟で始まった医療活動は、やがて
アフガニスタンの山村無医地区に広がっていきました。
しかし2000年
アフガニスタンを大干ばつが襲い
飢えと渇きで瀕死の人々が、中村医師の元に押し寄せましたが、
医療で支えるのに限界を感じた中村医師は
この人々の生活に根ざした支援の必要性を感じ
大河クナール川から水を引く、用水路建設を
決意するのでした。
2001年には
9.11アメリカ同時多発テロ事件が発生し
米軍の爆撃機の下で、用水路の建設を進めて
2007年には、マルワリード用水路が13㎞
地点に達して
2008年には上の荒涼とした土地が
緑の大地に変わりました。
しかしこの用水路建設中に
中村医師の次男が10歳にして
脳腫瘍のために亡くなります。
そして困難だと思われた
ガンベリ砂漠にも、2009年には用水路が届き
上の砂漠から緑地へと変わりました。
用水路建設には
干ばつでその地を捨てた人たちが
噂を聞いて戻り、建設に携わった人たちは
数万人にものぼったとか・・・・
その中の一人が、中村医師に感謝の気持ちの
紅茶を差し出すと、それは美味しそうに飲んだそうです。
用水路建設で65万人もの人の命を
救ったといわれています。
2010年にはモスクを建設し
その隣には、教育の場の学校も造りました。
2019年12月4日、凶弾に倒れる。
遠く国境を越えて
アフガニスタンの人々に寄り添い
生きる手助けをしてきた中村医師。
そこにあるのは、純粋に「人を救いたい」の
思いだったと思います。
このドキュメンタリー映画上映中
方々で鼻をすする音が聞こえてきました。
正直、中村哲先生に興味がある方は少ないだろうと
高をくくっていましたが、
高知県民も捨てたものではなかったようです。
中村哲先生のような方が
日本におられたことは誇りですし
アフガニスタンに限らず、後に続く方が現れると
いいいですね。
それこそが先生の播いた種だったのでは
ないでしょうか。
(画像は映画パンフレットからお借りしました。)
今日も来てくださってありがとうございます。
この医師の生き方に興味を持って映画館に足を運んだ方が予想以上に多かったということを聞いて、そのことにも感動しました。
子ども向けにも大丈夫だったら、学校の巡回映画の一つになったらいいのにと思いました。多くの方に見てもらいたい映画ですね。
わたしも機会があれば見てみたいです。