どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

秋深き。

2010-03-08 | 競馬余談

7日の日曜日は、名古屋競馬場ではなく中京競馬場へ。
なぜか最近、日曜日に休みが多い。
以前では考えられなかったことだ。
会社の状況だったり、自分の置かれた立場だったり、いろいろ考えたりする。
でも、休みは休み。
そう割り切る。
決めたから。
休日出勤はよほどのことがない限りもうしない。
だから”どんこ”ではなく”中央”。
非日常にどっぷり浸るために。





この一週間にあったこと。

携帯電話が壊れた。
プッツリと突然。
バックアップをとっておらず、どうしようもなくなった。

車のCDチェンジャーが出てこなくなった。
聴けるのだが、取り出せず変更ができない。
ずっと今入っている10枚を聴き続けるハメになるのか。

標準装備の車のドリンクホルダーが折れた。
シートにジュースがこぼれた。
もう二度と缶を立てられなくなった。

会社の上司とケンカした。
我ながら酷いセリフを吐いてしまった。
今は平静だが、わだかまりは消えない。

母親の床ずれがひどくなり病院へ行った。
見たら相当深い裂傷のような感じになってしまっていた。
ずっと我慢していたのだろうか。

いいことのない一週間だった。
なぜこんなにも、悪いことは重なるのだろうか。
以前にもこんなことがあった。











なぜか馬券は、まだ好調だ。
中京の最終レースの3連複的中が大きかった。
前残りが目立つように思えて、ずっと先行馬ばかり買い続けたのがよかった。
それが正しかろうと何だろうと、信じるものは救われる。
そう思った。

車のCDを入れ替えられなくなってしまってから、最近は昔のミュージックテープを奥から引っ張り出してきて聴いている。
今日は森高千里さんの「非実力派宣言」。
懐かしい。。。
まだ学生の頃にレンタルCDからダビングしたシロモノだ。
まあこれには、付随するいくつかの想い出もあって。。。
歌自体よりも、そちらの方が懐かしく感じる。
結構縁起を担ぐ方なので、次に中京競馬場を訪れる時も、車の中はたぶん”森高千里”がかかっていることだろう。
40オヤジの車の中に。
ちょっと笑える。
自分でも、自分を笑いたいから丁度良い。
個人的には、「夜の煙突」が好き。
今は、変に押し付けがましい歌詞は聴きたくない気分だから。











はてさて、その儲かったお金で久しぶりに「湯あみの島」へ行った。
有松から伊勢湾岸道で約30分。
日曜日というのが少し不安であったが、相応の雨だから大丈夫だろうという予測。
ほとんど平日しか余暇活動の経験がない自分としては、日曜日の混雑は恐怖である。
イモ洗い状態は、できるだけ御遠慮したい。

長島温泉への道中、中京競馬場で買った北海道物産展の「じゃがバター」のせいで、妙に喉が渇いた。
ドリンクホルダーはふたつあって、片方は常時灰皿代わりの空缶が乗っている。
もうひとつはぶっ壊れたままだ。
タバコを我慢するか、飲むのを我慢するか。
その選択は難しい。
イモを馬鹿にしてはならない。
ノドに詰まって死ぬこともある。
先日借り物のケータイで見た記事によると、不慮の事故ナンバーワンらしいから。
それにしても、誰がそんなこと調べるのだろうと思ったりもする。











じゃがいもは最高に美味かった。
ほんのりと甘みがあってやめられない。
歳のせいだろうか、最近あまり濃い味のものは食べたいと思わない。
そういえば父曰く、イモと言えば「サツマイモ」だそうだ。
我々の年代では、「ジャガイモ」だろう。
そんな話を思い出した。
まあ、どうでもよい話だが。。。











まあ、「湯あみの島」は許容範囲内の混み具合であった。
やはり雨が一日中降り続いていたことが大きいだろう。
幸運なことにやがて雨は小降りになり、十分に露天風呂を満喫できた。
競馬で勝ったお金でタダ風呂とは、なんて幸せな一日なのだろうか。。。
この一週間であったことも、少しは忘れられそうだ。
明日も仕事、頑張るべ。
そんな気持ちにもなれる。

ちなみに、只今「湯あみの島」はキャンペーン期間中。
夜23時まで営業している。
ドンコで競馬したあとも、十分に満喫できそうだ。
ただ深夜営業は、3月14日までらしい。。。





















DVDを買ってしまった。
春なのに、「秋深き」。
何も憶測せず、そこに映し出される物語だけを見る。
主人公に自分を重ねようとはしない。
ただ他人事の物語として見る。
そうしようとする。
考えてもみれば、自分ももう「秋深き」の年代だ。
過去ばかりにしがみつく自分が見える。
仕事も先が見えてきた。
いまだ守るべきものすらない。
身体もすでにガタガタだ。
当たり前のように、親も年老いていく。
誰も避けてとることはできない季節。
気付かないうちに、もうこんなところまで来てしまったという感覚。
もしかしたら自分は誰よりも”ヘタれ”てしまっているのかも知れない。
そんな風に思った。





ただ「秋深き」なのは自分の置かれている環境がそうであるだけのこと。
決して心の中が「秋」なのではない。
そう思いたい。
ずっとそうでありたい。
人生の秋を楽しみながら。





秋はまた、実りの季節だ。
はたまた、秋に咲く花だってある。
ただ秋には、秋らしく咲きたいと願う。































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