7日の日曜日は、名古屋競馬場ではなく中京競馬場へ。
なぜか最近、日曜日に休みが多い。
以前では考えられなかったことだ。
会社の状況だったり、自分の置かれた立場だったり、いろいろ考えたりする。
でも、休みは休み。
そう割り切る。
決めたから。
休日出勤はよほどのことがない限りもうしない。
だから”どんこ”ではなく”中央”。
非日常にどっぷり浸るために。
この一週間にあったこと。
携帯電話が壊れた。
プッツリと突然。
バックアップをとっておらず、どうしようもなくなった。
車のCDチェンジャーが出てこなくなった。
聴けるのだが、取り出せず変更ができない。
ずっと今入っている10枚を聴き続けるハメになるのか。
標準装備の車のドリンクホルダーが折れた。
シートにジュースがこぼれた。
もう二度と缶を立てられなくなった。
会社の上司とケンカした。
我ながら酷いセリフを吐いてしまった。
今は平静だが、わだかまりは消えない。
母親の床ずれがひどくなり病院へ行った。
見たら相当深い裂傷のような感じになってしまっていた。
ずっと我慢していたのだろうか。
いいことのない一週間だった。
なぜこんなにも、悪いことは重なるのだろうか。
以前にもこんなことがあった。
なぜか馬券は、まだ好調だ。
中京の最終レースの3連複的中が大きかった。
前残りが目立つように思えて、ずっと先行馬ばかり買い続けたのがよかった。
それが正しかろうと何だろうと、信じるものは救われる。
そう思った。
車のCDを入れ替えられなくなってしまってから、最近は昔のミュージックテープを奥から引っ張り出してきて聴いている。
今日は森高千里さんの「非実力派宣言」。
懐かしい。。。
まだ学生の頃にレンタルCDからダビングしたシロモノだ。
まあこれには、付随するいくつかの想い出もあって。。。
歌自体よりも、そちらの方が懐かしく感じる。
結構縁起を担ぐ方なので、次に中京競馬場を訪れる時も、車の中はたぶん”森高千里”がかかっていることだろう。
40オヤジの車の中に。
ちょっと笑える。
自分でも、自分を笑いたいから丁度良い。
個人的には、「夜の煙突」が好き。
今は、変に押し付けがましい歌詞は聴きたくない気分だから。
はてさて、その儲かったお金で久しぶりに「湯あみの島」へ行った。
有松から伊勢湾岸道で約30分。
日曜日というのが少し不安であったが、相応の雨だから大丈夫だろうという予測。
ほとんど平日しか余暇活動の経験がない自分としては、日曜日の混雑は恐怖である。
イモ洗い状態は、できるだけ御遠慮したい。
長島温泉への道中、中京競馬場で買った北海道物産展の「じゃがバター」のせいで、妙に喉が渇いた。
ドリンクホルダーはふたつあって、片方は常時灰皿代わりの空缶が乗っている。
もうひとつはぶっ壊れたままだ。
タバコを我慢するか、飲むのを我慢するか。
その選択は難しい。
イモを馬鹿にしてはならない。
ノドに詰まって死ぬこともある。
先日借り物のケータイで見た記事によると、不慮の事故ナンバーワンらしいから。
それにしても、誰がそんなこと調べるのだろうと思ったりもする。
じゃがいもは最高に美味かった。
ほんのりと甘みがあってやめられない。
歳のせいだろうか、最近あまり濃い味のものは食べたいと思わない。
そういえば父曰く、イモと言えば「サツマイモ」だそうだ。
我々の年代では、「ジャガイモ」だろう。
そんな話を思い出した。
まあ、どうでもよい話だが。。。
まあ、「湯あみの島」は許容範囲内の混み具合であった。
やはり雨が一日中降り続いていたことが大きいだろう。
幸運なことにやがて雨は小降りになり、十分に露天風呂を満喫できた。
競馬で勝ったお金でタダ風呂とは、なんて幸せな一日なのだろうか。。。
この一週間であったことも、少しは忘れられそうだ。
明日も仕事、頑張るべ。
そんな気持ちにもなれる。
ちなみに、只今「湯あみの島」はキャンペーン期間中。
夜23時まで営業している。
ドンコで競馬したあとも、十分に満喫できそうだ。
ただ深夜営業は、3月14日までらしい。。。
DVDを買ってしまった。
春なのに、「秋深き」。
何も憶測せず、そこに映し出される物語だけを見る。
主人公に自分を重ねようとはしない。
ただ他人事の物語として見る。
そうしようとする。
考えてもみれば、自分ももう「秋深き」の年代だ。
過去ばかりにしがみつく自分が見える。
仕事も先が見えてきた。
いまだ守るべきものすらない。
身体もすでにガタガタだ。
当たり前のように、親も年老いていく。
誰も避けてとることはできない季節。
気付かないうちに、もうこんなところまで来てしまったという感覚。
もしかしたら自分は誰よりも”ヘタれ”てしまっているのかも知れない。
そんな風に思った。
ただ「秋深き」なのは自分の置かれている環境がそうであるだけのこと。
決して心の中が「秋」なのではない。
そう思いたい。
ずっとそうでありたい。
人生の秋を楽しみながら。
秋はまた、実りの季節だ。
はたまた、秋に咲く花だってある。
ただ秋には、秋らしく咲きたいと願う。