どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

昔話。

2009-01-23 | Sandstorm

学生の頃は、4畳半の下宿暮らしだった。
月6000円のオンボロアパートに、体育会の先輩や仲間となんだかんだと生きていた。
共同の風呂場にはナメクジが出て、いつも気なって仕方がなかった。
台所ではゴキブリと格闘。
トイレは蜘蛛が這いまわって、たまに驚いた拍子に狙いを外して大変だった。
誰かが風呂掃除の当番の日をサボると、みんな米のとぎ汁のような湯船に入るハメになった。
一番困ったのは部屋にムカデが現れたとき。
その晩は布団のまわりに本やら何やら積み上げてみたものの、気になって結局朝まで眠れなかった。
隣人がエッ○なビデオを借りて来ると、気になる声がアパート中に響いてすぐに皆にバレた。
誰かが部屋に彼女でも連れて来ようものなら、その日は皆がその部屋の気配に神経を研ぎ澄まし、プライベートなどほとんどありやしないと言ってもよかった。
冬場は全員が部屋にいると、ヒューズがとんで真っ暗になる。
アパートはフォークソング全盛時代の名残を色濃く残すようなオンボロであったが、住人は皆もう十分に現代っ子で、それぞれ冷蔵庫や暖房器具を個人所有していたからそういうことになるのは必然だった。
だから自然と、冬場は誰かの部屋に2~3組に分かれて集結するという流れになった。
麻雀に明け暮れる住人もいたが、その頃にはもうファミコンという近代娯楽装置が普及していて、私の場合もっぱら賭ける勝負はそちらが多かった。
何だかんだと大変だった。
全ては自分の思い通りに行くことなんて何もなかった。
それでも楽しかった。
自分で自分がどんな境遇にあるのかなんて気にしたこともなかったし、それが全てで、それが毎日だった。
何だかんだも、今思えば覚えてすらもいないということは、たぶん他愛のないことばかりだったのだろう。
残っているのは、楽しかった記憶だけ。
たぶんそれで、いいのだろうと思う。





社会人になってしばらく3~4年は実家に戻ることになったが、その後転勤で初めて上京し”本当の”一人暮らしを始めた。
何の制約もない偉大な自由を手に入れ心躍った。
それからも会社の同僚をはじめ、玉突き仲間、渓流仲間、スキー仲間、ゴルフ仲間、野球観戦仲間、そして競馬仲間と、全く異なる連中と連れ立って歩いた。
けれどもう当然みな大人の付き合いで、互いのプライベートに干渉することなどありえなかった。
それが心地よく感じる部分も、正直あるのかも知れない。
でもただ、どうしようもない壁を感じることもあった。
彼女が無性に欲しくなったのは、あの頃からだったように思う。
大切なものを少しずつなくした。
その分、埋め合わせるものが何か欲しくなった。
今思えば、ただそれだけのことだったのかも知れない。
偉大なる自由はプライベートという宝箱をもたらしてくれたが、肝心のそこに入れる大切なモノを失ってしまっていた。
あの頃の私は、猿だった。
たぶんそれで、よかったのだろうと思う。





あの頃ですでに5年以上の時が経っていた。
そして今やもう、20年近くの月日が過ぎた。
仲間たちも、彼女たちも、みんな通り過ぎた。
そして今でも繋がっているのは、ほんの少しだ。
縁の強さは、時間の長さや距離ばかりではないと思える。
自分自身にもわからない何か見えない力が働いているようにすら感じる。
大切なものが”何か”は今でもわからないが、大切なものが”何だったのか”は良くわかる。
未練もある。
取り返しがつかないという後悔も、数限りない。
でも今は、不思議なほどに寂しさなどは微塵も無い。
それが自分にとって良いことなのか悪いことなのかは、わからない。
慣れてしまったのか、乗り越えられたのか。
ただ、それを嘆いていても仕方ない。
たぶんそれは、どうしようもないことなのだと思う。





人は知らず知らずのうちに、誰かを演じている。
中学までは、クラスで5本の指に入る抜群の成績だった。
なぜか高校では、いつもテストで学年ビリを争う常連になった。
だから今でも、近所の幼なじみの間では優等生扱いされる。
高校の同窓会では、体だけの運動バカで通っている。
そういう風に振舞う。
同じ人間なのに、自分でも笑ってしまう。
人は不思議に、まわりに合わせて自然とそういう風になりきれるものだと思う。
その場その時その環境で、人は自分を演じるのだとしたら、今も自分は自分を演じているだけなのだろうか。
そんなことを思ったりする。
中学時代の自分。
高校時代の自分。
あの頃の自分に聞いてみたい気もする。
あなたは誰ですか、と。
そして、今の自分にも。
それが一番難しい質問かも知れない。
ただ、いつだってどこだって、答えは同じに違いない。
「探している最中さ。」
過ぎ去りし昔話をするときにだけ、そこには他の自分がいる。
楽しくて甘酸っぱい記憶とともに。
明日からの自分とは、いつだって別人なのだ。
たぶんそれで、いいのだろうと思う。

















木曜日の笠松競馬では、3歳重賞がありました。
「第33回ゴールドジュニア」。
勝ったのは、転入6戦目のブラックポイント号。
このメンバーでは、ほぼ順当な決着でしょうか。
出遅れた金沢のマツノジャンプ号も、次回は注目ですね。



ただそれよりも私が気になったのは、6レースの「3歳1組選抜」。
柿原騎手が跨った1番人気のトップシード号。
口向きが悪く、レース中も一頭だけ別世界へ。
全然競馬をしていないのに、それでも5着とはびっくり。
私はこういう馬に弱いんですよね。。。(笑)
馬券に私情は禁物ですが、なぜか応援したくなってしまうのです。
まだ3歳の若駒。
少しくらいやんちゃでもいいでしょう?
これからどうやって成長していくのか見るのも、また私の楽しみのひとつです。































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